ガンプラ
via pds.exblog.jp
世界中(特にアジア圏)で大人気!!
ガンプラは日本のみならず世界中で販売されており、2015年3月末時点で世界累計4億4500万個を出荷しており、2014年度単年度では総出荷数1100万個のうち約3割に当たる330万個を海外に出荷している。
特に人気が高いのはアジア地域で、韓国には2014年度の海外総出荷数330万個のうち約3割に当たる100万個を出荷している。また、元々日本の漫画文化が浸透していた台湾や中国などでも、日本とそれほど変わらない感覚でガンプラが受け入れられている。
ガンプラブーム後も後続の作品群・ガンダムシリーズの展開に合わせて数多くのキットが発売され、旧作のキットもモデルチェンジと再生産が行われている。1990年代中頃よりMG(マスターグレード)、HGUC(ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー)といった高級モデルも展開された。模型店、玩具店以外にも家電量販店など販売場所も増えている。
特に人気が高いのはアジア地域で、韓国には2014年度の海外総出荷数330万個のうち約3割に当たる100万個を出荷している。また、元々日本の漫画文化が浸透していた台湾や中国などでも、日本とそれほど変わらない感覚でガンプラが受け入れられている。
ガンプラブーム後も後続の作品群・ガンダムシリーズの展開に合わせて数多くのキットが発売され、旧作のキットもモデルチェンジと再生産が行われている。1990年代中頃よりMG(マスターグレード)、HGUC(ハイグレード・ユニバーサルセンチュリー)といった高級モデルも展開された。模型店、玩具店以外にも家電量販店など販売場所も増えている。
『ガンプラ』(ガンダムのプラモデル)の歴史:ガンダムシリーズ・グレード別・スケール別・エポックメイキングなモデルで概観するガンダムシリーズとプラモデルの歴史 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ガンプラの歴史は、1980年7月19日の「1/144 ガンダム」発売から始まります。以降、ガンプラは進化し続け、多様なシリーズの商品が生まれ、35年におよぶ、プラモデル至上最大のヒットとなっています。ガンプラの歴史を1980年からエポックメイキングな商品やシリーズ(機動戦士ガンダム・機動戦士Zガンダムほか)やグレード(HGUC・MG・PG・RG)を基点にして振り返っていきましょう。1980年代の空前の「ガンプラブーム」を最新モデルを使って体感してみよう!
『機動戦士ガンダム』アニメ放送
機動戦士ガンダム OPb 「翔べ! ガンダム」 (ノンテロップ) - YouTube
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アニメ「機動戦士ガンダム」は放送終了間際と再放送で人気がブレイク!!
『機動戦士ガンダム』は放送終了間際になって人気が過熱した作品で、再放送にて人気に火が付いた形となった作品である。
テレビ放送時はバンダイではなく、玩具メーカーのクローバー社がスポンサーであり、ガンダム関連商品の販売を手掛けていた。だが、それらは従来通りの児童向け合体玩具などであり、当時のロボットアニメのキャラクタービジネスとしては当たり前の物であったが、ガンダムのファン層と対象購買層には若干乖離していた。
一方、当時のバンダイは『宇宙戦艦ヤマト』のプラモデルの販売を手掛けていたが、『ヤマト』のファン層が従来よりも高年齢層であり、それまでのおもちゃ的商品よりも『ヤマト』に登場した艦艇のスケールモデルの人気が高い事を把握していた。
これはそれまでのキャラクターもののプラモデルとは異なる構図でもあり、今回の『ガンダム』にも状況が似ていた。遂にはバンダイに「ガンダムのプラモデルを」との要望が多く寄せられることとなった。
テレビ放送時はバンダイではなく、玩具メーカーのクローバー社がスポンサーであり、ガンダム関連商品の販売を手掛けていた。だが、それらは従来通りの児童向け合体玩具などであり、当時のロボットアニメのキャラクタービジネスとしては当たり前の物であったが、ガンダムのファン層と対象購買層には若干乖離していた。
一方、当時のバンダイは『宇宙戦艦ヤマト』のプラモデルの販売を手掛けていたが、『ヤマト』のファン層が従来よりも高年齢層であり、それまでのおもちゃ的商品よりも『ヤマト』に登場した艦艇のスケールモデルの人気が高い事を把握していた。
これはそれまでのキャラクターもののプラモデルとは異なる構図でもあり、今回の『ガンダム』にも状況が似ていた。遂にはバンダイに「ガンダムのプラモデルを」との要望が多く寄せられることとなった。
ガンプラ開発
1979年12月、バンダイは『機動戦士ガンダム』のプラモデル商品化権を取得
1979年12月、バンダイは『機動戦士ガンダム』のプラモデル商品化権を取得し、同時に設計・開発がスタートする。低視聴率による打ち切り決定後、人気が盛り上がっていくことを実感し、売れると信じての商品化権の取得だった。
当時のキャラクターモデルのラインナップは300円と700円の2シリーズで展開されることがパターンとなっていたため、ガンダムに関しても従来通り価格帯を300円と700円にすることになった。商品化第一弾は発売価格300円のガンダムのプラモデルと決まる。
開発・設計責任者の松本悟は、その設計センスを高く評価していた村松正敏にメイン設計を任せようと決めていたという。一方の村松も「自分にやらせて欲しい」と申し出ていた。
1980年当時のバンダイ模型のカタログには、ガンダムのプラモデルの発売の告知と共にサイズは「大」「小」の2種の表記がある。加えて『宇宙戦艦ヤマト』の影響から、当初からホワイトベースやムサイがラインナップされている。
