直球勝負を持ち味に広島を沸かせた【池谷公二郎】
2016年11月25日 更新

直球勝負を持ち味に広島を沸かせた【池谷公二郎】

1974年の広島初優勝にも大きく貢献した池谷公二郎。基本的に真っ向勝負を挑むことで本塁打を打たれることも・・・。広島黄金期を支えた名投手でもある池谷公二郎の現役時代と今を語る。

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広島黄金期を担った池谷公二郎は大投手であった。

池谷公二郎(いけがや こうじろう)

池谷公二郎(いけがや こうじろう)

1952年6月28日生まれ
身長178㎝、体重78kg
右投げ、右打ち
ポジション:投手

広島初優勝から広島黄金期の投手軸を支えてきた大投手。
入団2年目で18勝を挙げて、3年目には最多勝、沢村賞を獲り凄い勝率6割以上を守ってきた広島の英雄です。
あの広島の大投手。外木場義郎と肩を並べて、ローテーションの一角を担ってきた大投手である。
広島市民球場という特性もからか、被本塁打の日本記録も持っている。

池谷公二郎の獲得タイトルや主な表彰と記録

最多勝:1回 (1976年)
最多奪三振:2回 (1976年、1977年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰

表彰

最優秀投手:1回 (1976年)
ベストナイン:1回 (1976年)
沢村賞:1回 (1976年)
月間MVP:1回 (1976年7月)

オールスターゲーム出場:2回 (1975年 - 1976年)

池谷公二郎のプレースタイルは?

特徴のある投法でバッターをなぎ倒す投手

特徴のある投法でバッターをなぎ倒す投手

シーソー投法とかぎっこんばったん投法とも呼ばれる右腕を腰の後ろまで回し、左腕を高く掲げて、遠心力で投げる投法でバッターとストレート真っ向勝負を挑むプレースタイルである。
肩を壊すまでは、三振の山を築き上げた広島屈指の直球派投手である。

カーブとストレートを球種にもち、ほぼ6割以上がストレートという配球をする投手であった。

その球種だけで、これだけ三振を獲っていたというのは素晴らしい投手ということでしょう。

池谷公二郎のプロに入るまでの軌跡

静岡商業高校時代、1年時は同学年の新浦壽夫(池谷より1歳年上だが、同校の定時制から全日制へ編入)の存在もあり控え投手。新浦が1年で中途退学し読売ジャイアンツに入団したため、2年時にはエースとして期待されたが伸び悩み、1年先輩である松島英雄(のち大洋ホエールズ)の控え。3年生でエースとなり県内ではほぼ負け知らずであったが、夏の県大会では2回戦で番狂わせの敗退。
高校卒業後、社会人野球へ進み、金指造船所に入社するも1年も経たず野球部が解散、特別措置で近鉄バファローズに7位指名されたがそれを拒んで日本楽器に移籍。1972年の第43回都市対抗野球大会では主にリリーフとして活躍し優勝に貢献。同年のドラフト1位で広島東洋カープに指名されたが、入団は翌年1973年シーズン終了後にずれ込んだ[1]。これは、同じく日本楽器のエース新美敏が東映フライヤーズ(翌年2月より、日拓ホームフライヤーズ)に入団するため、主力投手が二人抜ける事態になる会社側から待ったがかかったため。1973年のドラフト会議前に広島入りした。

赤ヘル軍団の1角として活躍を始める池谷公二郎

1975年のカープ初優勝の時は、広島の大投手、外木場義郎の20勝に次ぐ18勝を挙げリーグ優勝に大きく貢献した。

そして、翌年の1976年には20勝の最多勝に沢村賞、最多奪三振と広島東洋カープのエースとして活躍し、3度のリーグ優勝と、2度の日本一に貢献した投手である。

早咲きな選手だったのか、早々と肩を痛めてしまい、その後は、中継ぎ、抑えと活躍の場を広げるが、だんだんと成績が芳しくなっていき、1985年に古葉監督の勇退と一緒に現役生活を終えた。
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特に、全盛期の76年、77年は2年連続で奪三振王にも輝くほどで、あの王貞治が引退を決意した要因に、池谷のストレートについていけなくなったからと言わしめたほどであった。

1982 池谷公二郎 1 - YouTube

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引退後の池谷の活躍!広島の人気者に!!

解説者を経てコーチとしてカープに復帰[1]。読売ジャイアンツでも投手コーチを務め1998年は一軍、1999年~2001年は2軍、2004年に一軍投手コーチを務めたが当時球団ワーストのチーム防御率の4.50を記録し、同年限りで辞任した[2]。
現在は日本テレビ・広島テレビ・ラジオ日本の野球解説者[1]。カープでは津田恒実と双璧、と言われる程人柄のいい人物として知られ広島のローカル番組にもよく出演している。
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