『アサヒスーパードライ』のヒットを受け、この状態に歯止めをかけるべく競合3社も追随して、翌1988年1月にドライビールの発売概要を発表。これに対し、アサヒビールは1月に知的所有権侵害の問題として「名称・ラベルがスーパードライに似すぎており消費者に誤解を与える」という抗議文を内容証明でキリンとサッポロに送付するなど、ドライビールの名称について議論(ドライ論争)が行われたが、競合各社が名称変更しアサヒが譲歩したことで同月中に収束した。
世界のバドガールズ☆夏だしたっぷり!!90年代~現在 - Middle Edge(ミドルエッジ)
バドガールが搾る“生グレープフルーツサワー”と聞いて喜ぶ輩どもも懐かしいと思う輩も、一度アメリカ・カナダのバドガールたちをめでてみないかい?
アグネス論争
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1987年、歌手・タレントのアグネス・チャンが第1子を出産した。彼女がその直後にこの乳児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことがマスコミに取り上げられ、林真理子、中野翠などから「大人の世界に子供を入れるな」、「周囲の迷惑を考えていない」、「プロとして甘えている」といった点で痛烈に批判された。これを発端として、仕事をもつ母親の立場が再考されはじめ、現在までこの一件を扱った書籍は数多い。
今では子連れで出社することが出来る職場も出来たのかもしれませんが、まだまだこの社会は子供のいる女性に生きやすい環境とはいえないと思います。
女性の社会進出を促した政府は、それに伴う受け皿を用意する必要があったのかもしれません。
いずれにしても、世のお母さんが活き活きして生活出来る社会が望ましいですね(^^)/
女性の社会進出を促した政府は、それに伴う受け皿を用意する必要があったのかもしれません。
いずれにしても、世のお母さんが活き活きして生活出来る社会が望ましいですね(^^)/
ひなげしの花から始まったアグネス・チャン - Middle Edge(ミドルエッジ)
アジア系のアイドルとして日本でデビューしたアグネス・チャンがアイドルとして活躍し母親アグネス・チャンになるまでを一挙紹介!アイドル「アグネス・チャン」の軌跡
象徴する有名人
ティファニー
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カリフォルニア州ノーウォークに、レバノンとシリアにルーツがある父とチェロキー族が入ったアイルランド系の母との間に生まれる。幼少時からのど自慢荒らしとして有名で、素人ながら相当の稼ぎがあったという。1986年にMCAレコードと契約し、1987年に15歳でデビューした。
この年1988年の秋に来日し、両国国技館でコンサートを開催しました。
日本でティファニーブームが巻き起り、それはもう凄い人気だったそうです。
僕も「I Think We're Alone Now」(2人の世界)は大好きな曲です(^^)/
日本でティファニーブームが巻き起り、それはもう凄い人気だったそうです。
僕も「I Think We're Alone Now」(2人の世界)は大好きな曲です(^^)/
ふたりの世界 ティファニー
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【ティファニー】80年代アメリカのアイドルと言えばTiffany 天使→ヌード→今はヒョウ - Middle Edge(ミドルエッジ)
天使のような容姿とパワフルな歌声で世界中を席巻したティファニー。たった2年間の栄光と、没落からの復活を掛けたヌード、そして現在のお姿を。
美空ひばり
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1988年4月11日、東京ドームのこけら落しとなるコンサート「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」を実施(実際にはそれ以前にミック・ジャガーやBOØWYがコンサートを同場所で既に行っていた)。この復活コンサートのようすは、現在もテレビ番組でしばしば映像が使われ、後にビデオ・DVD化もされている。なお「不死鳥」をイメージした金色の衣装など、舞台衣装は森英恵がデザインしたものである。
この年、美空ひばりさんによる伝説のステージ「不死鳥コンサート」が東京ドームで行われました。美空ひばりさんにとっての復帰公演であり、伝説と呼ぶに相応しいコンサートだったそうです。
美空ひばりさんは相当な体調不良の中、39曲を歌い切ったそうです。凄い方ですよねぇ
美空ひばりさんは相当な体調不良の中、39曲を歌い切ったそうです。凄い方ですよねぇ
この人より歌うまい人いるの?【美空ひばり】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
永遠の歌姫、美空ひばり。その類稀なる歌唱力、表現力で歌謡界の女王であり続けた真の歌手です。今一度、その歌声にふれてみましょう。
ベン・ジョンソン
1988年ソウルオリンピックの100m決勝で9秒79の世界新記録(当時)を樹立して優勝。しかし、競技後の検査でステロイドの一種スタノゾロールの使用によるドーピングの陽性反応が出たことで、世界記録と金メダルを剥奪された。
このソウルオリンピックでは、結局カール・ルイスが金メダルになりましたね。
その後ベン・ジョンソンは復帰しますが、またもドーピングの陽性反応が出てしまったそうです。
現在はスポーツインストラクターをされています。
その後ベン・ジョンソンは復帰しますが、またもドーピングの陽性反応が出てしまったそうです。
現在はスポーツインストラクターをされています。
幻の金メダリスト『ベン・ジョンソン』ドーピング事件の陰謀説と引退後の活動について - Middle Edge(ミドルエッジ)
オリンピック史上最大の衝撃と言われる1988年ソウルオリンピック陸上100m。ベン・ジョンソンが9秒79の世界新記録で優勝したが、筋肉増強剤の使用が発覚し金メダルを剥奪、記録も抹消された。後に語られたこの事件におけるカール・ルイス陰謀説や、日本のバラエティ番組での活躍、ベン・ジョンソンの現在について徹底紹介。
僕はあまりお酒を飲みませんが、なんとなくキリンの一番搾りが好きです(^^)/