マリノスは、アルゼンチン推し。
ディアスに始まって、アルゼンチンカルテットまで誕生させた。
近年は、アルゼンチン推しじゃないのが寂しい。
ディアスに始まって、アルゼンチンカルテットまで誕生させた。
近年は、アルゼンチン推しじゃないのが寂しい。
ラモン・ディアス
マリノスの外国人といえば、この方。ラモン・ディアス。
なんといってもJリーグ初代得点王。当時のアルゼンチンを代表するストライカーだった。
なんといってもJリーグ初代得点王。当時のアルゼンチンを代表するストライカーだった。
ラモン・アンヘル・ディアス(Ramón Angel Díaz、1959年8月29日-)は、アルゼンチン、ラ・リオハ出身の元同国代表のサッカー選手(FW)、サッカー指導者。
1993年に開幕したJリーグにおいて、横浜マリノスに在籍。ゲーリー・リネカーなどすでにピークを過ぎ活躍できなかったスター選手が多い中で、ディアスはJリーグで初めて2試合連続ハットトリックを決めるなど32試合で28ゴールを挙げ、Jリーグ初代得点王に輝いた。2年目の1994年も主力として活躍。
J.League 1993 Season Top Scorer Ramón Díaz Movie - YouTube
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メディナベージョ
そして、ずんぐりむっくりのおじさんストライカー。メディナベージョ。
その筋肉質の体から放たれるシュートの威力は凄まじい威力でした。
その筋肉質の体から放たれるシュートの威力は凄まじい威力でした。
ラモン・メディナベージョ(Ramón Ismael Medina Bello, 1966年4月29日 - )は、アルゼンチン・エントレリオス州・グアレグアイ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。
Jリーグでは横浜マリノスに在籍、同じアルゼンチン出身のラモン・ディアス、ダビド・ビスコンティと共に横浜Mの攻撃陣を支えた。現役Jリーガーとして1994年W杯・アメリカ大会に出場した数少ない選手でもある
ディアス退団会見&川口能活デビュー戦 - YouTube
ディアスの退団と能活のデビュー戦できっちり点を決めるメディナベージョ
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ビスコンティ
強面のアルゼンチン人。いつも怒っているような表情が印象的だった。
上記の2名と組んでいたアルゼンチントリオは他のチームには脅威となっていた。
上記の2名と組んでいたアルゼンチントリオは他のチームには脅威となっていた。
ダビド・ビスコンティ(David Carlos Nazareno Bisconti、1968年9月22日 - )はアルゼンチン出身のサッカー選手。ポジションは攻撃的MF、FW。愛称はダビ。
1993年、横浜マリノスに加入し、攻撃的MFとして活躍。絶妙なパスワークに得点力の高さも併せ持ち、FKやCKの精度も高かった。1995年には27得点をマークし、サントリーシリーズ優勝とJリーグチャンピオンシップ制覇に大きく貢献する。
La Católica Deportes: David Nazareno Bisconti - YouTube
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フリオ・サリナス
バルセロナにも所属していたバリバリのスペイン代表選手。
今ならイニエスタやペドロあたりが移籍してくるようなものだった。
未だに破られないJリーグ記録となる8試合連続得点を持っている。
今ならイニエスタやペドロあたりが移籍してくるようなものだった。
未だに破られないJリーグ記録となる8試合連続得点を持っている。
フリオ・サリナス(Julio Salinas Fernández、1962年9月11日 - )は、スペイン・ビルバオ出身の元サッカー選手。スペイン代表であった。ポジションはFW。フリオ・サリーナスとも。
1997年のはじめ、同じバスク人のハビエル・アスカルゴルタ監督に誘われて日本・Jリーグの横浜マリノスに移籍し、FCバルセロナ時代にチームメイトだったゴイコエチェアと再び顔を合わせた。初めての海外挑戦であったが、持ち前の得点能力を見せつけ、リーグ戦47試合で34得点を挙げた。1997年の第2ステージ第11節から最終節まで7試合連続得点で1993年2ndステージ三浦知良の6試合連続得点の記録を破り更に翌1998年の第1ステージ第1節まで、未だに破られないJリーグ記録となる8試合連続得点を記録している。