映画「八つ墓村」のモデルになった事件「津山三十人殺し」の驚愕の真実
2021年3月15日 更新

映画「八つ墓村」のモデルになった事件「津山三十人殺し」の驚愕の真実

横溝正史シリーズの中でも実際にあった事件がモデルになっているとして有名な作品「八つ墓村」。その実際にあった事件とは?ミドルエイジ世代も生まれる前の事件ではありますが、その驚愕の真実をまとめてみました。 それを知るともう一度、映画「八つ墓村」が見たくなるかも...。

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衝撃の映画「八つ墓村」とは?

『八墓村』はこれまで、映画では1951年版 ・1977年版・ 1996年版 と公開されていて、その都度、話題になっています。

中でも1977年公開の『八墓村』では、山崎努さんが演じた殺人鬼役はまさにハマリ役で印象深いものでした。

「たたりじゃー、八つ墓の祟りじゃ~~」のセリフは有名ですね。

映画「八つ墓村」のあらすじ

【八つ墓村】 1977年・松竹 全予告篇

八つ墓村にまつわる言い伝えは、400年前の戦国時代にさかのぼる。山間のある村に落ち武者8人がたどり着いた。
しかし村人たちは落ち武者たち尼子一族にかけられた恩賞金に目がくらんでしまったことでなんと!落ち武者たち8人皆殺しにしてしまう。

その後、怪しく不思議なことが次々起こる。それが殺された落ち武者たちの祟りだとその村は「八つ墓村」と呼ばれるようになった。
その村の出身で忌まわしい血をひく辰弥が妖艶な未亡人・美也子と一緒にこの八つ墓村に帰ってきた。

村人は再び落ち武者の祟りに恐れる中、戦慄の事件が次々起こる。これはやはり祟り?それとも何者かが計画的に行った殺人事件なのか。

本当にあった八つ墓村「津山三十人殺し事件」

映画「八つ墓村」には実際に起こった殺人事件があったのをご存じでしょうか。

その実際にあった事件というのが、1938年に起こった『津山三十人殺し事件』です。

この事件は名前の通り、岡山県の山村の西加茂村の集落、現在の津山市で30人もの人が殺された事件がそれです。

あまりに残虐に多くの人が殺されたこの事件、犯人は自殺、その後に犯人の生い立ちや経歴なども明らかににあります。

そしてなぜこの事件が起こったか世間の注目を浴びることとなります。

そうして横溝正史がこの事件にヒントを得て「八つ墓村」という作品が出来たということです。

津山三十人殺し事件とは


 岡山県の山村・西加茂村(現津山市)で21歳(満年齢)の青年が祖母をオノで殺した後、猟銃と日本刀で近隣の家を次々襲撃。住民を殺害して自殺した。殺された住民は計30人、重軽傷3人。

殺戮者の魔手は幼児・老婆の見境なく降り注ぎ、午前3時ごろ走り去った。銃の腕は正確無比。その姿は悪夢のように強烈で、事件は横溝正史のミステリー小説「八つ墓村」のモデルにもなった。


それにしても、30人亡くなった方の中には子供もいたというのはどんなに恐ろしい光景だったのかと想像してしまいます。
こんな恐ろしい事件は映画の中だけでに、、、と思いましたが実際にあった事件だったということが衝撃です。

「津山三十人殺し事件」の犯人・都井 睦雄について

名前:都井 睦雄(とい むつお)
1917年3月5日生まれ
岡山県苫田郡加茂村大字倉見
(現・津山市加茂町倉見)

死没
1938年5月21日(21歳没)
岡山県苫田郡西加茂村大字行重・荒坂峠の山頂
(現・津山市加茂町行重)

犯人・都井 睦雄の生い立ち

犯人の都井睦雄は2歳の時に父を、3歳で母を肺結核で亡くしています。姉もいましたが二人を引き取ったのは祖母でした。まもなくして生まれ育った岡山県苫田郡加茂村大字倉見から引越し、6歳の時には祖母の故郷である貝尾集落に引っ越しています。

生まれ育った家は比較的裕福な家で資産もあり、両親が亡くなった後も裕福な環境は変わらず、生活に困窮することはなく育っています。

祖母は盲目的愛で睦雄を育てていきます。そのせいで睦雄はわがままに育っていった様です。
 小学校高等科2年を卒業しますが、病気がちではあったものの勉強はとてもよくできた睦雄です。同級生たちとの関係も良く、級長や副級長に選ばれていて、強いて言えば、とても模範的な小学生時代を過ごしていたとのことです。

ただ性格的には、病気がちで学校をよく休むことがあったせいか、陰性であって快活明朗な感じではなかったということです。
何となく寂しさのある生徒だったということである。生来孤独の質で先輩、親族、友人間には指導者となったり親交を結んだりした者もなく、その他、本人の性格に特別の影響を与えた人物は全くない
子供のころから祖母から溺愛され、学校では成績が良かったこという状況の中、同級生など友達とのかかわりは深くなかった様です。

それがその後の都井 睦雄という人間がどのようになっていくのかも気になります。

「津山三十人殺し事件」犯人の人間形成

幼いころに両親を亡くし、祖母に引き取られるも親の愛情に飢えていたことは間違いないようです。
それが成長期や大人になってからも大きく関わっていったというのはあるのでしょうか。

親からの愛情不足に加えて、成績が良かったため学校の先生から進学を進められるも、祖母が睦雄を手放さなかったということで家にそのままいることなります。

そして卒業間近の春に肋膜炎を患ったことで3か月もの間、療養生活をしたことで将来の目標も持たず、体力を使う農業をすることもできずの生活が次第に孤独なものとなっていったということです。

その孤独さに拍車をかけたのが睦雄17歳の時に、姉が村を出て他の地域へと嫁いだことがキッカケになったそうです。


両親がなくなったときから祖母の愛情は受けていたといいつつ、睦雄自身が本当に心を休ませ甘えられる場所はなかったということでしょうか。心の中に満たされないものが蓄積していった幼少期~思春期と感じられます。

「津山三十人殺し事件」の背景にあったもの

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