【第5戦】1989年6月5日(日本武道館)「三冠ヘビー級選手権」天龍がパワーボムからのエビ固めでピンフォール勝ち
わずか1ヵ月ちょっとでの再戦となった二人の三冠戦は、1989年のプロレス大賞ベストバウト賞を受賞。
決め手は天龍渾身のパワーボム。決まった後の場内総立ちの歓声、当時天龍とコンビを組んでいたスタン・ハンセンがリングに駆けあがるなど、当時の全日本プロレスの熱狂ぶりが伝わる一戦。
試合後に天龍が発した「「この3本のベルトは東京ドームより重い」は名言。
決め手は天龍渾身のパワーボム。決まった後の場内総立ちの歓声、当時天龍とコンビを組んでいたスタン・ハンセンがリングに駆けあがるなど、当時の全日本プロレスの熱狂ぶりが伝わる一戦。
試合後に天龍が発した「「この3本のベルトは東京ドームより重い」は名言。
【伝説の6.5決戦】ジャンボ鶴田VS天龍源一郎 三冠ヘビー級選手権 89/6/5 日本武道館 - YouTube
All Japan Pro-Wrestling.Tripul Crown Title Match. Jumbo Tsuruta VS Genichiro Tenryu.89.Jun.Budokan.Japan.
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【第6戦】1989年10月11日(横浜文化体育館)「三冠ヘビー級選手権」鶴田がパワーボムをウラカン・ラナで切り返しピンフォール勝ち
決まり手は返し技ウラカン・ラナ
鶴田が6月に天龍の手に渡った三冠王座を再び奪取した試合。
鶴田のリターンマッチとなった三冠ヘビー級選手権は、天龍のパワーボムを鶴田が珍しくルチャリブレの技であるウラカン・ラナで切り返したピンフォール勝ちに。
鶴田のリターンマッチとなった三冠ヘビー級選手権は、天龍のパワーボムを鶴田が珍しくルチャリブレの技であるウラカン・ラナで切り返したピンフォール勝ちに。
【第7戦】1990年4月19日(横浜文化体育館)「三冠ヘビー級選手権」鶴田がバックドロップ・ホールドでピンフォール勝ち
二人の最後の試合となった第7戦はスタン・ハンセンが乱入
試合前に天龍と仲間割れしたスタン・ハンセンが乱入、ウエスタンラリアットで天龍にダメージを与えたダメージが大きく影響し、鶴田が12分32秒、バックドロップ・ホールドで天龍からピンフォール勝ち。
この戦いを最後に、天龍は新たな闘いを求めて新団体SWSへ移籍。
この戦いを最後に、天龍は新たな闘いを求めて新団体SWSへ移籍。
via i.ytimg.com
天龍は週刊大衆のインタビューで、自身のレスラー人生のベストバウトとして、最後の戦いとなった第7戦目を上げている。
後年、「鶴龍対決」を振り返る天龍
「正直、3試合目くらいからジャンボとの地力の差を感じていた」「いつも『お客さんにはジャンボよりも1ミリ先を見せよう』って頑張っていたけど、この最後の一騎討ちだけは、試合中に初めて『転んで(負けて)もいいや』って思った。実際負けてしまったんですが、もう全日本を辞めようって気持ちがあって(この試合を最後に退団)、それとどこか重なってしまったんです」
エビ中の質問に真剣に答える天龍。「ジャンボ鶴田の1ミリでも上に行きたかった」 - YouTube
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天龍は「良く言えばクール、悪く言えば僕らレスラー仲間から見てもどこか冷めている部分のあるジャンボが、僕の挑発に乗ってくれた時は本当に嬉しかった」という。「『全日の危機だ、皆で盛り上げよう』という空気があったのは確かですけど、ジャンボの性格からして無視されるんじゃ…と内心心配でした」そうである。ただ「馬場さんから強制された訳もでないのに、どうしてジャンボが挑発に乗ってくれたのかは、もうジャンボが先に旅立った今では永遠に分からない」という。天龍は今でも時間を見つけては鶴田の墓参りに赴くが、墓前で手を合わせて心の中で必ずこう問うそうである。「ジャンボ、あの世で再会したら教えてね。どうしてあの時、俺の挑発に乗ってかかってきてくれたのか」
遺伝子を継いだレジェンドたち
【四天王プロレスの極み】「三沢光晴VS小橋建太」闘いを通してお互いの覚悟を確かめ合う、”死して悔いなし”の至高のプロレス!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
永遠の黄金カード「三沢VS小橋」。互いのプロレス技術、プロレス努力の結晶を全力でぶつけ合い、そして全力で受け止めあう至高のファイト。観る者をして「危険すぎる」「どこまでやるんだ!?」と思わせるのは当たり前、二人にしか分からない真剣なプロレスラーとしての信頼感。多くを語らない二人が、リング上で誰よりも雄弁に語り合う姿にファンは酔いしれ、勇気と感動を与えてもらいました。そんな思い出の「三沢VS小橋」を振り返ります。