澤穂希   愛よりもサッカー 。愛ゆえにサッカー 。愛ゆえに愛を捨てサッカー。とにかく今はサッカーだ!!
2023年11月1日 更新

澤穂希 愛よりもサッカー 。愛ゆえにサッカー 。愛ゆえに愛を捨てサッカー。とにかく今はサッカーだ!!

13歳で国内リーグデビュー、15歳で日本代表デビュー、17歳でオリンピックデビュー、20歳でアメリカ挑戦。そして22歳で愛よりもサッカーを選び帰国。

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東京都の中央、府中市で生まれた澤穂希は、3歳のときに全国にプールを持つ「イトマンスイミングスクール」に入会。
昇給テストに受かって級が上がるとスイミングキャップの色が変わっていくというシステムにハマり、新しい色のキャップを狙って夢中で泳ぎ、幼稚園に入る前に1番上の「特級」に到達。
生まれつき左利きだったが、書道を習って、
「文字は右手で書きなさい」
と指導され、書くのは右手、箸は左手という両利きになった。
「両手が使えることで右脳と左脳がバランスよく刺激されているかもしれない。
そのバランスがサッカーに生かされている気はします」
ある雪の日の夜、3歳の澤穂希と兄がイタズラをしたため、母親は
「反省しなさい」
と家の外に放り出した。
その後、家事に追われ、気がつくと、すでに1時間ほど経っていて、あわてて外をみると泣き疲れて玄関で眠る兄と物干し竿で遊ぶ妹がいた。
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5歳のとき、父親の転勤で一家で大阪府高槻市に引っ越し。
兄が「安満サッカークラブ」に入ると、いつも母親と一緒に練習をみにいっていた。
6歳のとき、コーチに
「妹さんも蹴ってみない?」
といわれ、後をついてグラウンドへ。
「エイッ」
とつま先で突くように蹴ったボールは、コロコロと転がった。
澤穂希がワクワクしながら行方を見守っていると、何かに導かれるようにゴールへ吸い込まれていった。
ゴールの意味はわからなかったが、その瞬間、
(楽しい!!)
ととにかく嬉しく、大喜び。
母親をみると笑っていて、コーチは少し驚いていた。
この一蹴りで人生は決まった。
「ゴールに入ったのが嬉しくて。
すぐに私もサッカーをやりたいってなりました」
こうして澤穂希は、大阪でボールを蹴り始めた。
安満サッカークラブは、安満遺跡公園のグラウンドで練習し、夜遅くなると夜間照明がないために車のライトをつけて練習するような熱心なクラブだった。
「大阪では週に1回か2回の練習に参加するだけだったけど、サッカーに夢中でした」
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7歳のときに父親の転勤が終わり、東京都府中市に戻ると「府ロクサッカークラブ」、通称「府ロク」に入った。
府ロクは、府中第6小学校の先生が創設。
授業の後、学校のグラウンドで練習し、全国大会に何度も出ているジュニアの名門チームだった。
兄は問題なく入ることができたが、澤穂希は、母親が
「妹は入れますか?」
と聞くと、男子、しかも小学校3年生以上でないと入れないというルールがあって、
「前例がないから」
と断られてしまう。
しかし母親はあきらめず
「前例がないのなら、うちの娘で新しい歴史をつくってください」
といい、小学2年生の女の子の「仮入団」が認められた。
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仮入団の身である澤穂希は、グラウンドの隅で練習していたが、間もなく地元の小学生が出場する「狛江杯」があり、母親と兄の応援へ。
前半を0対0で終えたとき、コーチに
「出てみない?」
といわれ、ユニフォームを借りて後半から出場。
そしていきなりゴールを決め、チームは勝利。
本人は、
「無我夢中でプレーしたこと以外記憶がない」
というが翌日の地元の新聞に
「途中出場の女の子の決勝ゴール」
と取り上げられ、府ロクにも「正式入団」となった。
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府ロクの練習は、月~金まで週5日で、土日は、試合や遠征、合宿があった。
学校が終わるとすぐに練習が始まり、帰宅は夜。
兄は家に帰ると
「疲れた」
といって風呂に入ったが、澤穂希は
「練習する」
といってボールを持って外にいき、1人で1時間くらい、家の前の壁にボールを当てたり、リフティングをした。
「自主練というより、ただただ楽しくて蹴っていただけ」
というが、雨の日は家の中でボールを蹴ることもあった。
府ロクに入って半年後、河口湖で行われた合宿で、広いグラウンドの外周を1度もボールを落とさずにリフティングで回ってコーチを驚かせた。
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澤穂希は、身長が高く、髪型もショートカット。
大阪にいた頃、可愛い帽子をかぶったりして女の子らしい格好をしたこともあったが、東京に戻って男の子ばかりの中でサッカーをするようになってからスカートなどはいたことがなく、いつもGパンや短パンで、よく男の子に間違えられた。
運動会でスカートをはいてダンスをしなければならなくなると、練習のときからふてくされ、以後、ダンスは嫌いになった。
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府ロクを含め、多くのジュニアサッカーチームは各学年ごとにチームがあり、チーム別に練習や試合を行う。
上手な子が上の学年でプレーすることもあるが、基本的にチームメイトは同級生。
誰もが試合に出られるというわけではなく、府ロクのポジション争いは激しかったが仲は良かった。
府ロクに入って1年、小学3年生でレギュラーとして左ハーフや左ウイングのポジションに入った。
チームメイトは練習熱心で負けず嫌いな澤穂希を大事な存在とし認めていた。
ある日の試合中、相手チームの選手に少しバカにした口調で
「女のくせにサッカーするなんて」
といわれたが、試合中だったので無視。
すると相手がスパイクを蹴ってきた。
さすがに頭にきて蹴り返したがかわされてしまう。
ムキになって蹴ろうとすると相手は逃走。
澤穂希は追いかけ、試合が止められ、審判に怒られた。
同じく小学校3年生のとき、母親と口論になり、ひどい言葉を浴びせるとブタれ、
「ピシッ」
と鼻血が台所の食器棚についた。
澤穂希は悔しくて泣きながら
「出てってやる」
と叫んだが、
「出ていきます。
探さないでください」
と置手紙を書いている内に落ち着いてしまい、家出は中止し、ケロッと過ごした。
「この頃から切り替えは早い方だった」
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小学校5年生になると女の子のほうが身体の成長が早いため、府ロクでGKに続いて2番目の高身長になった。
2人1組で行うストレッチやトレーニングをするとき、異性を意識し始めたの一部のチームメイトが
「お前やれよ」
「お前がやれよ」
と譲り合うのをみて
「これまでそんなことなかったのに」
と不思議に思った。
運動会で騎馬戦の騎手となった澤穂希は、母親いわく
「まるで木登りするサルみたいに身軽ですばしっこくて、スキあらばという感じで」
相手チームの帽子をほとんど奪い取り、マラソン大会では、兄とそろって1位になった。
走るだけでなく食べるのも早く、
「兄はマイぺースで、兄がみかんを1個食べている間に穂希は2個食べていましたね。
白い線維のところもとらないでアッという間に食べちゃって。
野生的でしたよ」
(母親)
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この年、日本女子サッカー界に大きな変化があった。
それまで真剣勝負の場は年1度の「全日本女子選手権(現:皇后杯)」だけだったが、

