とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンら率いるお笑い第三世代とは
2022年11月18日 更新

とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンら率いるお笑い第三世代とは

東も西も関係なくお笑い芸人たちが活躍した時代。お笑い第三世代にはたくさんの芸人・お笑いタレントがブレイクしました。

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はじめに

漫才ブームとお笑い第二世代と時期をほぼ同じに小劇場演劇で登場した若手世代を第三世代と称するようですが、フジテレビなどのマスコミや雑誌が彼らを「お笑い第三世代」と呼んだことで、漫才ブームやひょうきん族で活躍したビートたけし、紳助・竜介、明石家さんまらを「第二世代」、第二世代の上の世代が「第一世代」と位置づけられたそうです。

俗にオーディション、養成所などから巣立ち、「徒弟制度から逸脱した芸人が台頭した世代」と定義されることもあるようですが、それ以前の世代はタモリなど特定の師匠を持たない者もいました。また、第三世代は番組の出演者とスタッフがファミリー化した時代でもあります。

第二世代であるラサール石井は、著書「笑いの現場―ひょうきん族前夜からM‐1まで」の中で、「なによりも『自分たちが面白い』ということが先決であり、『自分たちが面白い』ということをまず自分たちが喜び、それを見ている観客が共有して笑う。そういう『面白い空気』を楽しむところがあった」と第三世代を評しています。

お笑い第三世代の芸人たち

お笑い第二世代ブレイク後、すぐに頭角を現した芸人たちが第三世代ですが、第二世代とは一味違った芸人さんたちで、世代分けされるだけの色を持っています。
 
  とんねるず(石橋貴明 木梨憲武) 1980年結成
    1982年に「お笑いスター誕生!」でグランプリを獲得後、「オールナイトフジ」
    「夕やけニャンニャン」の出演によりブレイクしました。

お笑いスター誕生!! 貴明&憲武 / とんねるず 1~10週目


  ダウンタウン(浜田雅功 松本人志) 1982年結成
    NSC大阪校の1期生。関西地区で帯番組「4時ですよーだ」でブレイクし、
    「夢で逢えたら」で東京へ進出しました。

  ウッチャンナンチャン( 内村光良 南原清隆) 1985年結成
    横浜放送映画専門学院(現日本映画大学)の漫才の講義で組んだがきっかけで
    コンビを結成。「お笑いスター誕生!」から本格的な活動を始めました。
    「夢で逢えたら」でブレイクしました。また、「ショートコント」という
    ジャンルを確立させた第一人者でもあります。

  野沢直子
    所ジョージ司会の素人参加番組「ドバドバ大爆弾」に出演をきっかけに
    1983年に芸能界デビュー。「夢で逢えたら」でブレイクしました。

  清水ミチコ
    短大時代にラジオ番組に投稿したネタが採用され自信をつけ、アルバイト先
    の主人の知り合いが放送作家を募集していたことがきっかけで、1983年ラジオ
    番組「クニ河内のラジオギャグシャッフル」の構成兼出演者となりました。
    その後ライブ活動でのモノマネ芸が認められ「 笑っていいとも!」でブレイクし
    ました。

フジテレビのバラエティ番組「夢で逢えたら」。コント「いまどき下町物語」。メンバーが豪華。#ダウンタウン #ウッチャンナンチャン #清水ミチコ #野沢直子 #コント


  B21スペシャル(ヒロミ デビット伊東 ミスターちん)
    アルバイト先のホストクラブで出会った3人。いアイドル志望のデビットと、
    ミュージカル役者&ダンサー志望のちんに声をかけ結成されました。
    師匠は星セント。「ザ・テレビ演芸」の「飛び出せ笑いのニュースター10週
    勝ち抜きシリーズ」にて第4代目チャンピオンを獲得しブレイクしました。
B21スペシャル

B21スペシャル

ダチョウ倶楽部(肥後克広 寺門ジモン 上島竜兵 南部寅太) 1985年結成
    肥後・寺門・上島の3人はコント赤信号の劇団員として活動後、多人数のコント
    グループ「キムチ倶楽部」で活動していました。
    渡辺正行らが立ち上げたコント大会に出場予定だったのですが、大会直前に
    揃ったのが現メンバー3人と南部寅太でした。
    それ以降改めて4人で「ダチョウ倶楽部」として結成しました。

 トミーズ(トミーズ健 トミーズ雅)  1982年結成
    NSC大阪校1期生。卒業後になんば花月の「フレッシュコーナー」で初舞台を
    踏みます。
    デビュー当時は健がボケ、雅がツッコミでしたが全くウケず、役柄を変えてい
    ます。NSC1期生の中では一番の出世頭で、NHKの漫才コンテストで大賞を取
    り、デビュー3年目にして単独リサイタルを開催したほどです。

 ハイヒール(モモコ リンゴ)  1982年結成
    NSC大阪校1期生。なんば花月の「フレッシュコーナー」で初舞台を踏みます。
    ダウンタウンが唯一対等に接する女性芸人でもありります。

 清水圭・和泉修   1986年結成
    同志社大学の先輩後輩の2人です。新人の登竜門である今宮子供えびすマンザイ
    新人コンクールで優勝するなど関西でブレイクし、多数のレギュラーを抱え
    「圭・修のオールナイトニッポン」で東京進出も果たしました。

 ホンジャマカ(石塚英彦 恵俊彰)  1989年結成
    BIG THURSDAY(ビッグサースデー)の石塚がその第1期生、恵が第3期生。
    演芸番組「ザ・テレビ演芸」でグランドチャンピオンを獲得しました。
    その時は11人体制でしたが、徐々にメンバーが減り、1989年に二人で
    ホンジャマカを再結成しました。

 浅草キッド(水道橋博士 玉袋筋太郎)  1987年結成
   ビートたけしの追っかけをしていた二人は、一般人として「風雲たけし城」に
   出演していました。芸人として認められたのは「ザ・テレビ演芸」の「飛び出せ
   笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」第5代目チャンピオン、「ナベさん
   ミッちゃんのまねまね天国!」チャンピオンになってからです。
    
 ABブラザーズ(中山秀征 松野大介)  1985年結成
   11人体制当時の「ホンジャマカ」の一員だった二人ですが、一緒にコントなどを
   試みたことをきっかけにコンビを組みます。結成後は「ライオンのいただきます」
   でメディアデビューを果たしました。 
ABブラザーズ

ABブラザーズ


 出川哲朗
   横浜放送映画専門学院の同級生だったウッチャンナンチャンらと劇団SHA・LA・LA
   を立ち上げ、座長となります。俳優としてデビューしますが「ビートたけしの
   お笑いウルトラクイズ」を始めとした体を張ったロケやドッキリ企画などのリアク
   ションがお茶の間でブレイクしました。

 130R(板尾創路 ほんこん)  1987年結成
   NSC大阪校の4期生。コンビ結成後は心斎橋筋2丁目劇場を中心に活躍し人気を獲得
   していました。その後共に2丁目劇場で活躍していたダウンタウンが東京進出に伴
   い、彼らもまた東京進出を果たします。

 今田耕司
   NSC大阪校の4期生。京都花月で劇場デビューしました。この時に東野幸治と知り
   合い「4時ですよーだ」などで2人でコントを披露して以降、多くの番組で東野と
   共に司会を務めました。東野と共にWコウジと称されていますが、正式なコンビ
   ではありません。

 東野幸治
   高校3年生のときに吉本興業の新人オーディションを受け、星野勘太郎のモノマネを
   して合格、そのまま芸人になりました。「4時ですよ〜だ」で今田耕司と司会を任さ
   れブレイクしました。

最後の2丁目劇場


 伊集院光
   三遊亭楽太郎(のちの六代目三遊亭円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大とし
   て活動を始めました。「オールナイトニッポン」や「深夜の馬鹿力」などのラジオ
   パーソナリティとしてブレイクしました。

 爆笑問題(太田光 田中裕二)   1988年結成
   日本大学芸術学部(日芸)演劇学科の在学中に出会いコンビを結成。ラ・ママ新人
   コント大会で芸人デビューし、深夜番組「笑いの殿堂」でテレビデビューを果たし
   ました。

おしまいに

自分にとっては、このお笑い第三世代がお笑いの黄金期と言っても過言ではないと思うのです。とにかくバラエティ番組が面白かった時代です。今では放映が難しい企画ばかりですが、芸人やお笑いタレントが体を張って笑いを届けていて、とにかく面白かったですね。
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