90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男
2016年4月11日 更新

90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男

現在、「イッテQ」「鉄腕ダッシュ」「しゃべくり007」など絶好調の日テレバラエティですが、1980年代半ば、ひょうきん族を始めとした時代を形成していたフジテレビはおろか、TBSにも後塵を拝していた時期がありました。そんな苦境の日テレを救ったと言われているのがプロデューサー土屋敏男です。そんな彼が築いた伝説の番組をプレイバックしていきましょう。

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ダウンタウンのガキの使いじゃあらへんで

フジテレビ「夢で逢えたら」の現場にも、他局にもかかわらず足しげく通い、ダウンタウンとの親交を深めていった。
「ガキ使」と言えば、ガースーこと菅賢治プロデューサーが有名ですが、ガキ使開始当時、土屋は編成に異動しており、真っ先に「ガキ使」の企画を通したとか。

松本 vs 浜田 100本勝負!! 名場面集 ガキの使い - YouTube

ガキの使い 廻って廻って顔面一変化 1-2 - YouTube

ガキの使い 廻って廻って顔面一変化 2-2 - YouTube

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(ダウンタウンのガキのつかいやあらへんで)は、日本テレビ系列で毎週日曜日(一部地域を除く)の23:25 - 23:55 (JST) に放送されているお笑いバラエティ番組。「ガキの使い」「ガキ使」「ガキ」と略称される。ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)がメイン司会を務める長寿番組であり冠番組。

1989年10月4日未明(3日深夜)放送第1回の番組スタートは松本と浜田がスタジオまで雑談しながら歩いていくというものであった。ガキの使いの番組内で繰り広げられる数々の企画とダウンタウンのトークは、過激なものからシュールなものまで様々なバリエーションがある。トークでの何気ない一言から大きな企画が生まれる事が多々あり、対決&罰ゲームなどはその最たるものである。また数々のゲームで敗戦すると、恐怖と爆笑の罰ゲームが行われる(笑ってはいけないシリーズなど)。

ダウンタウンのビデオを見た日本テレビの菅賢治と土屋敏男が、ダウンタウンの東京進出の足がかりとして、二人を『恋々!!ときめき倶楽部』という番組に出演させ、その後、菅と土屋は「彼らの漫才を毎週見たい」と熱望し、ダウンタウンの漫才番組として番組を開始させた。タイトルの由来は、『恋々!!ときめき倶楽部』の中で松本が出演者に対し「お父さんもガキの使いやないんやから…」と発したことから。後に放送された特番では、浜田が素人のおじさんに「いやいや、それでは済まさん。こっちもガキの使いやないんやから…」と言ったシーンが流され、これが由来だと説明されている。

ウッチャンナンチャンwith SHA.LA.LA

ウンナンの出世l作と言ってよい「ウッチャンナンチャンwith SHA.LA.LA」を立ち上げたのも土屋敏男。上記のダウンタウン同様、ウンナンもニッポン放送のオールナイトニッポンに通い詰め、見学の常連者となったほどだった。
その後、空前のブームとなる「ウリナリ」の原点ともなった番組ですよね。

ウンナンどっちがリーダーか - YouTube

『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』(ウッチャンナンチャンのシャララ)は、1990年4月3日から1992年6月28日まで一部日本テレビ系列局で放送された日本テレビ制作のバラエティ番組。通称「ウンナンのSHA.LA.LA.」。

日曜17:00枠で1年間放送された15分番組『ウッチャンナンチャン』が火曜25:10枠へ移動し、30分番組として放送されるようになったのがこの『SHA.LA.LA.』である。番組タイトルは、ウッチャンナンチャンほか出演者全員が劇団SHA・LA・LAの構成員であることに由来する。

1991年9月までは火曜25:10枠で放送されていたが、同年10月からは直後の時間帯に放送されていた『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』とともに日曜22:30枠に新設された『笑撃的電影箱』枠内で放送されるようになった。しかし、それから程なくして放送休止状態に入り、そのまま同タイトルでの放送を終了。3か月後の1992年10月に後継番組の『ウンナン世界征服宣言』が金曜23:25枠でスタートした。放送休止および番組終了の理由は、ウッチャンナンチャンの2人がフジテレビ製作映画『七人のおたく』の撮影に掛かりきりになったためであり、また、後継番組の放送曜日が金曜になったのは、この番組が休止している間のつなぎ番組として放送された『進め!電波少年』が高視聴率を記録し、そのまま打ち切られずに続いたためである。

とんねるずの生でダラダラいかせて!!

ダウンタウン、ウンナンのみならずとんねるずにも先見の明を発揮していた土屋敏男。
「ねるとん紅鯨団」のロケ現場にも足しげく通い、身内しか付き合わないと言われているとんねるず・石橋貴明とも、初めは「あいつ誰?」状態から「貴ちゃん」「ツッチー」と呼び合う仲に。
そして、『生ダラ」は石橋から土屋に提案して出来上がった。

生ダラ スタードッキリ - YouTube

生ダラ トレジャーハンティング(香港) - YouTube

PK対決 木梨憲武 vs ラモス瑠偉 選手 【前半】 - YouTube

PK対決 木梨憲武 vs ラモス瑠偉 選手 【後半】 - YouTube

『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(とんねるずのなまでダラダラいかせて!!)は、1991年10月16日から2001年3月14日まで日本テレビ系列で毎週水曜 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていたお笑いバラエティ番組である。とんねるずがメイン司会を務める冠番組。略称・通称は「とんねるずの生ダラ!!」もしくは「生ダラ」。

出演者の「しゃべり言葉」を字幕として画面に表示するという手法を初めて本格的に導入した番組で、これ以降のバラエティ番組やお笑い番組の制作に多大な影響を与えた。
いかがでしたでしょうか?こうやって振り返ってみると、日テレのみながず日本のバラエティの礎を築いている感じがします。
今は、ネット配信中心に活躍しているようですが、またテレビで奇想天外な企画をぶっ放してほしいです。
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