「鶴龍対決」=ジャンボ鶴田VS天龍源一郎
1987年を起点とする、ジャンボ鶴田と天龍源一郎のシングル対決を「鶴龍対決」と称した。
同年3月までタッグを組んでいた2人のコンビ名が鶴龍コンビ、または鶴龍砲と呼ばれていた事に由来。
天龍が全日本プロレスを離脱する1990年まで、全日の看板カードだった。
同年3月までタッグを組んでいた2人のコンビ名が鶴龍コンビ、または鶴龍砲と呼ばれていた事に由来。
天龍が全日本プロレスを離脱する1990年まで、全日の看板カードだった。
1983~87年には「鶴龍コンビ」として共闘したジャンボ鶴田と天龍源一郎
当時最強を誇っていたスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビにも果敢に戦いを挑んだ。
1983年のプロレス大賞において最優秀タッグチーム賞を獲得。
1983年のプロレス大賞において最優秀タッグチーム賞を獲得。
【プロレス】1983 J鶴田&天龍 vs ハンセン&ブロディ 全日 世界最強タッグ優勝戦 - YouTube
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ブルーザー・ブロディ Bruiser Brody 「超獣」「暴走キングコング」 誰もこの男は止められなかった - Middle Edge(ミドルエッジ)
「超獣」「暴走キングコング」「インテリジェント・モンスター」「プロレス界のチェ・ゲバラ」「NOと言えるレスラー」ブルーザー・ブロディはたくさんのニックネームを持つブルーザー・ブロディその破天荒さそのインテリジェンスその少年のような無邪気さ彼はヒール(悪役)だったけれど全然卑怯なことはしなかったというか反則しても堂々としすぎているし反則しなくても勝てる人だし「ルールに縛って彼の野性を消したらダメ」とWWF(世界野生生物基金 )的なことを思ってしまいますI Love ブルーザー・ブロディ!
85~86年は、鶴龍コンビを中心に4コンビの熱い闘争
1985年に入るとジャパンプロレスの長州力&谷津嘉章がライバル・チームとして登場する。日本人対決が主流となるのに不満を抱いたとされるブロディは長州を一方的に蹴散らしたタッグマッチを最後に新日本プロレスに移籍、ハンセンは新パートナーにテッド・デビアスを選び、この年初来日したロード・ウォリアーズも含めた4チームの抗争が1986年まで繰り広げられた。
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鶴田・天竜vs長州・谷津 - YouTube
1986年2月5日 札幌市・札幌中島体育センター インタータッグ選手権
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革命戦士長州力〜男の生き様〜 - Middle Edge(ミドルエッジ)
革命戦士といったら長州力。噛みつきに噛み付いて今の地位を築いたその生き様から学ぶことがきっとあるはず。ピンチをチャンスに変えてきた長州の生き様をとくとご覧あれ。
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不沈艦『スタン・ハンセン』がノアにサプライズ登場!三沢との名勝負を動画で振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
全日本時代に三沢光晴と数々の激闘を繰り広げたスタン・ハンセンがノアのマットに初登場。サプライズでノアファンに挨拶を行なった。三沢とハンセンの名勝負動画と共に紹介。
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プロレス界最強のタッグチームは「ザ・ロード・ウォリアーズ」以外は考えられません!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
プロレスが間近にあった小学生時代。ブラウン管の中にいた外国人のタッグチームに憧れていた。いまでもこの2人が最強のタッグチームだと思っている。今、ここに蘇れ!ザ・ロード・ウォーリアーズ!!
鶴田、天龍の入場テーマを重ねた「鶴龍コンビ」の入場テーマ曲。
鶴龍コンビ 1985.8.31 - YouTube
・J~サンダーストーム
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試合後のインタビュー、饒舌な二人の貴重な映像。
鶴龍コンビ - YouTube
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ジャンボ鶴田はミュンヘンオリンピックのレスリング日本代表、天龍源一郎は大相撲の前頭という経歴を引っさげて、ともに鳴り物入りで全日本プロレスに入団。
いち早くブレイクした鶴田に、81年「全日本プロレス第3の男」と言われるまでに急成長を遂げた天龍。
1983年から二人がタッグを組む機会は増え、全日本プロレスも日本テレビも鶴田・天龍のコンビを次期全日本エースチームとして売り出しはじめ、各プロレス紙誌も二人を「鶴龍コンビ」「鶴龍砲」と呼称するようになった。