吉田敬がM-1を獲るまで!!!
2025年2月9日 更新

吉田敬がM-1を獲るまで!!!

ブラックマヨネーズ 吉田敬 飲んで、打って、買って、どケチで女性に超アグレッシブ。本当にどうかしてるぜ。ヒーハ~!

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1980年代、女性漫才コンビのパイオニアとなった「今いくよ・くるよ」
ふくよかな体にカラフルな衣装でまとったくるよは、相方のいくよに
「前脚」
と呼ばれる腕で腹をポンっと叩き、
「どやさ」
というギャグで一世を風靡。
そんな一見、豪快なくるよだが、非常に気が優しく、誰に対してもホメ言葉を多用し、誰も傷つけない物言いで誰からも慕われていた。
間寛平のことを
「ジュリー」
今田耕司を
「ディカプリオ」
サバンナの八木真澄を
「ミケランジェロ」
明石家さんまを
「菅原文太」
明石家さんまが手帳にメモしていると
「いやあ、IT社長やんかいさ」
といういくよに、顔の肌の荒れから、ずっと
「ブツブツ」
と呼ばれてきた吉田敬は、
「ツブツブちゃん」
とかわいくいってもらってホッコリ。
相方、小杉竜一とファミレスで打ち合わせをした後、ドリンク代を1円単位で割り勘して、
「細かい男」
といわれていたが、ある日、新幹線に乗っていると、くるよがアイスクリームを持ってきて
「食べて」
ありがたくごちそうになった後、お礼をいいにいくと座席のテーブルを広げて小銭を分ける今いくよ・くるよがいた。
おそらく自分たちにオゴったアイスクリーム代を2人で分けている最中。
吉田敬は、自分がファミレスで行った行為を大師匠の2人がやっていることに
「間違いじゃなかった!」
と心でガッツポーズ。
以後も几帳面すぎるほどの細かさ、セコさを継続。
一方、学生時代からずっと憧れ、長年の苦労の末、やっと売れて、やっと生ダウンタウンに会うことができた吉田敬と小杉竜一は、松本人志に
「馬糞と人糞」
と呼ばれた。
ブラックマヨネーズが優勝した1年後、2006年のM-1で優勝したのは、チュートリアルだった。
吉田敬は、同期の男前、徳井義実、そして彼のいるコンビ「チュートリアル」を非常にライバル視。
ある女性を好きになって、何度も口説いた末、やっと食事にいくことになり、徳井義実に
「見てみい。
俺、今、こんな子と遊んでんねん。
めっちゃ美人やろ」
と自慢げに写真をみせたが、
「あーコイツ、めっちゃしつこいやろ」
と返され、自分は何度もアタックして、ようやく食事に行けたのに、徳井義実は、その女の子から誘われたのを知り、撃沈。
国産の大きなSUV車を購入して自慢したときも、徳井義実は、もっと大きな外国のSUV車に乗っており、
「なんでお前は常に俺の1歩上ばっかり行くんや!」
というと
「知らんやん。
お前が勝手の1歩下に来んねん」
と返された。
まだ売れていない頃、徳井義実が後輩に1000円ずつお年玉を渡していると、吉田敬が、
「お前、それアカンやろ」
「お年玉なんかあげんな」
と激怒。
徳井義実は
(自分が売れてへんのに調子に乗るなということか)
と思ったが、
「同期のお前があげたら、俺もあげなアカンようになるやろ」
といわれ、幻滅。
「お前ももろたやろ」
といったが、吉田敬は、
「お前とはスタートが違う。
お前はデビューしたときからワーキャーいわれてたけど、俺はキモいキモいから始まった。
だから同じ千円でも稼ぐ楽さが違う」
と譲らなかった。
ちなみに吉田敬は、
「男前は、できて当たり前」
と思っており、その理由は
「モテたいなあ、女とHしたいなとか1人悶々と悩む時間が短いから」
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「ファミレスでネタを考えているとき、1時間のうち30分は、「あの女エエなあ」「なんとかならんかなあ」などと考えてしまうが、ハンサムな男性は女性に飢えていないので、僕がいやらしいことを考えている30分間を面白いことを考え続けることができる。
だから夢を追うとき、ハンサムとブ男では、えげつないハンデがある。
それは芸能界だけでなく、バスケットボールのマイケル・ジョーダン、、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド や短距離走のウサイン・ボルトもハンサムで、大相撲の白鷗だってかわいらしい顔をしている
だから顔が良いということはスポーツでも有利」
という吉田敬だが、世の中のモテない男子に
「美人に相手にされないなら動き続けてほしい。
攻撃的なブサイクであれと。
守りに入るな」
とエールを送っている。
Just a moment... (2600223)

