梅田スカイビル 原広司設計:Umeda Sky Building by Hiroshi Hara
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梅田スカイビルは、1993年に竣工した大阪市にある超高層ビルです。地上40階・地下2階・高さ約173mの建築物で、2棟の頂部が円形の空中庭園展望台で連結された構造になっています。独特で斬新な形状から、大阪のキタでは欠かせないランドマーク。イギリスの出版社が選んだ世界の建築20選に、パルテノン神殿・コロッセオとなどの超有名歴史的建造物と並んで選出された、世界的にも有名な建築なんです。
京都駅
Kyoto Station(京都駅)原広司:Design by Hara Hiroshi (Japanese architect)
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誰もが知っている京都の玄関口となる「京都駅」。1997年に新しい京都駅として竣工し、地上16階・地下3階の巨大な駅ビルに生まれ変わりました。駅舎としては日本有数の規模を誇ります。コンセプトは「京都は歴史への門」、京都市内の街路の特徴である「碁盤の目」の考え方が用いられています。当時、賛否両論を巻き起こしたことでも有名ですね。それでも、約4,000枚のガラスを使った超巨大空間や、東西両脇に段々状のエスカレーターとフロアが積み重なる配置計画はさすがの一言。谷の建築とも呼ばれ、近代建築の大胆な試みがあちこちで見られます。
谷口吉生(たにぐちよしお)
今年度の文化功労者に建築家・谷口吉生氏 金沢市の玉川図書館や鈴木大拙館等手掛ける 4日顕彰式
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建築家谷口吉生は、モダニズムの建築家として有名な谷口吉郎を父に持つ言わばサラブレッドの家系。ハーバード大学建築学科大学院を1964年に卒業し、ボストンの建築設計事務所で勤務します。1965~1974年までは、東京大学都市工学科丹下健三研究室および丹下健三都市・建築研究所に所属していました。1975年には独立して、計画・設計工房を開設。2001年には「東京国立博物館法隆寺宝物館」で日本建築学会賞受賞しています。
東京国立博物館 法隆寺宝物館
法隆寺宝物館
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谷口吉生設計の法隆寺宝物館は、東京国立博物館にあります。ステンレスフレームとガラスで構成された美しい建物。隣接する東洋館は、父である谷口吉郎氏の設計によるものです。明治11年(1878年)に法隆寺から皇室に献納された300件ほどの「法隆寺献納宝物」を保存展示するために建てられた建築物で、昭和39年(1964年)に開館されました。現在見られるのは、2代目の建物で、1999年開館となります。
豊田市美術館
一生に一度は行きたい日本の名建築 豊田市美術館
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豊田市美術館は、愛知県豊田市において1995年に開館した美術館です。鉄とガラスを素材としたシンプルなモダニズム建築。アメリカ製スレートで構成された直方体のモスグリーンと、乳白色のガラスで包まれたファサードが印象を強めています。自然光が効果的に降り注ぐ展示空間では、別の展示室が少しだけ見えるように配置されていたり、各展示室間に設けられた廊下から豊田市の眺望が見られるなど、意外性と面白さが随所に取り入れられています。日が落ちると、ガラスのファサードから光が放たれ、正面の池にはまるでランタンのように浮かびあがる建物の姿は必見です。
安藤忠雄(あんどうただお)
Tadao Ando 1 : Four Facets of Contemporary Japanese Architecture: Technology
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1941年大阪市に生まれた安藤忠雄は、家庭の経済的な理由で大学に通えませんでした。しかし独学で建築を学び建築士試験に合格して建築の道を歩みます。その人生はあまりに破天荒で、24歳の時にはチェ・ゲバラに影響を受け、インドのガンジス川でゲリラとして生きることを決意するのです。そしてこの年から4年間もの間、2度に渡って世界を放浪することになります。その後の1969年に安藤忠雄建築研究所を大阪で設立し、主に個人住宅を多く手がけていきます。1979年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞。1989年にはベネッセの依頼により直島プロジェクトに参画し、1992年ベネッセハウス、1999年「家プロジェクト」を手がけることに。そして1995年には、「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞するのです。
住吉の長屋
住吉の長屋 安藤忠雄 Row House in Sumiyoshi Ando Tadao
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大阪市住吉区にある安藤忠雄が一躍脚光浴びるきっかけちなったデビュー作であり代表作となります。狭小住宅の「住吉の長屋」は、三軒長屋だった真ん中の1軒を切り取って、鉄筋コンクリート造りの小住宅に生まれ変わらせました。しかし、玄関からすぐのところに居間があり、台所・トイレ・2階に行くには、中庭を通貨する必要があります。なので、雨の日は傘をささなくてはならないということも。利便性を欠いた設計は、賛否両論が湧きあがりましたが、斬新で大胆なデザインが高く評価されました。総工費は解体費を含め1000万円という低価格、更には敷地的な厳しい条件下での設計となりましたが、当時の住宅では当たり前だった機能性や連続性に疑問を持つ安藤が行った、まさに渾身の表現と言えるでしょう。