アメリカの喜劇王と呼ばれたジェリー・ルイスのよもやま話
2018年6月1日 更新

アメリカの喜劇王と呼ばれたジェリー・ルイスのよもやま話

今考えると、私が米国の”ど田舎”に留学していた’70年代後半から’80年代前半には、”ど田舎”だったせいもあるが、あまりこれという遊びがなかったので、暇な時にはテレビでしょっちゅう、過去の映画を見ていたものだ。喜劇王と呼ばれたジェリー・ルイスのコメディー物など何度も繰り返し放映していたこともあり、ストーリーを覚えるくらいだった。彼が約1年前に他界したことをこの間、やっと知り(おっせえな!!)、彼に関しての備忘録でも書こうかと思った次第だ。

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ジェリー・ルイス(Jerry Lewis)

ジェリー・ルイス(Jerry Lewis)

本名 ジョーゼフ・レヴィッチ(Joseph Levitch)
生年月日 1926年3月16日
没年月日 2017年8月20日(91歳没)
出生地 米国・ニュージャージー州ニューアーク
死没地 米国・ネバダ州ラスベガス
国籍 米国
配偶者 Patti Palmer (1944-1980)、
    M.SanDee Pitnick (1983-2017)

彼の若い頃の画像がすごい二枚目なことに今さらながら驚いている。

ユダヤ系の両親が芸人で5歳から舞台に立っていた!!

芸人だったユダヤ移民の両親と共に5歳から舞台に立つ。しかし家庭は貧しく、高校はスーパーや帽子工場で働きながら卒業。学生劇などに出演しているうちに芸人を志すようになる。ナイトクラブを経て’46年からアトランティック・シティーのショーに出演し始める。
1950/ ディーン・マーティン (33才頃)/ジェリ...

1950/ ディーン・マーティン (33才頃)/ジェリー・ルイス(24才頃)

アトランティック・シティーのショーに出演していた時、ディーン・マーティンと知り合い、「底抜けコンビ(Martin and Lewis)」を結成。歌手のディーン・マーティンがツッコミで、コメディアンのジェリー・ルイスがボケを担当、丁度日本の漫才形式を執った。
ちなみに、「底抜け」という言葉は日本でのみ付けられた冠で、本家本元の米国では全然使用されていない。
フィラデルフィアのカジノでデビューし各地のナイトクラブを廻る内に人気が爆発した。やがてTVへも出演するようになり、その活躍を見たプロデューサーのハル・B・ウォリスに認められ’49年に映画デビューを飾る。

コンビとなった相方ディーン・マーティンってどんな人??

ディーン・マーティン(Dean Martin)

ディーン・マーティン(Dean Martin)

本名 Dino Paul Crocetti
生年月日 1917年6月7日
没年月日 1995年12月25日(78歳没)
出生地 米国・オハイオ州ステューベンヴィル
死没地 米国・カリフォルニア州ビバリーヒルズ
国籍 アメリカ合衆国
職業 俳優
配偶者 ベティ・マクドナルド (1941-49)
    ジーン・ビーガー (1949-73)
    キャサリン・メイホーン (1973-76)

Dean Martin - Everybody Loves Somebody Sometime 1965

高校を中退してボクサーやプロの賭博師など、様々な職業を経てナイトクラブで歌うようになる。'46年にアトランティック・シティのクラブで解雇寸前の窮地に立たされた時に同じクラブに出演していたジェリー・ルイスと知り合い、即興でコンビを組み舞台に出演。しかしこれがバカウケして以降、本格的にクラブやTVに出演して人気を得た。その活躍を見たプロデューサーのハル・B・ウォリスによって'49年に映画デビュー。
その後は『底抜け』シリーズでマネー・ランキングにも顔を出すほどの人気コンビとなって大活躍を続けた。’56年の「底抜けコンビのるかそるか」でコンビを解消。その後正統派俳優の道を周囲の反対をよそに歩き始め、「走り来る人々」や「果てしなき夢」、そして「リオ・ブラボー」と予想に反した演技力を発揮して成功を納めた。’60年代はいわゆる“シナトラ一家”の一員として持ち前のおしゃれな雰囲気を醸し出して多くの作品でファンを魅了。’66年からは『サイレンサー』シリーズでも軽妙な演技で好評を得た。一方“酔いどれディノ”の愛称で歌手としても活躍。『思い出はかくの如く』や『誰かが誰かを愛してる』などのヒット曲も生み出し、’65年からは自身のTVショーも持っていた。’95年に呼吸器疾患のため死亡。

映画『底抜け』シリーズは全部で30作以上!!

