和製シルヴィ・ヴァルタン
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1947年に生まれた奥村チヨは1965年に東芝から歌手デビューをしています。高校在学中に友人が応募したオーディションがきっかけでCMソングを歌ったことが始まりでした。
その時に「和製シルヴィ・ヴァルタン」として売り出したとされています。
その時に「和製シルヴィ・ヴァルタン」として売り出したとされています。
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小悪魔的なルックスと甘い歌声で殿方のファンを徐々に増やし、4枚目のシングル曲「ごめんネ・・・ジロー」でトップアイドルとしての地位を確立したようです。
同時期に活躍してた黛ジュンと小川知子と共に「東芝3人娘」と呼ばれテレビやラジオなどで活躍していました。
同時期に活躍してた黛ジュンと小川知子と共に「東芝3人娘」と呼ばれテレビやラジオなどで活躍していました。
「東芝3人娘」って?
現在の「EMIミュージック・ジャパン」が「東芝」と名乗っていた頃に所属していた同時にに活躍していた歌手、黛ジュンと小川知子と一緒に「東芝3人娘」と呼ばれ活躍していたと先に述べましたが、奥村チヨがデビューした60年代、70年代は「〇〇3人娘」や「〇〇トリオ」など1人で活躍している歌手をユニット的な扱いで商品化していることが多く見られた時期でした。
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小川知子 夕べの秘密
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♪恋のハレルヤ 黛ジュン (1982)
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この頃の歌手は歌唱力を問われる時代だったので、アイドル歌手というジャンルでも厳しく歌唱指導されていたと聞いたことがあります。10代でも安定感のある歌で挑んでいたため歳を重ねても耳障りになることなく聴けてしまう魅力があります。
試行錯誤するシングル曲
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可愛らしい姿でデビューした奥村チヨのデビュー曲は「あなたがいなくても」というきょくでした。アイドルという概念から考えるとポップスというよりはニューミュージック系に属するような曲ですがこの時代はこのような曲が流行った時代でした。
奥村チヨ-あなたがいなくても 1965
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歌唱力がなくては歌手と認知されることが難しかった時代にデビューしたこともあって歌唱力は今のアイドルとは比べ物になりません(比べる方が失礼ですね)。この容姿とこの歌唱力で一躍トップスターになったとはならないのは1960年代の難しさです。
4枚目にリリースしたシングル「ごめんネ・・・ジロー」で老若男女問わず周知されるようになったように記憶しています。実際、筆者はんまのままも「ごめんネ・・・ジロー」で奥村チヨという歌手の存在をしりました(懐メロ的歌番組でですが・・・)。
4枚目にリリースしたシングル「ごめんネ・・・ジロー」で老若男女問わず周知されるようになったように記憶しています。実際、筆者はんまのままも「ごめんネ・・・ジロー」で奥村チヨという歌手の存在をしりました(懐メロ的歌番組でですが・・・)。
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全国的に奥村チヨを有名にしたのは17枚目にリリースした「恋の奴隷」だと思います。ですがこのこの曲を発売するまでにアメリカで活躍していバンド、ザ・ベンチャーズが作曲した「北国の青い空」などにトップスターなるために試行錯誤しています。
デビュー:1965年
独特な声とその魅力的なルックスで男性ファンが多い。