1987年、天龍同盟を結成した天龍がジャンボ鶴田との対決姿勢を打ち出す
ジャンボ鶴田、天龍源一郎の戦いの歩みについては下記をご参照。
【ジャンボ鶴田】強すぎた怪物レスラーの足跡を辿る!スタン・ハンセン、天龍源一郎、三沢光晴らと数々の激闘を繰り広げた完全無欠のエース「ジャンボ鶴田」! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980~1990年代の日本プロレスマットで、最強の日本人レスラーと言われたジャンボ鶴田。スタン・ハンセンや天龍源一郎、三沢光晴、そして長州力らとの激闘の記憶はいまだ色褪せることはありません。全日本プロレスの完全無欠のエースと呼ばれたジャンボ鶴田、そのナチュラルな強さを足跡とともに振り返りましょう。
【天龍源一郎】「生ける伝説」ジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー!プロレス界の風雲児でした!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
プロレスラーの「生ける伝説」。闘志を前面に出した妥協なきファイトは見る者を熱くさせました。全日本プロレス時代のジャンボ鶴田との死闘、天龍同盟は全国に熱いプロレスを届けました。どこにいっても激しいプロレスを体現する、天龍源一郎はまさにプロレス界の風雲児です。
1987~90年にかけての7度の対決はジャンボ鶴田が4勝、天龍源一郎が3勝だった
第1戦と第5戦はその年のプロレス大賞のベストバウト(年間最高試合)に選ばれている。
「仕掛ける天龍、怒れる鶴田」の構図は、全日本ファンならずともジャイアント馬場、アントニオ猪木と続いた大型日本人レスラー同士のド迫力バトルにとして観る者に興奮を与えることに。
「仕掛ける天龍、怒れる鶴田」の構図は、全日本ファンならずともジャイアント馬場、アントニオ猪木と続いた大型日本人レスラー同士のド迫力バトルにとして観る者に興奮を与えることに。
【第1戦】1987年8月31日(日本武道館)・・・天龍がリングアウト勝ち
エース鶴田に天龍が仕掛け、5年ぶりに行われた二人のシングル対決。
このときすでに「鶴龍対決」とのアナウンスで、「エース」VS「革命」と称されていた。
試合はラリアットの相打ちでエプロンから動けなくなった鶴田がリングアウト負けに。
1987年、プロレス大賞年間ベストバウト賞を受賞。
このときすでに「鶴龍対決」とのアナウンスで、「エース」VS「革命」と称されていた。
試合はラリアットの相打ちでエプロンから動けなくなった鶴田がリングアウト負けに。
1987年、プロレス大賞年間ベストバウト賞を受賞。
ジャンボ鶴田VS天龍源一郎 87年8月日本武道館 鶴龍対決第一章 - YouTube
JUMBO TSURUTA VS GENICHIRO TENRYU 87' Aug. Tokyo 全日本プロレス1987年8月日本武道館大会、ジャンボ鶴田VS天龍源一郎
via www.youtube.com
【第2戦】1987年10月6日(日本武道館)・・・天龍が反則勝ち
天龍との戦いに興奮しすぎたジャンボ鶴田。天龍を拳で殴りつけ、止めに入った和田京平レフェリーを投げ飛ばしてしまい反則負けに。
試合後には新日本プロレスに主戦場を移したはずのブルーザー・ブロディがリングに乱入。
大荒れの決着となった。
試合後には新日本プロレスに主戦場を移したはずのブルーザー・ブロディがリングに乱入。
大荒れの決着となった。
天龍源一郎VSジャンボ鶴田 87年11月日本武道館 鶴龍対決第2章 - YouTube
GENICHIRO TENRYU VS JUMBO TSURUTA 87'Nov Tokyo 全日本プロレス1988年10月日本武道館大会 天龍源一郎VSジャンボ鶴田
via www.youtube.com
【第3戦】1988年10月28日(横浜文化体育館)・・・鶴田が反則勝ち
第2戦から1年を経て3度目の対決となった試合は、後半にまたもやヒートアップ。
互いの頬を張り合っているなか、天龍の膝が金的となってしまいあえなく反則に。
会場騒然のなか、憮然として引き上げていく天龍と苦悶の表情で勝ち名乗りを受ける鶴田。
互いの頬を張り合っているなか、天龍の膝が金的となってしまいあえなく反則に。
会場騒然のなか、憮然として引き上げていく天龍と苦悶の表情で勝ち名乗りを受ける鶴田。
【鶴龍対決第3章】ジャンボ鶴田VS天龍源一郎 88年11月横浜 - YouTube
All Japan Pro-Wrestling.Jumbo Tsuruta VS Genichiro Tenryu 88' Nov.Yokohama Japan.
via www.youtube.com
【第4戦】1989年4月20日(大阪府立体育会館)「三冠ヘビー級選手権」鶴田がパワーボムからの片エビ固めでピンフォール勝ち
ブロディを退けて第18代インターナショナル・ヘビー級王者となったジャンボ鶴田と、天龍を退けて第27代UNヘビー級と第14代PWFヘビー級の二冠王者となったスタン・ハンセンの間で3度にわたる王座統一戦が行われ、1989年4月18日に史上初の三冠統一ヘビー級王者となった鶴田に天龍が挑んだ一戦。
※三冠ヘビー級王座はPWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)の統一王座
過去3戦はいずれもリングアウト・反則による決着だったが、この試合はジャンボ鶴田のピンフォール勝ちに。
決め手となったのは高角度パワーボム。
後にジャンボリフトと呼ばれた高角度のハイスピード垂直落下型のパワーボムは、かなり危険な角度で入ったため天龍を失神させてしまった。
※三冠ヘビー級王座はPWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(UN王座)の統一王座
過去3戦はいずれもリングアウト・反則による決着だったが、この試合はジャンボ鶴田のピンフォール勝ちに。
決め手となったのは高角度パワーボム。
後にジャンボリフトと呼ばれた高角度のハイスピード垂直落下型のパワーボムは、かなり危険な角度で入ったため天龍を失神させてしまった。
インターナショナル・ヘビー級王座は力道山が創設した日本プロレスに於いて、力道山とジャイアント馬場が保持し、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座はアントニオ猪木と坂口征二が保持してそれぞれ腰に巻いた歴史的なチャンピオンベルトである。日本プロレスが崩壊したことを受け、紆余曲折を経てインター王座とUN王座のベルトは全日本が受け継ぐ事となった。
一方、PWFヘビー級王座は馬場が全日本を旗揚げした際に、力道山(百田)家から初代インターナショナルヘビー級王座チャンピオンベルト(通称力道山ベルト)の寄贈を受けたことを契機に、世界ヘビー級王座として新設されたもので、全日本のシンボル王座としてその名を高めた。これら歴史的経緯の違う三つのタイトルを、全日本プロレスでの管理上からまとめた統一王座である。
【天龍、衝撃の失神!】ジャンボ鶴田VS天龍源一郎 三冠ヘビー級統一戦 89年4月大阪 - YouTube
All Japan Pro-Wrestling.Tripul Crown Title Match.Jumbo Tsuruta VS Genichiro Tenryu.89'April.Osaka Japan.
via www.youtube.com
全日本プロレスが従来のようなアメリカン・スタイルのプロレスに戻ることに納得できなかった天龍が阿修羅・原と組んで龍原砲を、さらにこの2人の姿勢に共感した川田利明、サムソン冬木、北原辰巳、天龍の付き人の小川良成が加わって天龍同盟を結成。
ジャンボ鶴田との対決姿勢を打ち出したことで二人のシングル対決がスタートした。