映画「八つ墓村」のモデルになった事件「津山三十人殺し」の驚愕の真実
2021年3月15日 更新

映画「八つ墓村」のモデルになった事件「津山三十人殺し」の驚愕の真実

横溝正史シリーズの中でも実際にあった事件がモデルになっているとして有名な作品「八つ墓村」。その実際にあった事件とは?ミドルエイジ世代も生まれる前の事件ではありますが、その驚愕の真実をまとめてみました。 それを知るともう一度、映画「八つ墓村」が見たくなるかも...。

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都井 睦雄は起こしたこの「津山三十人殺し事件」の背景にあったものはこの3つです。

それは?

・村の「風習」
・結核
・イジメ

これが大きく関わっています。

村の「夜這い」の風習

睦雄が14歳のころに肋膜炎になり3か月ほどで治りますが、これが事件の背景になるまず一つ目です。この「病気のせい」で働くこともできずに毎日家にいて暇と言えば暇なそんな生活をしていたといいます。

そして早熟だった睦雄が村の風習でもある「夜這い」で村の女性たちと関係していく...この状況が彼の唯一の村人とのつながりになっていたのかもしれません。

結核

この戦前の時代の結核というと死因の1位にもなるほどの感染力の強い病気で20代前半の若者の死因の半分になったこともある恐ろしいものでした。
睦雄が当時の小学校卒業の14歳のころに肋膜炎に3か月で治癒したということですが、その後19才の時に両親も患って亡くなった肺結核に睦雄自身も冒され始めます。

この結核になったことがのちに噂となり、睦雄と関係があった女性たちも知るところとなったことで女性たちが睦雄から離れていきます。

イジメ

ある意味、結核になったことで女性たちから拒絶された状態、そして村の中でも噂は広がっていった様です。その女性たちの手のひら返しが睦雄にとって憎しみとなっていきます。
もともと大人しく勉強もできた睦雄が変わっていったのは、小学校教員検定試験の勉強中から神経衰弱となり、次第に狂暴となってきたと事件後の話として出てきます。

将来が見えない、自分のもとから誰も居なくなってしまった以上に村八分の様な状態だったのではないでしょうか。

小さな村の中で人との関りがない生活..自分自身が否定されていると感じるのも無理はないですね。そうしてついにというか、まさに映画「八つ墓村」のヒントにもあった本当の事件が起こることになります。

「津山三十人殺し事件」事件決行の引き金

事件は突発的なものではなく、 睦雄によって計画的に行われたものです。予め事件の2~3年前から猟銃など用意しています。すでに村全体でも睦雄に対して警戒が大きくなったともいわれています。

睦雄はまさに決行の日を待っていたのです。

決行の日の決め手は自分と以前、関係を持ったがその後、結核になったことで自分のもとを去り裏切った女性二人が貝尾の村に来たことで思いついたということです。

今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺元ゆり子が貝尾に来たから、又西山良子も来たからである、しかし寺元ゆり子は逃がした、又寺元倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、岸本順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。
もはや夜明けも近づいた、死にましょう。
これは犯人・睦雄が遺書として残したものの中に記されていた内容です。なんとも具体的に書き残したものだと思いました。誰にも言えなかった心の内を最後の最後で文字として残したというのは、そこまでしてこの世に自分の恨みの気持ちを伝えたかったのかと思いますね、

「津山三十人殺し事件」犯行決行

「平素はごくおとなしい男であるが、この凶行は計画的のものとみられ、凶行に用いたイノシシ狩り用の猟銃のごときは、2、3年前から同人所有の田一反歩を売って買っていたものである。また犯人は肺病で近所の者ののけ者にされ、しかも最近、女の問題で失恋していた」
「怪物三つ目小僧のように、頭の両側に棒型懐中電灯を固定し、胸にも自転車用の角型電灯を吊った都井睦雄は、腰に日本刀を差し込み、懐に短刀、さらに猟銃から弾薬袋まで持ち、巻き脚絆、地下足袋姿という装備で荒れ狂い、部落内過半数の家々を襲った。

暗夜にこの三つの光芒に照らし出された者は、そして悪鬼のような姿を見た者は、その瞬間がこの世の別れとなった
『頭の両側に棒型懐中電灯を固定し、胸にも自転車用の角型電灯を吊った(略)
腰に日本刀を差し込み、懐に短刀、さらに猟銃から弾薬袋まで持ち...。

この様子を想像するとまさに映画「八つ墓村」のあのシーンが思い浮かびます。
あの鬼の形相で走って向かってくるあのシーンです。

映画を見た人だとあの姿だけでも衝撃と恐怖のシーンとして強烈に印象にあるものでした。
津山事件のイメージともなっており、事件の猟奇性をさらに掻き立てます。用意を終えると都井睦雄は屋根裏部屋から下の階に降り祖母の首を斧で切断して殺害しています。

その都井睦雄は犯行後に記した遺書の中で、祖母には済まない事をしたが、残される不憫を思うと殺すしかなかったといった趣旨の事を書いています。また、既に嫁いでいた姉に対しても謝罪の言葉を綴っています。

「津山三十人殺し事件」犯人の遺書

犯人・睦雄が残した遺書は自宅に2通、自殺した場所に一通残されています。事件後、その遺書も公開されているということで睦雄側の心の内を知ることとなります。

長年病と闘った自分を裏切って離れて嫁いでいった女性に対しての恨み、自分を虐待した村全体への恨み..その人たちへの復讐心が書かれています。

自分にとって懐かしいを萌える過去は先生からかわいがられていた小学校代だとも書かれていたようです。



自殺現場に残された遺書の一部はこちらです。
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