プロ初勝利がノーヒットノーラン!
外木場義郎は、1945年生まれの鹿児島県出水市出身。出水高校から社会人野球を経験し、1964年秋に広島(東洋)カープに入団します。
1965年、プロ1年目から即戦力として起用され、シーズン後半に活躍。驚くべきは10月2日の阪神戦で、プロ2度目の先発登板(初登板は2回2/3無失点で降板、実質の初先発)ながら、プロ初勝利をなんとノーヒットノーランで達成しました。投球数わずか96球で、与えたのは4回裏の1四球のみ。相手投手の村山実も2失点で完投しており、プロ1年目の新人投手が、大エース相手にとんでもない記録を達成してしまったのです。
1965年、プロ1年目から即戦力として起用され、シーズン後半に活躍。驚くべきは10月2日の阪神戦で、プロ2度目の先発登板(初登板は2回2/3無失点で降板、実質の初先発)ながら、プロ初勝利をなんとノーヒットノーランで達成しました。投球数わずか96球で、与えたのは4回裏の1四球のみ。相手投手の村山実も2失点で完投しており、プロ1年目の新人投手が、大エース相手にとんでもない記録を達成してしまったのです。
外木場がまず最初にノーヒットノーランを達成したのは、新人年の1965(昭和40)年10月2日、甲子園での阪神戦のこと。「新人年」というだけでも特筆モノだが、実はこの日の登板は代役先発だったという。当初の先発予定は大羽進。ところが大羽の体調が思わしくなく「お鉢が回ってきた」(外木場)のである。
(中略)
ところが、この日の外木場は制球が安定、大きなカーブはコースに決まり、自慢の速球もビッシビシ。終わってみれば3回に1四球を与えたのみの「準完全試合」を達成してしまったのだ。しかもこれが「プロ初完投、初完封、初勝利」のオマケ付きで・・・
プロ野球史上10人目の完全試合!
翌年以降も活躍が期待されましたが、1966〜1967年は凡庸な結果に終わります。そして、最初のキャリアハイとなったのが1968年です。
1968年は、根本陸夫新監督から期待され、先発ローテーションの一角を任されます。外木場は開幕から好調で、2戦目となった4月14日大洋戦を完封勝利。その後も順調に勝ち星を挙げ続け、シーズン後半その日を迎えます。
9月14日大洋戦。この日は、ストレートの速球とカーブのコントロールが冴え渡り、打者を次々に三振に切って取る快投。打者27人をすべてアウトにし、終わってみれば、16奪三振のセ・リーグタイ記録(2023年9月現在も、1試合の奪三振ではセ・リーグ最多記録)で、史上10人目の完全試合を達成しました。
この年の成績は、21勝14敗 防御率1.94。チーム初のAクラスに貢献し、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
1968年は、根本陸夫新監督から期待され、先発ローテーションの一角を任されます。外木場は開幕から好調で、2戦目となった4月14日大洋戦を完封勝利。その後も順調に勝ち星を挙げ続け、シーズン後半その日を迎えます。
9月14日大洋戦。この日は、ストレートの速球とカーブのコントロールが冴え渡り、打者を次々に三振に切って取る快投。打者27人をすべてアウトにし、終わってみれば、16奪三振のセ・リーグタイ記録(2023年9月現在も、1試合の奪三振ではセ・リーグ最多記録)で、史上10人目の完全試合を達成しました。
この年の成績は、21勝14敗 防御率1.94。チーム初のAクラスに貢献し、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
前日からの雨はやまず、朝の「9時か10時くらいまで降っていた」(外木場)が、一方で「あとから思えば、その天候が幸いして条件は揃っていた」とも。湿気が多かったことで「よく指にボールはかかるし、内野ゴロのイレギュラーはない。(靄で)外野はちょっと見づらかったでしょうけど、フライはほとんど打たれませんした」という。
終わってみれば、外野フライ4(うち1つは外邪飛)、内野ゴロ7、奪三振16、114球の快投で完全試合を達成したのだ。
安仁屋宗八 vs. 高橋慶彦 対談より
【カープOBを回る旅】安仁屋さんが認めたライバル!外木場義郎【安仁屋宗八】【高橋慶彦】
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池谷公二郎 vs. 高橋慶彦 対談より
【カープOBを回る旅】外木場さんのカーブがすごすぎてバッターが尻もち!【池谷公二郎】【高橋慶彦】
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3度目のノーヒットノーラン達成!