売れっ子になり、1日に数番組を収録し、1週間に10回以上新幹線に乗り、タクシー移動も増えたブラックマヨネーズ。
ある日、タクシーの中で吉田敬が
「ちょっと話あんねん」
といった。
「聞きたいんやけど、タクシーの後ろにこんもりなってるところあるやん
お前、あのこんもりに足置いてるときあるやん。
アレ、なんのつもり」
「エッなにが?」
「いやっ、あのこんもりって誰のこんもり?」
「ハッ?」
「俺も置きたいけど、俺のでもお前のでもないからこんもりに置いてへんのに、なんでお前はこんもりに足置くの」
「こんもり戦争」をしたくない小杉竜一は、以後、運転手の横の席に乗るようにし、前後に座った状態で会話。
吉田敬は、小杉竜一が助手席に座るようになっても
「こんもりは利用していない」
また運転手の後ろではなく、必ず小杉竜一の後ろに座る。
「運転席の後ろは安全といわれているから、小杉を前に行かせておいて自分だけそこに座るわけにはいかない」
といいつつ、小杉竜一の携帯電話の画面をチェック。
ある日、テレビ局の直前で吉田敬が
「ちょっと買い物していくわ」
といって降車し、コンビニへ。
小杉竜一は、前に乗ったまま、運転手と2人で移動し、
「タクシーの見習いみたいやった」
240連勤し1日休んで80連勤など、M-1優勝後、忙しくなりすぎて、しんどくなってきた吉田敬は
「俺より精神的に参ってるヤツ」
をリサーチ。
そして賞レースで結果が出ず、コンビ仲もギクシャクし、舞台の漫才もウケず、心を病み、心療内科に通うノンスタイルの石田明を発見。
石田明を飲みに誘い、
「番組中もストレスで手がしびれてくるんや」
というと
「それは気づいていないうちに過呼吸です」
「夜寝てると呼吸の仕方がわからなくなるんや」
というと
「自分の呼吸リズムをメトロノームに登録して、それを聞きながら呼吸するんです」
などと石田明から的確なアドバイスを受けながら、
「自分よりしんどいやつもおるんや」
「自分はマシや」
と癒された。
石田明は

・毎回行くのは同じ「魚民」
・頼むメニューも同じ
・会計も同じ
・最初のビール1杯は飲ませてもらえるが、後はボトルキープしている焼酎のみ

という吉田敬の金に対するシビアさに驚愕。
吉田敬は石田明によって楽になったが、石田明も
「これだけ面白い吉田さんでも悩むんや」
「こんなガサツな人でもしんどくなるんやから、自分がしんどくなるなんて当たり前や」
と気持ちが解放され、ノンスタイルは、関西の賞レースを総ナメ。
ある賞を獲ったとき、吉田敬にお祝いとしてすき焼きをオゴってもらったが、18000円のレシートをみせられ、
「これだけの金あったら、俺が他に何ができたか、100個考えてこい」
といわれた。
Just a moment... (2600226)

吉田敬は、30歳のとき、難波から車で数分、上本町3階建の3階の角部屋、12畳のリビング、8畳の寝室、46平米の1LDK、家賃7万円のマンションを借り、32歳でM-1で優勝し、全国区へ進出すると同じ上本町の8階建ての8階、4LDK、100平米以上、家賃15万円のマンションに、洗濯や掃除をしてくれる売れていない後輩と一緒に住んだ。
そして34歳のとき、1年のうち、東京のホテルで100泊以上するようになると東京で1人暮らしすることを考え、
「知り合いの知り合いの不動産屋」


・東京の各テレビ局にタクシーで30分以内
・駐車場つき
・壁が薄くないこと
・1DK以上

という条件をリクエストして物件を探してもらった
やがて六本木から車で10分くらい、東京都港区三田の物件を紹介された。
30歳のときに住んでいた上本町の7万円のマンションとそっくりの間取りなのに、
「駐車場代別で20万円です」
といわれ、
(騙されてる‼)
と思った吉田敬は、知り合いの知り合いの不動産屋のアゴを殴りそうになりながら
「あり得んやろ‼」
しかし知り合いの知り合いの不動産屋は
「僕、ブラマヨさん大好きなんで一生懸命、ここ数日、ずっと吉田さんの条件に合う物件探したんです」
そして目に涙を浮かべて
「それが東京なんです」
といった。
その言葉を聞いて吉田敬も号泣。
東京、三田で大の男が2人で泣いた。
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番組で東野幸治に
「ブラマヨが優勝したときのM-1って何組エントリーしてたんでしたっけ?」
と聞かれると間髪をいれず
「3378組です」
とドヤ顔。
「これをいえなくなったときは、俺を老人ホームに入れてください」
と王者のプライドをみせる吉田敬は、M-1優勝後、数年間、ほぼ毎日、M-1Tシャツを着用。
それは胸に
「M-1 GRANDPRIX」
背中に
「We Are The Champion」
と書かれたTシャツで、後輩に、
「色が剥げてる」
「濡れた犬のような匂いがする」
といわれても無視。
先輩に
「過去の栄光にしがみついてる」
といわれると
「いやあのね、獲ってみてくださいよ。
チャンピオンになってみてくださいよ。
まだ我慢してるほうですよ」
と訴えた。

