【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選
2023年7月22日 更新

【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選

今回注目するのは、投手の「最多負け越し記録」。この記録を作るには、チームの主力投手として登板数が多く、なおかつチームが低迷して敗北数も多い必要があります。実際に名を連ねるのは、タイトルを獲得するほどの名投手ばかり。今回は、1970年以後、年間11敗以上負け越している6投手を見てみます。

613 view

【負け越し13】山内新一(南海)3勝16敗

1978年 成績
3勝16敗 防御率4.91


山内新一は、元々は読売ジャイアンツの投手で、1973年のオフ、富田勝とのトレードで南海ホークスに移籍します。巨人では4年間でわずか14勝でしたが、南海では "野村再生工場" で、移籍初年にいきなり20勝を記録。その後も南海のエースとして、毎年二桁勝利を挙げる活躍を見せ、1976年には二度目の20勝を記録しました。

しかし、野村が南海を去った1978年は、チームの低迷とともに山内の記録も低迷。4月5日には日本ハム戦で完封勝利を挙げますが、その後は11連敗を喫します。エースとして一年間フルに登板するも、成績はなんと3勝16敗前々年20勝した投手が、13も負け越す屈辱的な結果となりました。防御率はリーグ最下位の20位で、チームもまた前後期ともに最下位でした。

1984年には阪神タイガースに移籍。優勝した1985年には5試合に登板し、1勝を挙げています。その年に引退しました。

山内新一

【山内新一 南海】ドラフト2位で巨人入団し5年間で14勝がホークス移籍で開花し一緒に移籍した松原明夫と共に優勝に貢献!その後5年連続二桁勝利で20勝2回。試合連続先発登板311のNPB記録も達成

【負け越し12】河原明(西鉄)4勝16敗

1971年 成績
4勝16敗 防御率5.45


河原明は、1967年のドラフト1位で西鉄ライオンズに入団。東尾修の1年先輩で、1969年には2年目ながらエース池永正明に次ぐ12勝を挙げます。1970年の黒い霧事件以後は、東尾と二人で投手陣を牽引。しかし、その1970年は13勝19敗とリーグ最多敗(東尾は11勝18敗)、そして、1971年には、初戦こそ勝利を挙げるも4勝16敗と、東尾の8勝16敗と並んでリーグ最多敗を記録してしまいます。規定投球回数をクリアした投手の中で、防御率はダントツの最下位(23位)でした。

1975年には、江藤慎一とのトレードで、大洋ホエールズに移籍しますが、故障などあり、その年に引退しました。

【負け越し12】清俊彦(近鉄)5勝17敗

1973年 成績
5勝17敗 防御率4.71


清俊彦は、元々は西鉄ライオンズの選手でしたが、1968年に近鉄バファローズに移籍。すると、初年度から頭角を現し、1969年には18勝7敗 勝率.720最高勝率のタイトルを獲得します。1972年には19勝14敗 防御率2.36で、最優秀防御率のタイトルも獲得。鈴木啓示に次ぐチームのエースとして、投手陣を牽引しました。

しかし、タイトルを獲得した翌1973年に、チームは低迷。チームが最下位に転落しただけでなく、自身の記録も5勝17敗と大きく負け越す結果となりました。防御率は、前年1位からまさかの最下位(25位)に転落。その後は登板数が減り、1976年に阪神に移籍するも、シーズン半ばに引退しました。

2017年11月15日、肺炎のため、72歳で亡くなっています。

【負け越し12】佐々岡真司(広島)5勝17敗

1993年 成績
5勝17敗 防御率4.33


佐々岡真司は、1989年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。ルーキーの1990年には、チーム最多の13勝、17セーブを挙げ、1年目から先発、抑えに大活躍します。そして、キャリアハイとなる2年目の1991年は、17勝9敗 防御率2.44で、最多勝利、最優秀防御率のタイトルを獲得。チームはリーグ優勝し、セ・リーグのMVP、沢村賞投手として表彰されました。

