【訃報】森田童子さんが4月に死去していた事が明らかに
6月11日、シンガー・ソングライターの森田童子さんが、今年4月に亡くなっていた事が分かりました。65歳で死因は明らかにされていません。訃報の情報元は日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報から。
【訃報】#森田童子 さん
— ディスクユニオン ニュース @ユニオンレコード新宿 4/20(金)オープン (@diskunion_news) June 11, 2018
4月に死去 66歳
「高校教師」主題歌ヒット
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1975年にデビュー、1983年に突如引退
森田さんは1975年にシングル曲「さよなら ぼくの ともだち」で、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)からデビューしました。
独特な”暗さ”と”虚しさ”が同居した雰囲気を持ち、リスナーに語り掛けるような歌い方が特徴でした。
独特な”暗さ”と”虚しさ”が同居した雰囲気を持ち、リスナーに語り掛けるような歌い方が特徴でした。
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森田童子-さよなら ぼくの ともだち
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音楽番組全盛の時期にあっても、ライブハウスを中心に活動を展開。独自の歌手活動を続け、若者からの支持を獲得していきます。
1980年にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍すると1983年の引退までにアルバム7枚、シングル4枚を発売します。
引退の発表は突然でファンを驚かせましたが、森田さんはその後結婚し、一切の歌手活動を停止しました。
1980年にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍すると1983年の引退までにアルバム7枚、シングル4枚を発売します。
引退の発表は突然でファンを驚かせましたが、森田さんはその後結婚し、一切の歌手活動を停止しました。
引退後も高い人気を維持
活動停止以降も、森田さんによるその独特な世界観は人気があり、1988年に初期アルバムの4作品が初めてCD化されるなどしています。
1989年には、ミニシアタ―系の映画「グッドバイ」に楽曲が使用され、映画での使用曲を集めたサウンドトラックCDも発売されました。
1989年には、ミニシアタ―系の映画「グッドバイ」に楽曲が使用され、映画での使用曲を集めたサウンドトラックCDも発売されました。
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TBSドラマ「高校教師」で、脚本家・野島伸司により森田童子さんが再注目
1993年1月から放送されたTBSドラマ「高校教師」で、森田さんの名曲「ぼくたちの失敗」が主題歌に起用された事で、それまでコアなファンに受け入れられていた森田さんの楽曲が一躍全国区の知名度を獲得しました。
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「高校教師」は、当時脚本家として高い人気を誇っていた野島伸司による作品で、劇中では多くの社会的なタブーが扱われました。
教師と生徒の恋愛から同性愛、強姦、近親相姦、自殺など、地上波のテレビでは非常に刺激的な内容が注目され、サスペンス性のある脚本も相まって平均視聴率 21.9%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)を獲得しました。
教師と生徒の恋愛から同性愛、強姦、近親相姦、自殺など、地上波のテレビでは非常に刺激的な内容が注目され、サスペンス性のある脚本も相まって平均視聴率 21.9%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)を獲得しました。
【Music Video】森田童子「ぼくたちの失敗」
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「ぼくたちの失敗」はドラマ期間中に初シングル化され、オリコンチャートで最高5位を記録するなど、リバイバルヒットの形で脚光を浴びました。
「高校教師」では他にも森田さんの「男のくせに泣いてくれた」(第4話エンディング)、「ぼくが君の思い出になってあげよう」(第7話エンディング)などの楽曲が挿入歌となり、独特なその声でシリアスなドラマを演出してくれました。
「高校教師」では他にも森田さんの「男のくせに泣いてくれた」(第4話エンディング)、「ぼくが君の思い出になってあげよう」(第7話エンディング)などの楽曲が挿入歌となり、独特なその声でシリアスなドラマを演出してくれました。
メジャー化を拒んだ森田童子さん
カーリーヘアにサングラスというスタイルが特徴だった森田さん。
しかし、ライブや作品のジャケット写真でも素顔を見せずに、寡黙で謎多き人物として知られていました。さらに森田童子は芸名であり、本名は非公開でした。
「ぼくたちの失敗」のリバイバルヒットで、引退していた森田さんが再度注目されましたが、取材にもほとんど応じませんでした。また、復帰の要望もあったと言いますが、森田さん本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、これにもリアクションがなく、引退状態を維持したままとなりました。
しかし、ライブや作品のジャケット写真でも素顔を見せずに、寡黙で謎多き人物として知られていました。さらに森田童子は芸名であり、本名は非公開でした。
「ぼくたちの失敗」のリバイバルヒットで、引退していた森田さんが再度注目されましたが、取材にもほとんど応じませんでした。また、復帰の要望もあったと言いますが、森田さん本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、これにもリアクションがなく、引退状態を維持したままとなりました。