「底抜けコンビ」のTVコント『保険』Part2

丁度、テレビに出ていた頃の「底抜けコンビ」だが、まるで「コント55号」や「けんちゃんかとちゃん」にそっくりだ!!

At War With The Army - Clip 1

邦題を『底抜け右向け!左』と言い、底抜けコンビ日本公開1作目でモノクロだった。生真面目な上官マーティンとドジでのろまなルイスの歌あり顔芸ありの軍隊コメディ。ルイスの顔芸だけで90分はツラいかな?!。壊れたゲーム型自販機からコーラが手榴弾のように際限なく飛び出して来てルイスがあたふたするシーンがいちばんのギャグでしょうか?!。

Anita Ekberg in "Hollywood or Bust"

邦題を『底抜けコンビのるかそるか』と言い、偽造した籤で新車を手にしたディーン・マーティンと本当に当選したジェリー・ルイスが車の共同所有者になり、二人でハリウッドへ向かうというコメディだ。ジェリーが別の賞品で手にした大きな犬が一緒についていくが、この犬が大活躍する。ハリウッドへ向かう途中、各都市を紹介するような場面もあり、またジェリーが闘牛の真似をするシーンが愉快だった。なお、この作品を最後に「底抜けコンビ」を解消しだ。
映画『底抜け』シリーズを次々にヒットさせたコメディアンと歌手のコンビは、きっちり10年目にコンビを解消してしまう。まだ契約期間が残っていた映画会社に、高額な違約金を支払ってまでふたりが離れた理由については諸説があるが、仕事全般を仕切るジェリーの強要に嫌気がさしたディーンがソロ歌手として独立しようとしたため、「裏切られた」と感じたジェリーが幕引きしたという説がもっとも有力である。頑固なふたりは、コンビ解散後は20年間も口を聞かないままだったという。

Nutty Professor 1963, Original version- Best scenes (part 1)

この作品はディーン・マーティンとコンビを解消してからの作品で、邦題を『ジェリー・ルイスの底抜け大学教授』と言い、彼の代表作の一つになっている。
なお、「底抜けコンビ」解消後も日本では、ジェリー・ルイスの主演作品には「底抜け」が使われていた。
『底抜け大学教授』(そこぬけだいがくきょうじゅ 原題:The Nutty Professor)は、1963年にロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』をモチーフに、ジェリー・ルイスが映画化。ルイスは監督、脚本、主演と1人3役をこなしている。

ジュリアス・ケルプ教授(ジェリー・ルイス)は化学の虫で、頭はいいが、運動はからっきしダメな男である。学生たちからバカにされるのを気の毒に思った女子学生のステラの勧めでボディビルを始めるが、効果は出ない。そこで今度は生物学教室の文献を読みあさり、あるクスリを発明して飲んでみると、たちまちたくましい男に変容した。変容したケルプはスポーツやダンスを難なくこなして、“バディ・ラブ”と呼ばれ、一躍学生たちのヒーローとなる。だが、クスリの効目が切れると、たちまち元の弱虫のケルプ教授に逆戻りしてしまう事から、昼はケルプ教授、夜はバディ・ラブという生活が続く事になってしまうドタバタコメディーである。

『底抜け大学教授』は’96年にリメイク!!

ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合 - 予告編(吹き替え)

『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(The Nutty Professor)は、1996年に公開されたアメリカ映画で、1963年にジェリー・ルイスが監督・主演した『底抜け大学教授』(原題も同じ)のリメイク版である。主演にはエディ・マーフィーが一人7役をこなしていて、第69回アカデミー賞においてアカデミーメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞している。

”ドタバタ”→”シリアス”!!

彼の出演した映画は、圧倒的に”ドタバタ”のコメディーが多いが、'80年代初期からはコメディーでも、風刺物やシリアスな物まで演じるようになった。代表的な物に「キング・オブ・コメディ」がある。

キング・オブ・コメディ (字幕版)

スターを夢見るコメディアンの卵デ・ニーロが人気コメディアンのルイスを誘拐、彼の命をタテにして一晩だけのTV出演を強要する。「タクシードライバー」のスコセッシ=デ・ニーロコンビで、願望実現のために常軌を逸する男と現代社会に息づくささやかな狂気をリアルに描いた作品。
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