しかし、そのわずか2年後の1993年、チームは、4月こそ開幕6連勝、11勝4敗と首位を独走しますが、達川光男捕手が前年引退した影響が大きく、その後は最下位まで転落。佐々岡はリーグ最多の17敗を喫し、まさかの防御率最下位となってしまいました。

その後も広島の主力投手として、1996年、1997年には抑え投手として活躍。1999年5月8日の中日戦では、プロ野球史上67人目のノーヒットノーランを達成しています。プロ通算18年間、広島一筋で、2020〜2022年には監督も務めました。

1999年ノーヒットノーランを記録した佐々岡真司

1999.5.8 広島vs中日8回戦 18/19

2007年佐々岡真司と古田敦也との最後の対戦

古田最後の打席 佐々岡と対戦

【負け越し11】森繁和(西武)5勝16敗

1979年 成績
5勝16敗7S 防御率4.51


西武ライオンズが誕生したのが1979年。その前年ドラフト1位で西武に入団し、チームの一年目を担った一人が森繁和です。開幕2戦目の近鉄戦に先発登板しますが、4回途中でKO。開幕から6連敗で、初白星を挙げたのは5月9日の南海戦でした。規定投球回数に到達したのは、松沼兄、東尾、森の3人で、森は16敗を喫し、防御率はリーグ20位。西武の初年度は、総合成績43勝73敗12分と最下位に終わりました。

その後はチームの躍進とともに成績を伸ばし、1983年には抑えの切り札として活躍。5勝5敗34セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得し、チームの日本一に貢献しました。

引退後は、監督・コーチとして活躍。2004年からは中日ドラゴンズの名コーチとして、落合博満監督を支え、4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成しました。

1983年オールスターゲームの森繁和

1983 森繁和 1

【負け越し11】森口益光(南海)3勝14敗

22 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手は3人。しかし、セ・パ全12球団から "敗北を喫した投手" はたった1人しかいません。それは、誰もが知るあの投手。所属した先々で、数々の伝説を残した大投手です。そんな大投手の "全球団初敗北" の軌跡を振り返ります。
izaiza347 | 2,530 view
80,90年代に活躍したプロ野球名キャッチャー

80,90年代に活躍したプロ野球名キャッチャー

プロ野球と言えば、ニュースに出るのはピッチャーやホームランバッターばかりですが、試合のカギを握ると言われるポジションが「キャッチャー(捕手)」です。まさに通が好むポジションであるキャッチャーで、80,90年代に活躍したプロ野球名キャッチャーをプレイバックしていきましょう。
yt-united | 10,062 view
伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

オールスター9者連続三振や、江夏の21球など、数々の伝説を作ってきた男、江夏豊。プロ野球の5球団を渡り歩き、獲った三振の数は2987奪三振と三振の山を築きました。先発でも活躍し、抑えても大活躍の投手はなかなかいないでしょう。人間としても魅力的な江夏豊の今と昔を振り返ります。
takaboo | 48,662 view
【池谷公二郎】三振かホームラン!? 被本塁打のシーズン歴代最多記録を持つ広島のエース

【池谷公二郎】三振かホームラン!? 被本塁打のシーズン歴代最多記録を持つ広島のエース

シーソー投法と呼ばれたダイナミックな投球フォーム。広島ファンならずとも、真似しようとしたプロ野球ファンは多かったのではないでしょうか。ストレート真っ向勝負が多かったことから、奪三振も被本塁打も多かった投手で、広島の躍進に大いに貢献したエースです。そんな池谷公二郎投手の記録を振り返ります。
izaiza347 | 156 view
【日本シリーズ】口は災いの元!? シリーズの流れを変えた!? ヒーローインタビュー3選

【日本シリーズ】口は災いの元!? シリーズの流れを変えた!? ヒーローインタビュー3選

長丁場のペナントレースと違って、日本シリーズは短期決戦。シリーズの行方は予断を許しません。過去には、いきなり3連勝して圧倒的優位に立つも、ヒーローインタビューでの発言を機に、形勢が逆転した(ように見えた)シリーズがありました。1975年、1986年、1989年の3回です。各シリーズを振り返ります。
izaiza347 | 734 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト