90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男
2016年4月11日 更新

90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男

現在、「イッテQ」「鉄腕ダッシュ」「しゃべくり007」など絶好調の日テレバラエティですが、1980年代半ば、ひょうきん族を始めとした時代を形成していたフジテレビはおろか、TBSにも後塵を拝していた時期がありました。そんな苦境の日テレを救ったと言われているのがプロデューサー土屋敏男です。そんな彼が築いた伝説の番組をプレイバックしていきましょう。

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90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男

現在、「イッテQ」「鉄腕ダッシュ」「しゃべくり007」など絶好調の日テレバラエティですが、1980年代半ば、ひょうきん族を始めとした時代を形成していたフジテレビはおろか、TBSにも後塵を拝していた時期がありました。そんな苦境の日テレを救ったと言われているのがプロデューサー土屋敏男です。そんな彼が築いた伝説の番組をプレイバックしていきましょう。
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土屋敏男とは?

土屋 敏男(つちや としお、1956年(昭和31年)9月30日 - )は、日本のテレビプロデューサーである。日本テレビ放送網編成局ゼネラルプロデューサー、LIFE VIDEO株式会社代表取締役社長。

バラエティ番組『電波少年シリーズ』の「Tプロデューサー」、「T部長」などとして知られる。

1979年、日本テレビに入社。ワイドショーの現場を経て、バラエティ番組制作に携わるようになったが、低視聴率が続き、編成に異動となる。その後再び制作に戻って作った『電波少年シリーズ』が高視聴率となる。編成部長(2001年7月 - 2003年7月)として行った各局の視聴率分析の結果、世代交代の必要性を感じテレビ番組制作から離れ、2003年6月コンテンツ事業局コンテンツ事業推進部長、2004年6月コンテンツ事業局次長兼コンテンツ事業推進部長兼PR局日テレイベント事務局長、2005年6月PR局次長、2005年9月第2日本テレビ事業本部VOD事業部長兼コンテンツ事業局次長兼PR局次長、2006年7月第2日本テレビ事業本部ED、2008年6月編成局ED・P兼AXON出向、2012年6月編成局専門局長を経て、2015年5月付で現職。
社外では、テレビ番組制作ではない新規事業として人生の映像化を提案し、日本テレビと日テレアックスオンが設立した新会社のLIFE VIDEO代表取締役社長(2012年7月2日-)に就任。

土屋と言えば、やはりT部長!

やはり土屋敏男と言えば、電波少年で、ダースベイダーのテーマにのって、迫力満点で登場するT部長でしょう。当時は、若手芸人の多くが恐れ震える存在だったとか。

有吉 宿敵・電波少年T部長と激突! - YouTube

生み出した伝説的バラエティ番組

ここからは土屋が生み出してきた伝説的バラエティ番組を振り返っていきましょう。

電波少年

やはり土屋敏男と言えば、画面上にも度々T部長として登場していた「電波少年」でしょう。
猿岩石などのアポなしヒッチハイクを始め、松村邦洋は、渋谷のチーマーたちにボコボコにされ、アフリカの砂漠で遭難して死にかけ、出川哲朗はオーストラリアでゲイに掘られ、松本明子はパレスチナのアラファト議長とデュエットするなど、無謀すぎる企画で視聴者を驚愕させ、時代を作っていった。

猿岩石ヒッチハイク まとめ No01 電波少年 - YouTube

【電波少年】渋谷のチームを更生させたい!松村命がけ☆ - YouTube

衝撃動画!電波少年での海外ロケで出川がゲイに掘られる… - YouTube

『進め!電波少年』(すすめ でんぱしょうねん)は、1992年(平成4年)7月5日から1998年(平成10年)1月4日まで、日本テレビ系列で毎週日曜 22:30 - 22:54 (JST) に放送された、日本テレビ制作のバラエティ番組である。

アポなし、突撃、ヒッチハイク、さまざまな無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説的バラエティ番組として幅広く認知されている。マフィア、暴力団、スラム街までも番組の題材にし、生命に関わる危険なロケも多かった。企画によっては警視庁や都庁からも抗議や抑圧があり、それこそ現在では到底、制作不可能な番組である。

恋々ときめき倶楽部

まだ東京では無名だったダウンタウンに一早く目を付けたのも土屋敏男と言われています、わざわざ和歌山でのダウンタウンのコンサートにまで顔を出し、親交を深めていって、菅賢治プロデューサーとともに、昼のバラエティ「恋々ときめき倶楽部」にダウンタウンを抜擢したのです。
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『Boy Meets Girl 恋々!!ときめき倶楽部』(ボーイミーツガール こいこい ときめきくらぶ)は、日本テレビほかで放送されていた恋愛バラエティ番組である。1988年10月9日から1989年3月26日まで、毎週日曜 12:00 - 13:00 (日本標準時)に放送。

視聴者参加型の恋愛バラエティ番組で、渡辺徹と鳥越マリがメイン司会を、関西を拠点に活動していた頃のダウンタウンが渡辺たちの補佐を務めていた。

本格的な東京進出を狙っていたダウンタウンの実質的な東京初のレギュラー番組であり、浜田雅功は番組進行の際に、出演した一般人の頭をど突いたり、無茶振りをしたり、渡辺徹のヒット曲「約束」をしきりに歌ったりと、当時からその存在感をアピールしていた。また、本番組のスタッフの中には、後に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』を手掛ける土屋敏男や菅賢治などもいた。
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