マルチタレント、西田敏行
[CM] 西田敏行 朝日ソーラー 屋上ライヴ 1994 - YouTube
94年の朝日ソーラーCM、西田敏行の多才ぶりがよくわかる一本です。
via www.youtube.com
その出演ドラマは数え切れないほど。
とくに歴史モノなどは、もはや彼一人で歴史が成立してしまうといわれるほどです。
とくに歴史モノなどは、もはや彼一人で歴史が成立してしまうといわれるほどです。
全員が「西田敏行」でお送りする歴史大河ドラマ! - Middle Edge(ミドルエッジ)
名優「西田敏行」『池中玄太80キロ』に始まり、『釣りバカ日誌シリーズ』 や映画・ドラマに欠かせない。そんな「西田敏行」が演じた人物だけの年表を作ってみました。
もちろん、歴史モノ以外にも幅広く活躍しています。
おなじみの池中玄太シリーズや釣りバカ日誌シリーズなどは有名ですね。
おなじみの池中玄太シリーズや釣りバカ日誌シリーズなどは有名ですね。
「池中玄太80キロ(スペシャル版は83キロ)」の体重、実は西田敏行さんの体重でした。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ドラマ「池中玄太80キロ」、”もしもピアノが弾けたなら”はじめ、西田敏行らしさが全開のドラマでした。このタイトルの「80キロ」が西田敏行の体重だったのはご存知でしたか?スペシャル版では3キロ増量して「83キロ」となっていましたね。
また、往年の猪八戒もいまだ評価の高い作品です。
【猪八戒】ドラマ西遊記、西田敏行をはじめ歴代の猪八戒を要チェック! - Middle Edge(ミドルエッジ)
誰もが子供のころに一度は読んだことのある「西遊記」。孫悟空、三蔵法師、猪八戒、沙悟浄の活躍を描いた物語でしたね。なかでも猪八戒は、その風貌から強く印象に残ったものです。ドラマでも人気を博した西遊記、西田敏行をはじめ歴代の猪八戒を再確認しましょう。
そんな名優、西田敏行を出演バラエティ番組で追いかけます。
ハッスル銀座 (TBS) 1970年代後半
毎週土曜日の12時から放送された「ハッスル銀座」。
松崎しげるらとの親交が番組のきっかけに。
この番組の成功で、西田敏行と松崎しげるはともにブレイクしていったとされています。
松崎しげるらとの親交が番組のきっかけに。
この番組の成功で、西田敏行と松崎しげるはともにブレイクしていったとされています。
互いが売れ始める前(松崎24歳、西田26歳)からの飲み友達で、毎晩のように飲み歩いては、互いの愚痴を吐き出しながら、励まし合う仲だった。そんな中でも知り合いや先輩が経営する飲食店に顔を出してリクエストに応えて歌うと、無料で飲み食いさせてもらえるメリットがあった。そうした中で出来上がったのが「客の出す3つの『お題』を入れて即興で歌を作る」という、落語の三題噺のようなネタ。松崎は元より、西田も歌唱力と音楽的センスがあったため、二人の即興デュエットは当時の六本木界隈では有名になった。その噂を聞きつけたTBSのスタッフが二人を進行役に起用したテレビ番組が『ハッスル銀座』(1975年)だった。この番組では、視聴者から寄せられるハガキのエピソードを元に即興で歌を作り、披露するコーナーが評判となった。この番組出演が契機となり、翌1976年には松崎は『愛のメモリー』がCMに起用され、スペインのマジョルカ音楽祭・最優秀歌唱賞を受賞する等注目され始め、西田はTBSのドラマ『三男三女婿一匹』への出演などを経て、その主役を喰うほどの演技力が高く評価される。
西田敏行・桜田淳子のもちろん正解(TBS) 1983年4月17日~9月25日
桜田淳子と司会を務めた教養バラエティ番組。
放送時間は、毎週日曜19:30~20:00。
視聴者から寄せられた身の回りの素朴な疑問を基にスタジオでの実験や検証のためのVTRに専門家の解説を交え、正しい答えを探求する番組として放送されました。
放送時間は、毎週日曜19:30~20:00。
視聴者から寄せられた身の回りの素朴な疑問を基にスタジオでの実験や検証のためのVTRに専門家の解説を交え、正しい答えを探求する番組として放送されました。
なんてったって好奇心(フジテレビ) 1988年4月~1989年3月
フジテレビ系列局で放送されていた情報番組で、木曜21:00~21:54(1986年10月16日~1988年9月22日)、日曜20:00~20:54(1988年10月16日~1990年3月25日)の放送でした。
フジテレビを退社した逸見さんが降板したのちに西田敏行が司会となりました。
フジテレビを退社した逸見さんが降板したのちに西田敏行が司会となりました。
なんてったって好奇心・第57大慶丸 - YouTube
こちらは逸見さん時代の動画です。
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私たちの記憶に残る名司会者、逸見政孝さん。真面目さと一生懸命さで1980~90年代のお茶の間から愛されたアナウンサーでした。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
逸見政孝さんといえば、フジテレビのアナウンサー時代とフリーアナウンサー時代で2つの顔がありました。ニュース番組やキャスターとして見せた報道現場の堅い顔、その真面目さや一生懸命さがバラエティ受けしたフリーアナウンサー時代。とくに「いっつみい」で人気だったフリーアナウンサー時代、お茶の間にはいつも逸見政孝さんの真面目な笑顔が映っていました。そんな逸見政孝さんの早すぎる死は多くの方に悼まれました。1980年~90年代にかけて、お茶の間でもっともお馴染みの顔だったといっても過言ではない、そんな逸見さんについて振り返ってみましょう。