村松は「前面と側面の2面図しかなく、図面にすると正面図と側面図とで位置が合わない部分があり、つじつまを合わせるのに苦労した」と当時を振り返っている。また、「特に大変だったのは足首だった」と語る。
これはハメ合わせが固いと動かなくなり、緩いと直立させた時にグラグラするので、ある程度の硬さが必要とされた為である。
両足の角度についても、外側に3度開いている。無論、両足を真っ直ぐに揃えてしまえば設計としては簡単ではあったが、足を開いると踏ん張っているように見える。つまり、キャラクターモデルとしてのカッコよさ、見栄えが良いことからの採用となった。
また、それまでの戦車や車の模型作りで、出来るだけ面を平らにせず丸みをつけることで安っぽく見えないと把握していたため、300円ガンダムにもこれが取入れられた。これにより、腕やもものパーツは表面に丸みを帯びたものとなった。
成形色に関してもテレビ画面では白く見えるものの、セル画では純白ではなくやや竹色がかった白であったため、それを踏襲したものとなった。
設計図面が完成し金型製作が進められていた頃、村松はスケール表記の必要性を感じていた。そこで完成した図面を改めて計測しスケールを算出してみると、ほぼ1/144(144分の1)スケールであることが判明する。
「700円ガンダム」に関しても、明確なスケール設定が無いまま設計が行われたが、1/144ガンダムと同様にスケールを試算したところ、1/97スケールであることが分かった。こちらも誤差の範囲内として「1/100スケール」となった。
当時のキャラクターモデルのラインナップは300円と700円の2シリーズで展開されることがパターンとなっていたため、ガンダムに関しても従来通り価格帯を300円と700円にすることになった。商品化第一弾は発売価格300円のガンダムのプラモデルと決まる。
開発・設計責任者の松本悟は、その設計センスを高く評価していた村松正敏にメイン設計を任せようと決めていたという。一方の村松も「自分にやらせて欲しい」と申し出ていた。
1980年当時のバンダイ模型のカタログには、ガンダムのプラモデルの発売の告知と共にサイズは「大」「小」の2種の表記がある。加えて『宇宙戦艦ヤマト』の影響から、当初からホワイトベースやムサイがラインナップされている。
村松は「前面と側面の2面図しかなく、図面にすると正面図と側面図とで位置が合わない部分があり、つじつまを合わせるのに苦労した」と当時を振り返っている。また、「特に大変だったのは足首だった」と語る。
これはハメ合わせが固いと動かなくなり、緩いと直立させた時にグラグラするので、ある程度の硬さが必要とされた為である。
両足の角度についても、外側に3度開いている。無論、両足を真っ直ぐに揃えてしまえば設計としては簡単ではあったが、足を開いると踏ん張っているように見える。つまり、キャラクターモデルとしてのカッコよさ、見栄えが良いことからの採用となった。
また、それまでの戦車や車の模型作りで、出来るだけ面を平らにせず丸みをつけることで安っぽく見えないと把握していたため、300円ガンダムにもこれが取入れられた。これにより、腕やもものパーツは表面に丸みを帯びたものとなった。
成形色に関してもテレビ画面では白く見えるものの、セル画では純白ではなくやや竹色がかった白であったため、それを踏襲したものとなった。
設計図面が完成し金型製作が進められていた頃、村松はスケール表記の必要性を感じていた。そこで完成した図面を改めて計測しスケールを算出してみると、ほぼ1/144(144分の1)スケールであることが判明する。
「700円ガンダム」に関しても、明確なスケール設定が無いまま設計が行われたが、1/144ガンダムと同様にスケールを試算したところ、1/97スケールであることが分かった。こちらも誤差の範囲内として「1/100スケール」となった。
いよいよガンプラの販売開始(1/144スケールを中心に)
ガンプラCM詰合せ - YouTube
via www.youtube.com
1980年7月19日 「1/144 ガンダム」販売開始
他の作品も含めてシリーズ化されていた「ベストメカコレクション」の第4弾として、『機動戦士ガンダム』の初回テレビ放送終了から6か月後の1980年7月19日に「1/144 ガンダム」の販売を開始。
これが初の「ガンプラ」となった。1/144スケールで1個300円と、男児向け玩具としては超合金シリーズ等と比べて低価格であった。なお、「1/100ガンダム」も同じく7月発売であるが、同時発売ではない。ボックスアート(箱絵)に関しても、モビルスーツのほかにパイロットが描かれるという異例なものとなった。
1/144スケールでは「量産型ゲルググ」や「ドダイYS」などの一部を除いて、多くのキットの箱絵にパイロットが描かれた。やがてガンプラの知名度の上昇や、箱絵のイメージイラストとしての雰囲気を前面に押し出す形となったことで、1982年6月発売の「1/250・1/550ザクレロ」を最後に収束となった。
これが初の「ガンプラ」となった。1/144スケールで1個300円と、男児向け玩具としては超合金シリーズ等と比べて低価格であった。なお、「1/100ガンダム」も同じく7月発売であるが、同時発売ではない。ボックスアート(箱絵)に関しても、モビルスーツのほかにパイロットが描かれるという異例なものとなった。
1/144スケールでは「量産型ゲルググ」や「ドダイYS」などの一部を除いて、多くのキットの箱絵にパイロットが描かれた。やがてガンプラの知名度の上昇や、箱絵のイメージイラストとしての雰囲気を前面に押し出す形となったことで、1982年6月発売の「1/250・1/550ザクレロ」を最後に収束となった。
via inular.net
第2弾はシャアザク!!