ひらパー兄さん

ブラックマヨネーズは、
「ポジティブな小杉、ネガティブな吉田」
というイメージが定着していたが、吉田敬が
「シャレならん」
と思ったのは、小杉竜一が1人だけで大阪府枚方市にある遊園地「ひらかたパーク」のCMキャラクター「ひらパー兄さん」に選ばれたときだった。
大阪府枚方市枚方公園町1-1にある「ひらかたパーク」、通称「ひらパー」は、広さ約16ヘクタール、甲子園球場の約4個分。
最高速度70km/hのローラーコースター「レッドファルコン」、イタリア製のメリーゴーランド、ドイツ製のウェーブスインガーなどのアトラクション。
夏はひらかたファミリープール、冬はイルミネーションや屋外アイススケートリンク。
ミニ動物園やバラ園もあり、年齢を問わず楽しめ、園内はゆったりとした時間が流れ、近隣住民の憩いの場にもなっている。
そんな「ひらパー」だが、吉田敬にとっては、父親が働いている京阪電車がつくった遊園地。
小杉竜一に、
「収入的な問題もある」
「裏があって表がある。
俺がいてお前の明るさがあるのに」
「(CMの最後に)俺が是非、来てねっていわせてくれ」
と訴えたが、
「お前は楽しいところのキャラクターにはなれない」
といわれ、CM撮影で小杉竜一だけ仕事、自分は連休という屈辱を味わった。

ひらパー CM 「ひらパー兄さん」選挙編 2010

小杉竜一が独特のスマイルと親しみやすさ、
「ひらパーで、○○っちゃえよ」
でブレイクする中、吉田敬は様々な番組で、小杉竜一はユニバーサルスタジオジャパンが大好きでひらパーには1度しか行ったことがないと曝露。
これで小杉竜一の「2股疑惑」が発覚。
ひらパーが不信任案を出し、「ひらパー兄さん選挙」が行われることになり、吉田敬は
「父親がひらパーを経営する京阪電鉄の社員」
「幼い頃から何度もひらパーに来園した」
「自分のほうがひらパー兄さんにふさわしい」
と立候補。
「2代目ひらパー兄さん」の賭け、初代ひらパー兄さんである小杉竜一と対決することになった。
2010年4月、本格的な選挙ポスターをつくられ、大阪・天満橋で行った街頭演説では、女性問題の暴露合戦。
吉田敬のに激しい「2股疑惑」追求に、小杉竜一は
「記憶にございません」
吉田敬が
「いまだに「ヒ~ハ~」とかいってる奴はどうかしてるぜっ!」
と怒りを露わと小杉竜一は、
「ひらパーで、投票っちゃえよ」
と互いの足を引っぱり合った。
Just a moment... (2600238)

2010年7月10日~11月23日(いい兄さんの日)の来場者投票によって、どちらがひらパー兄さんにふさわしいかを決定。
有権者は、すべての人で年齢・国籍も問わない。
投票方法は、ひらかたパーク園内で配られる規定の用紙に支持者の名前を記入する。
オフィシャルサイトでは、「ひらパー兄さん選挙」特別ページを設けられ、政見放送やCM動画を配信。
2人は、以下のようなアニフェストを作成した。
----------------------------

小杉竜一

・子供のボケつっこみ教育

相手の気持ちが読める、場の空気が読める子どもの感性を遊園地の遊びを通じて育める環境を整備します。

・肉食系子供の育成

告白したくなる演出を整備し、恋に臆病になることなく、好きな子にはちゃんと気持を伝えられる子を育成します。

・小杉竜一体型の子供の推進

売店・レストランメニューに高カロリー商品を導入し、ポッチャリかわいい子どもを養成します。

・子供の毛根育成

子どもの将来を見据え、園内で毛に効く商品を展開します。

・子供になる

好きなものは好き。
どっちも好きなものは好き。
自分に正直に子ども目線のキャラクターを目指します。


吉田敬


・ひらパー一筋

対立候補のように、某テーマパークに浮気することなく、ひらパーへの愛を貫きます。

・美顔の徹底

遊園地のキャラクターに相応しい爽やかさを身につけるために、寝る前の美顔ケアを欠かしません。

・笑いより、笑顔

笑いをとることは一旦忘れ、お客様が笑顔になれるような吉田スマイルを磨いていきます。

・ 親子の絆の強化

現代社会で希薄になりつつある親子の関係を再認識してもらうために、元京阪社員の父と2人3脚で取り組みます。

・後輩芸人のフル活用

私に賛同してくれる芸人仲間を大切にし、兄さん交代を実現するため、すべての手を尽くします。

----------------------------

屈辱のアイス販売 (ひらパー兄さん選挙 落選吉田氏公約②)

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