ノーヒットノーランを二度、しかも一つは完全試合という快挙を果たした外木場。二度あることは三度あるのでしょうか。
1972年4月29日の巨人戦。この年、外木場は開幕から2連敗でしたが、この日は絶好調。V9時代の無敵の巨人を相手に、7回2アウトまでパーフェクトピッチングを続けます。その後惜しくも王貞治に四球を与え、8回に失策がありましたが、わずか1四球1失策で、3度目のノーヒットノーランを達成しました。
ノーヒットノーランを三回達成した投手は、2023年9月現在でも、あの沢村栄治と外木場義郎だけ。2リーグ制以降では、外木場が唯一です。
1972年4月29日の巨人戦。この年、外木場は開幕から2連敗でしたが、この日は絶好調。V9時代の無敵の巨人を相手に、7回2アウトまでパーフェクトピッチングを続けます。その後惜しくも王貞治に四球を与え、8回に失策がありましたが、わずか1四球1失策で、3度目のノーヒットノーランを達成しました。
ノーヒットノーランを三回達成した投手は、2023年9月現在でも、あの沢村栄治と外木場義郎だけ。2リーグ制以降では、外木場が唯一です。
外木場義郎
【プロ野球唯一の記録を持つ投手 外木場義郎】レジェンドゲーム出場選手の現在
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広島初優勝!沢村賞!最多勝!
これだけの記録を残しながら、1969年、1973年、1974年にはセ・リーグのシーズン最多敗を記録。しかも、防御率はいずれの年も2点台です。当時の広島は弱小チームで、投手が好投しても報われないことたびたびでした。
その鬱憤を晴らすかのように、チームが覚醒したのが1975年。この年、外木場は、先発3本柱(外木場、佐伯、池谷)の筆頭として活躍するようになります。130試合中、3人が先発したのはなんと112試合。外木場40試合、佐伯36試合、池谷36試合で、中2〜3日が当たり前の過酷なローテーションを守り抜きました。なんと3人で挙げた勝ち星が53勝。3人とも15勝以上で勝ち越し、ついにチームを初優勝に導きました。
因みに、先発3本柱の成績は次の通りです。
外木場 20勝13敗 防御率2.95
佐伯 15勝10敗 防御率2.90
池谷 18勝11敗 防御率3.32
外木場は、最多勝利のタイトル獲得に加え、沢村賞、最優秀投手、ベストナインでも表彰。今では考えられない40試合に先発したため、最多完投、最多完封、最多奪三振だけでなく、最多与四球、最多失点、最多自責点まで記録しました。"初優勝に最も貢献した投手" と言っても過言ではないでしょう。
その鬱憤を晴らすかのように、チームが覚醒したのが1975年。この年、外木場は、先発3本柱(外木場、佐伯、池谷)の筆頭として活躍するようになります。130試合中、3人が先発したのはなんと112試合。外木場40試合、佐伯36試合、池谷36試合で、中2〜3日が当たり前の過酷なローテーションを守り抜きました。なんと3人で挙げた勝ち星が53勝。3人とも15勝以上で勝ち越し、ついにチームを初優勝に導きました。
因みに、先発3本柱の成績は次の通りです。
外木場 20勝13敗 防御率2.95
佐伯 15勝10敗 防御率2.90
池谷 18勝11敗 防御率3.32
外木場は、最多勝利のタイトル獲得に加え、沢村賞、最優秀投手、ベストナインでも表彰。今では考えられない40試合に先発したため、最多完投、最多完封、最多奪三振だけでなく、最多与四球、最多失点、最多自責点まで記録しました。"初優勝に最も貢献した投手" と言っても過言ではないでしょう。
外木場義郎
【外木場義郎 広島】完全試合の映像は貴重!田淵幸一への側頭部死球で耳付きヘルメット義務化へ。ダイナミックなフォームからの投球で弱いカープを支え続け1975年初優勝に大きく貢献!日本シリーズオマケ映像も
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通算防御率2.88!なのに負け越し・・・
外木場の通算成績は、131勝138敗3セーブ 防御率2.88。通算でも2点台の防御率、3度のノーヒットノーランをもってしても、負け越してしまったのは、外木場の最盛期が巨人のV9と重なり、優勝までは万年Bクラス(1度だけAクラス)の弱小チームだったせいでしょう。
しかし、これらの成績が評価され、2013年にはエキスパート部門表彰で野球殿堂入りを果たしています。
しかし、これらの成績が評価され、2013年にはエキスパート部門表彰で野球殿堂入りを果たしています。
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