伊勢正三のかぐや姫時代
アニメ主題歌「海のトリトン」
伊勢正三、通称「正やん」は、大分県立大分舞鶴高等学校時代に、コーラス部の先輩だった南こうせつに誘われて、バンドを結成しました。
その後千葉工業大学工学部に進学しますが、一足先に上京していた南こうせつに誘われて、1971年第2期の「かぐや姫」に加入します。山田パンダと3人の「かぐや姫」の誕生です。デビュー曲は「青春」でした。
1972年には、アニメ「海のトリトン」の主題歌を須藤リカとかぐや姫が歌い、初期はオープニングで、途中からはエンディングとして4人の歌う実写映像が流れました。
その後千葉工業大学工学部に進学しますが、一足先に上京していた南こうせつに誘われて、1971年第2期の「かぐや姫」に加入します。山田パンダと3人の「かぐや姫」の誕生です。デビュー曲は「青春」でした。
1972年には、アニメ「海のトリトン」の主題歌を須藤リカとかぐや姫が歌い、初期はオープニングで、途中からはエンディングとして4人の歌う実写映像が流れました。
海のトリトン 初期 OP
若かりし頃の「かぐや姫」の姿を見ることができます。
via www.youtube.com
「神田川」の大ヒット
1973年のアルバム「かぐや姫さあど」の収録曲である「神田川」が、ラジオの深夜放送リスナーからの支持でシングルカットされて発売され、大ヒットします。NHKの紅白歌合戦への出場打診がありましたが、商標名が入っているため歌詞を変更してほしいというNHKの依頼を断ったため、出場を辞退することになりました。NHK側の依頼は、「クレパス」を「クレヨン」にしてくれというものでした。発売から19年後の1992年の紅白歌合戦で、ソロで出場した南こうせつが、オリジナルのまま歌うことができました。
メンバー全員の曲作り
1974年のアルバム「三階建ての詩」では、メンバー全員に印税が入るようにという南こうせつの提案により、伊勢正三と山田パンダの2人も曲作りをすることになりました。
伊勢正三が作詞した曲は「南風知らん顔」と「この季節が変われば」の2曲、作詞・作曲した曲は「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が入っています。
伊勢正三が作詞した曲は「南風知らん顔」と「この季節が変われば」の2曲、作詞・作曲した曲は「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が入っています。
大ヒットして映画化もされた「神田川」の次のシングルに、南こうせつは「22才の別れ」か「なごり雪」を考えていましたが、映画化が決まっていたためにレコード会社が「赤ちょうちん」をリリースしてしまいます。その後も同じく映画化のために「妹」がリリースされるなど、本人たちの意向が無視されることが続きました。
「かぐや姫」の解散
1975年、東京神田共立講堂での解散コンサートを最後に、「かぐや姫」は解散します。南こうせつと山田パンダはソロとして、伊勢正三は元「猫」の大久保一久と「風」を結成しそれぞれの活動を開始します。
伊勢正三の「風」時代
「かぐや姫」は1975年4月までの活動でしたが、同年2月に「風」を結成し、活動を開始します。デビュー曲は「かぐや姫」のアルバム「三階建ての詩」に収録された「22才の別れ」でした。同じく「三階建ての詩」に収録された「なごり雪」は、イルカに歌わせたいという要望があり、イルカに提供しました。
自然に浮かんだという「なごり雪」とは違い、「22才の別れ」は売れる曲を意識して作ったといいます。最初に作った曲が、2曲とも大ヒットとなりました。
自然に浮かんだという「なごり雪」とは違い、「22才の別れ」は売れる曲を意識して作ったといいます。最初に作った曲が、2曲とも大ヒットとなりました。
via 2338.jugem.jp
「22才の別れ」が大ヒットした「風」ですが、その他にも「海岸通」や「あの唄はもう唄わないのですか」などの曲があります。1977年には日本武道館でのコンサートも開催しました。
「22才の別れ」の動画
二十二才の別れ
「かぐや姫」でのレコーディングの際に、一度別の曲を録音したものの納得がいかず、1日待ってもらうことでできたそうです。
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