読売サッカークラブ・ベレーザ(東京)
清水フットボールクラブ(静岡)
田崎真珠神戸フットボールクラブ・レディース(兵庫)
日産FCレディース(東京)
新光精工FCクレール(東京)、
プリマハム・FC・くノ一(三重)

という1都3県6チームが参加する「日本女子サッカーリーグ」が誕生したのである。
開幕戦は、読売サッカークラブ・ベレーザ(東京) vs 清水フットボールクラブ(静岡)。
全日本選手権2連覇中のベレーザが、日本代表選手に加え、チャイニーズタイペイ(台湾)代表の周台英を擁する清水に2対0で勝利。
しかし翌年1月に第1回日本女子サッカーリーグが終了したとき、初代女王に輝いたのは清水だった。
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3ヵ月後の4月、第2回日本女子サッカーリーグが開幕したとき、澤穂希は6年生になったが、この年、人生でただ1度だけ、
「男の子に生まれたらよかったのに」
と思う出来事に遭った。
ジュニアサッカー選手にとって最高の目標は、毎年、夏休みによみうりランドで行われる「全日本少年サッカー大会」
全国のサッカー少年(少女)が、
「全少」
と呼び、読売ランドを崇め、情熱を燃やした、この大会は、現在は「全日本U-12サッカー選手権大会」と呼ばれている。
府ロクは、当然、出場&優勝を目指していたが、6年生チームの中心選手だった澤穂希にとっても、よみうりランドは夢だった。
しかし予選である都大会直前、コーチから
「お前は都大会に出場できない。
女子は出場資格がない」
と告げられ、澤穂希は、その言葉を理解するのに時間がかかった。
数年間、男女差など意識せずに共にボールを追いかけ汗をかいてきたチームの中に初めて性別の壁が現れたのである。
府ロクは、なんとか澤が出場できるように大会運営と交渉したが
「少年サッカー大会だから」
と認められず、納得できない澤は、悔しくて仕方がなく、
「どうして女の子に生まれたんだろう」
と心底悩み、傷ついた。
男子だけで出場した府ロクは、都大会でベスト8に入ったもののよみうりランドには出場できず、澤穂希は、さらに怒りに似た悔しさを味わった。
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