こちらのご出演で、小川知子さんは官能的なカットに挑戦してエランドール賞・新人賞を獲得されています。
しかし、彼女は青春路線をやるという約束で東映に入社したはずなのに、違う方向に進んでいく現実に違和感を覚えるように。
次回作『尼寺(秘)物語』の出演が持ち上がると、彼女は当初の話と違うと単身で東映本社に乗り込んで東映との契約を解消しました。
1968年発売のシングル『ゆうべの秘密』
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こちらの楽曲はオリコンで一位を獲得し、彼女の歌手としてのキャリアを代表するものとなります。なぜか遠く離れた南米コロムビアにおいても『ゆうべの秘密』は『Amor japonés』のタイトルでヒットし、AKAINA AKAMOTOという歌手が歌ったことになっています。
NHK紅白歌合戦には、1968年から1970年まで3年連続で出場されましたね。
1969年には、当時、恋人として交際していたレーシングドライバー兼モデルの福澤幸雄さんが事故死。当時、フジテレビ系列で放送していた歌番組『夜のヒットスタジオ』の収録中…
同年発売のシングル『初恋のひと』
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こちらの楽曲を歌って泣き崩れてしまったのは、テレビ業界に衝撃を与え、現在でも伝説的なエピソードとして語り継がれていますね。
1970年代に入っても、小川知子さんは歌手・女優としてテレビドラマを中心にご活躍。
小川知子さんはこちらの作品でも官能的な場面に挑戦。
『大奥(秘)物語』のときより更に成長を果たした彼女。その魅力は、大人の女性として完熟した雰囲気を放っていますね。
『大奥(秘)物語』のときより更に成長を果たした彼女。その魅力は、大人の女性として完熟した雰囲気を放っていますね。
1973年には福澤幸雄さんの死を乗り越えたいと、自ら監督・撮影・録音をこなし、出演して自ら主題歌を歌ったドキュメンタリー番組『マカオ・グランプリ』を制作されました。
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1975年には大手の芸能事務所から離れ、当時では珍しく個人事務所を設立しています。
1977年には、俳優・林与一さんとご結婚。
しかし、二人の結婚生活は長続きせず、その後に離婚されてしまいました。
しかし、二人の結婚生活は長続きせず、その後に離婚されてしまいました。
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離婚後、美術評論家の伊東順二さんと再婚。そのままご夫婦は現在に至ります。
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1991年には、作家として活動していた景山民夫さんとともに宗教団体・幸福の科学の広告塔になったことも大きな話題になりました。
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