現役時代の技あり ミドルシュート
(大榎 克己)Jクロニクルベスト:2000ベストゴール - YouTube
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高校時代
大榎 克己(おおえのき かつみ、1965年4月3日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
両河内中学校を経て、静岡県立清水東高等学校に入学した。
1981年度全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献した。
大会終了後には研修生という形で日本代表候補合宿に招集され、日本B代表の一員としてマレーシア遠征に参加するなど若年時から将来を嘱望された選手であった。
清水東三羽烏
(大榎克己)、長谷川健太、堀池巧とともに「清水東三羽烏」として高校サッカーで活躍。
上記の三人が同期入学したのは、静岡県立清水東高等学校でした。
昔も今もサッカーの名門校です。
主な卒業生には、反町康治、武田修宏、相馬直樹、西澤明訓、高原直泰等の日本代表経験者が多数。
「清水東三羽烏」も三人全てが、日本代表で活躍しました。
昔も今もサッカーの名門校です。
主な卒業生には、反町康治、武田修宏、相馬直樹、西澤明訓、高原直泰等の日本代表経験者が多数。
「清水東三羽烏」も三人全てが、日本代表で活躍しました。
Jリーグ入り
Jリーグの設立に際して1991年に清水市で結成された市民参加型サッカークラブ清水エスパルスに入団した。
高卒後それぞれ別のクラブでプレーを続けてきた長谷川、堀池とともに再び同じチームでプレーすることになった。
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日本代表
日本代表では1989-1993年にコンスタントに選出される。
日本が初めて参加したアジア杯では、日本代表の10番を任され、高木琢也などと共に主力としてプレーするも、アジアの強豪相手に跳ね返された。
その後も代表に呼ばれ続けるが、同時代にラモスなど読売/ヴェルディの選手が居たためか、出場機会には恵まれなかった。
選手としての特徴
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・ポジションは主にMFで、1996年からはボランチとして定着した。
DFとして出場する機会もあり、後半からのFWとの途中交代で得点を重ねた試合もある。
・原則的に小学4年生以上で構成される清水市(現・静岡市清水区)の小学校選抜チーム・清水FCにあって、その才能が認められて小学3年生から練習に参加し、長谷川、堀池と出会った時にはキャプテンを務めていた。
・清水エスパルスの契約第一号選手である。早稲田大学を卒業後、社員選手としてヤマハに入部した理由について「僕はサッカーだけで生きて行こうとは思わなかった」と語り、サッカーを引退した後は社員として会社に残る道を選んだのだが、プロ化が具体化するにつれて心が動いたという。