デヴィッド・ボウイ、ジャパン、デュランデュラン…と、80年代はロックもビジュアル化、“ニューウェーブ”旋風が吹き荒れます。
2015年9月16日 更新

デヴィッド・ボウイ、ジャパン、デュランデュラン…と、80年代はロックもビジュアル化、“ニューウェーブ”旋風が吹き荒れます。

70年代後半のパンク・ムーブメント以降、英国から沸き起こった新しい音楽の波。それが、まさに“ニュー・ウェイヴ”。ニュー・ウェイヴは音のスタイルとして見れば、テクノからスカ、ネオ・サイケ、ネオ・アコ、インダストリアル/ノイズ、ファンカラティーナなど多様ですが、ディスコテイックな曲調と独特なファッションが共通項といえるでしょう。

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坂本龍一(イエローマジックオーケストラ)

坂本龍一(イエローマジックオーケストラ)

ジョン・テイラー(デュランデュラン)

ジョン・テイラー(デュランデュラン)

デヴィッド・シルヴィアンと、坂本龍一に共通していることは、センシティブな雰囲気があるところ?どちらも、シャドーが効いてます。

ジャパン

ジャパンは、まさに逆輸入バンド。本国の英国ではほとんど人気のなかったバンドでした。しかし日本では、初来日でいきなり武道館での公演を行ったため、ファンの層は厚く、デヴイッド・シルビアンのルックスやファッションが、流行に敏感な若者たちに受け、知名度が一気に上がりました。
ジャパン

ジャパン

メンバー:デヴィッド・シルヴィアン(vocal)、ミック・カーン(bass)、スティーヴ・ジャンセン(drums)、リチャード・バルビエリ(keyboard)
ジャパン (Japan) は、イギリスのニュー・ウェーヴバンド。デヴィッド・シルヴィアンを中心に1974年結成。1982年解散。デヴィッド・シルヴィアンとその弟スティーヴ・ジャンセン、デヴィッドの親友であったミック・カーンを中心に結成。カーンの兄の結婚式にバンドとして最初のお披露目をした。当初はカーンをリードボーカルとして練習していたが、本番直前になって怖じ気づいたカーンが、シルヴィアンに無理矢理頼み込んでボーカルを代わってもらい、以降シルヴィアンがリードボーカルとなった。その後高校の同級であったリチャード・バルビエリを誘い、更にオーディションでロブ・ディーン(英語版)を迎え入れ、デビュー当初のバンドの形態となった。

Ghosts(1981)

1981年にリリースした「Tin Drum(錻力の太鼓)」から、シングルカットされた曲。このアルバムは、アフリカン・ビートや東洋音楽の意匠を取り入れ、独特のリズム解釈やグルーヴを追求しています。シングル「Ghosts(ゴウスツ)」はバンド最高のヒットを記録。

JAPAN - Ghosts - YouTube

全編ソフトフォーカス効果が施された、幻想的なビデオクリップ。この曲の東洋的でダークなサウンドとデヴィッド・シルビアンのルックスが見事に調和しています。デヴィッドの持つ妖艶な美しさに、引き込まれていく…。

Y.M.O

申し上げるまでもなく、日本のテクノポップの先駆者であり、大ブームを起こしたY.M.O。メンバーの全員が超一流のミュージシャンであり、今でも日本ポップ界を陰で支えています。
念のため、メンバー紹介をいたしましょう。on Base 細野晴臣,on Drum&Vocal 高橋幸宏,on Keyboard 坂本龍一
では、お聴きください。曲は、ライディーン!

ライディーン(1980)

TECHNOPOLIS RYDEEN - YouTube

1983年のライヴ映像。
メンバー3人が若すぎる。ファッションが、時代を映し出しています。坂本龍一の妖艶な魅力に脱帽です!
イエロー・マジック・オーケストラ (英: Yellow Magic Orchestra) は、日本の音楽グループ。1978年に結成。通称、YMO(ワイ・エム・オー)。1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。
メンバーの3人のライヴは、いつ観ても新鮮で、全く年齢を感じさせません。神がかっています。

Y.M.Oファッション

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)

メンバー:細野晴臣(bass)、高橋幸宏(drums/vocal)、坂本龍一(keyboard)
普遍的なトリオバンドです。
YMOは、そのファッションも特徴的であった。特に、初期のアルバムジャケットやライヴでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、明治時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その形状が中華人民共和国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった)、そして、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」(本多三記夫考案)と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげ無し)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されている。

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