そもそも「御三家」とは?
御三家(ごさんけ)とは、ある分野で最も有力な、最も有名な、最も高く格付けされた、あるいは最も人気がある3者を総称する際の表現のひとつ。
江戸時代に徳川将軍家に連なる尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家の3家が「御三家」と呼ばれて並みいる諸大名の中でも特に別格扱いされていたことに因んだ表現である。
元祖・御三家
橋幸夫
紅白歌合戦には1976年の「第27回NHK紅白歌合戦」まで17回連続出場、通算19回出場した。
後にデビューした舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」としてアイドル的な人気を集める。実はビクターからデビューする以前にコロムビアのオーディションに落ちており、もしコロムビアからデビューしていたら、舟木一夫という芸名になる予定であったと後に述べている。神戸芸能社で仕事をした時期もある。
(Wikipedia)
舟木 一夫
(Wikipedia)
西郷 輝彦
同曲は60万枚を売り上げた。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲でその年の第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。
同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。しかし事務所が解散し東京第一プロダクション(現 第一プロ)へ移籍するも同社を退社した相澤秀禎マネージャー(業務成績不振及び素行不良が原因で退社)の画策により1965年にクラウンレコード、太平洋テレビなどと共同出資(西郷は50%)によって誠和プロを設立し当面はクラウン・レコード宣伝部に事務所を置き社長業を兼ねる。
ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。(Wikipedia)
意外なエピソードとして、橋さんは当時、「舟木一夫」という芸名になるはずだったとか‥‥!
そうだったら、ほんとの舟木さんは、なんて芸名になってたのでしょう?
ちょっと気になるエピソードでした。
2000年頃には、お三人さんそろって「水戸黄門」のテーマソングも歌っていたことも‥‥!
新・御三家
郷ひろみ
フォーリーブスのバックダンサーとして出演して多くのファンを獲得する。
芸名は、ファンからの声援「レッツゴーひろみ」から借名して「郷ひろみ」になり大阪でファンクラブが発足する。
1972年1月2日、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー(現在までNHK大河ドラマ合計4作品に出演) する。
4月3日 - 9月25日、フジテレビ系の森田健作主演・青春ドラマ『青春をつっ走れ』と『あしたに駈けろ!』に連続して出演する。
8月1日、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)所属の歌手としてデビューする。
9月25日、デビュー曲「男の子女の子」がオリコン週間チャートのベストテン入りを果たし、11月には第14回日本レコード大賞・新人賞を受賞する。
1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
(Wikipedia)
西城秀樹
1973年6月25日、「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれる。
「ちぎれた愛」、「愛の十字架」が連続してオリコン週間チャートの第1位を獲得。
絶唱型と言われる歌唱法を披露。
『第15回日本レコード大賞』で初の歌唱賞を受賞する。
1974年、「薔薇の鎖」でマイクスタンド・アクションを披露。
「激しい恋」がオリコン年間チャートの第8位を獲得。
「傷だらけのローラ」が、『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞を受賞。これによりポップス歌手としては史上初となる2年連続受賞を樹立する。
『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、その後も着実にヒットを飛ばす。ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、松竹映画『愛と誠』で映画初主演と、俳優としても活動する。
(Wikipedia)
野口五郎
しかし2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向してスマッシュ・ヒット、若い女性ファンの人気を獲得。
1972年12月31日、第23回NHK紅白歌合戦において当時としては最年少(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。
1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、第24回NHK紅白歌合戦も同曲で出場。
西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
(Wikipedia)
郷は女の子に間違えられるほどの可愛らしさ、西城は男らしさの中に秘められたセクシーさ、野口は気品のある大人の優しさと、ルックスから放たれる魅力も三者三様で、全国の若い女性の人気を独占した。
俳優としてデビューした歌って踊れるジャニーズ・アイドル系の郷、ロック系のポピュラー音楽を中心にしたダイナミックなステージングの西城、演歌歌手としてデビューした音楽的に繊細な神経を持つギタリストの野口と、スタイルも様々であった。
上記のWikipediaにも記載されてありますが、三人三様でそれぞれ個性あふれるスタイルでしたね!
そして、この三人の面々は、テレビ・バラエティ「カックラキン大放送」にも、研ナオコさんと出演されていたことも思い出されますね!
新御三家_Medley_25songs_1989_2-2 - YouTube
新・新・御三家
三人ともテレビ・ドラマ「3年B組金八先生」に出演!
そこからとても人気者になりましたね!
歌手、あるいはグループ(野村義男さん)として、それぞれ個々の活動をされていましたが、映画などでは三人一緒に出演されていました。
(黄門様は、これもいろんな俳優さんが演じていらっしゃいますが、昭和の黄門様で思い出すのが、なんといっても東野英治郎さんだったので、東野さんが写っている画像で‥‥!)