ガンプラ初の宇宙艦モデルである1/1200スケール「量産型ムサイ」(1980年8月発売)を経て、1/144スケールの第2弾は「シャア専用ザク」と決まり、1980年9月に発売となった。
だが、「1/144 ガンダム」での教訓から金型納期の短縮を考慮し、ヒザ関節は可動するものの足首は固定となった。足首が曲がらないことに対して社内で議論にならなかったわけではなかったが、大きな問題とはならなかった。
しかし、発売から1年後に漫画『プラモ狂四郎』の作中で、それが弱点として取り上げられるほど、ファンの関心は高かった。ちなみに1/144スケール第3弾となった「改良強化新型グフ」(1980年11月発売)では、ザクと似た形状ながら足首は可動式となった。
また、ガンプラの設計担当者たちは、自分の担当するモビルスーツの関節機構やプロポーションの改善に、秘めたるライバル意識をもって競い合っていったという。結果として、ガンプラは新作が発売されていくにつれて関節ギミックは進化し、前後稼働から左右にスイングする様になっていった。
また、肩関節についても前後へのスライド機能を持たせたことで、マシンガンなどの武器を両手で構えられるようになった。
だが、「1/144 ガンダム」での教訓から金型納期の短縮を考慮し、ヒザ関節は可動するものの足首は固定となった。足首が曲がらないことに対して社内で議論にならなかったわけではなかったが、大きな問題とはならなかった。
しかし、発売から1年後に漫画『プラモ狂四郎』の作中で、それが弱点として取り上げられるほど、ファンの関心は高かった。ちなみに1/144スケール第3弾となった「改良強化新型グフ」(1980年11月発売)では、ザクと似た形状ながら足首は可動式となった。
また、ガンプラの設計担当者たちは、自分の担当するモビルスーツの関節機構やプロポーションの改善に、秘めたるライバル意識をもって競い合っていったという。結果として、ガンプラは新作が発売されていくにつれて関節ギミックは進化し、前後稼働から左右にスイングする様になっていった。
また、肩関節についても前後へのスライド機能を持たせたことで、マシンガンなどの武器を両手で構えられるようになった。
via inular.net
第3弾はグフ!!
発売済みのガンプラについても改良が加えられていった。たとえば「1/144 ガンダム」は、当初ビームサーベルのパーツが2本しか付属しなかった。
これでは背中のランドセルに収納した状態を再現して制作した際、サーベルを切断して短くしなければならず、手に持たせられなくなる。そのため、バンダイのお客様相談センターには「ビームサーベルのパーツを分けて欲しい」という部品請求が急増した。
バンダイ側は第3回目の追加生産の際に、ランナー外にビームサーベルを追加で彫刻したという。
1980年12月には、1/144スケール第4弾の「量産型ズゴック」と共に、ガンプラ初の1/60スケールモデルとして「ガンダム」、「シャア専用ザク」、「量産型ザク」の3種が発売となった。
これでは背中のランドセルに収納した状態を再現して制作した際、サーベルを切断して短くしなければならず、手に持たせられなくなる。そのため、バンダイのお客様相談センターには「ビームサーベルのパーツを分けて欲しい」という部品請求が急増した。
バンダイ側は第3回目の追加生産の際に、ランナー外にビームサーベルを追加で彫刻したという。
1980年12月には、1/144スケール第4弾の「量産型ズゴック」と共に、ガンプラ初の1/60スケールモデルとして「ガンダム」、「シャア専用ザク」、「量産型ザク」の3種が発売となった。
via inular.net
ガンプラは日本のプラモデル史上最大のヒットで、バンダイを模型業界のトップに押し上げた原動力となった。
キャラクターモデルとしては異例なほど長期シリーズとなったガンプラは時代ごとの要請を取り入れ、色プラ・ポリキャップといった新素材の採用、接着剤不要のスナップキットの登場、関節の可動範囲の拡大等で、現在では組み立てるだけでアニメや設定に近い色分けや作中のポーズに出来る事は当たり前となっている。