日本サッカー界の至宝・KINGカズのプロフィールをあらためて見直す
意外と知られていないブラジル時代
1982年12月、私立静岡学園高校を1学年修了を待たずして8カ月で中退、
ブラジルに単身渡航、CAジュベントスへ留学。
1984年の秋頃、ジュベントスからキンゼ・デ・ジャウーへ移籍した。
1986年2月、サンパウロ州のサントスFCとプロ契約。
5月にはSEパルメイラスと特別契約を結び日本でのキリンカップで
凱旋帰国した。
1985年 SBSカップ 18歳のカズ(三浦知良)のドリブル - YouTube
via youtu.be
サントスではドゥンガともチームメイト。
当時23歳のドゥンガとのエピソードが語られています。
当時23歳のドゥンガとのエピソードが語られています。
生きの良い大学生がパッと入って、即レギュラーでできるかというと、
試合ではうまくいかない、なんてことが多々あります。
きっと、それが経験なのかと。実際、僕もブラジルでやっていた頃は、
あの大観衆の中でやるのは震えていましたから。
それと、(サントス時代)僕はチームメートにドゥンガがいて、
デビュー戦でドゥンガにこっぴどく叱られた影響で萎縮してしまって、
何もできなかった苦い思い出があります。
1986年10月にはパラナ州のSEマツバラへレンタル移籍、1987年2月には
マツバラと正式契約を結び、レギュラーとして南部三州リーグ優勝に貢献
同年10月、アラゴアス州のクルベ・ジ・レガタス・ブラジル(CRB)に移籍し、ここでもレギュラーとして活躍、日本人で初めてブラジル全国選手権に出場した。
1988年、サンパウロ州のキンゼ・デ・ジャウーへ移籍。
同年3月19日、コリンチャンス戦で日本人としてリーグ戦初得点を
記録し、格上の人気チーム相手に3-2で勝利するというジャイアント・
キリングを起こした。
このときの試合はブラジル全土にテレビ中継されていたために、
カズという日本人の名前が広く知れ渡った
三浦知良 カズ キング・カズ KAZU サントス - YouTube
via youtu.be
1989年2月、パラナ州のコリチーバFCに移籍し、パラナ州選手権優勝に
貢献した。
1990年2月、サントスFCへ4年振りに再移籍した。マツバラへレンタル
された時からもう一度サントスでプレーして自分の力を証明したいと
思っていたカズは、誘いを掛けてきた他のチームの話もあったがそれを
断っての移籍だった。
カズはレギュラーポジションを確保、同年4月29日のパルメイラス戦で
1得点1アシストと活躍し、この試合に2-1で勝利した際には、
翌日のブラジルの新聞はスポーツ紙から一般紙に至るまでカズの活躍を
伝えた。
日本でのカズはストライカーのポジションでしたが、ブラジルでは
ウイングの選手でした。
当時の日本では上手い選手はストライカーで起用する風潮だったので
しょうか。
ウイングの選手でした。
当時の日本では上手い選手はストライカーで起用する風潮だったので
しょうか。
日本へ~そして全盛期~再び海外に
via number.ismcdn.jp
1990年7月、Jリーグ発足が現実味を増す中、日本のW杯出場に貢献するためにブラジルに残ることよりも日本でプレーすることを決断し、日本サッカーリーグの読売サッカークラブ(ヴェルディ川崎 = 現東京ヴェルディの前身)に移籍した。
via stat.ameba.jp
(三浦 知良)Jクロニクルベスト:1994ベストゴール - YouTube
via youtu.be
1992年のJリーグカップではヴェルディを優勝に導き大会MVP、Jリーグ
開幕後はラモス瑠偉、北澤豪、武田修宏、ビスマルク、柱谷哲二、
ペレイラ、菊池新吉らその他多くのチームメイトに恵まれV川崎の
黄金期を築いた。
1992年の日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)
受賞に続き1993年、日本人最高の20得点を記録しV川崎を初代チャンピオンに導き、Jリーグ初代MVPを受賞した。
出身地:静岡県