マッチ、トシちゃんだけでない「御三家」と呼ばれた芸能人・声優さんたち
2017年8月19日 更新

マッチ、トシちゃんだけでない「御三家」と呼ばれた芸能人・声優さんたち

ジャニーズのアイドルなどをはじめ「御三家」と呼ばれた人々をご紹介します。昭和(平成もあります)の人気スター・アイドルたちをはじめ、ロック御三家、大ヒットしたアニメの声優さんまで、今回は芸能の様々な「御三家」を振り返ってみました。

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ハイティーン・ブギ

近藤真彦「ハイティーン・ブギ」

ロック御三家

Char

Char

1976年6月『NAVY BLUE』でソロ・デビュー、9月にアルバム『Char』を発表(代表曲『Smoky』収録)。 1977年6月にリリースされた『気絶するほど悩ましい』は、外部の作詞(阿久悠)、作曲(梅垣達志)で自身のROCK指向とは異なる『歌謡ROCK』路線となりアイドル系ギタリストとして人気を博す。 1978年には『逆光線』『闘牛士』とヒットを飛ばし、同時期に登場した世良公則&ツイスト、原田真二の3人(グループ)と共に『ロック御三家』と呼ばれる。(Wikipedia)
原田真二

原田真二

「てぃーんず ぶるーす」発売後、翌11月に「キャンディ」、12月に「シャドー・ボクサー」をリリース。
「3ヶ月連続レコードリリース」という前代未聞の形でデビューを飾ると、3曲が同時にオリコンベスト20入りするという、日本音楽史上初の快挙を達成した。
「3ヶ月連続レコードリリース」は、当時の所属事務所の社長大里洋吉のアイデアによるものだが、どの曲も捨てがたく1曲にデビュー曲を絞れなかったという事情もあった。
「てぃーんず ぶるーす」、「キャンディ」、そして翌年に発売された「タイム・トラベル」は『三部作』と呼ばれる。更にファーストアルバム「Feel Happy」(1978年2月発売)も、オリコン史上初の初登場第1位を獲得した(4週連続1位)。
10代でのファーストアルバム、オリコン1位獲得は、男性シンガーソングライターでは未だ原田のみ(2011年10月現在)。
(Wikipedia)
世良公則&ツイスト

世良公則&ツイスト

1977年10月、「あんたのバラード」がポプコン本選会でグランプリを獲得。
フォーク/ニューミュージック系シンガーが多かったポプコンでロックバンドがグランプリを獲るのは初めてのことで、ひとつの"事件"だった。
世良公則&ツイストのグランプリ以降、ロック系の楽曲が増えた。
世良公則&ツイストがこの後、大きな人気を得たことで、ポプコンの名が世間に知らしめられ、ポプコンはスターの登竜門として華々しくなっていった。
11月の第8回世界歌謡祭でもグランプリを獲得、12日後の11月25日にキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)からシングル盤「あんたのバラード」を発売した。
世良のド派手なアクション、そしてあまりにワイルドなボーカルスタイルは多くの人の度肝を抜いた。
デビューシングル「あんたのバラード」(オリコン最高6位)、「宿無し」(最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(最高1位)、「性」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)と、立て続けに大ヒットを飛ばし一世を風靡した。
ロックバンド・ミュージシャンが、シングルヒットを続けるのはそれまで前例が無かった。また1978年7月10日に発売したデビューアルバム『世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録、日本のロックバンドとしては、デビューアルバムが、チャートの1位を記録したのはこのアルバムが初めてであった。(Wikipedia)

燃えろいい女 - ツイスト( 世良公則 )

ロック御三家の中でも、ひと際「燃えて」いたこのバンド、ツイストから「燃えろいい女」です。
この曲は、化粧品のCMでも流れていましたね!
な・つ・こ!
(当時、なつ子さんという名前がうらやましかったです。世良さんに吠えてもらえていいな‥‥と)。

少年御三家

光GENJI

光GENJI

光=内海光司、大沢樹生
GENJI=諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓

1987年6月、既存グループだった5人組の「GENJI」と、内海光司、大沢樹生の2人による「光」の2つのグループが合体して、「光GENJI」が結成。
1987年8月19日にチャゲ&飛鳥(現・CHAGE and ASKA)が楽曲提供した「STAR LIGHT」でレコードデビュー。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスがうけ、デビューしてすぐに人気が上昇、爆発的なブームを生み「最後のスーパーアイドル」と呼ばれ、その人気は経済誌などでも社会現象として取り上げられる。同年、テレビ東京系『あぶない少年』でドラマ初主演を務める。
1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。また、同年のオリコン年間ングル売上第1位~3位を光GENJIが独占し、1978年のピンクレディ以来の快挙を達成した(ベスト10内には4曲ランクイン)。(Wikipedia)
男闘呼組

男闘呼組

メンバー=成田昭次、高橋一也、岡本健一、前田耕陽

「DAYBREAK」(1988年発表シングル、オリコン最高チャート1位)でレコードデビュー。その際のキャッチフレーズは、「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」だった。続いて「秋」「TIME ZONE」などの楽曲がヒットし、 1991年発表のシングル「ANGEL」からは自作曲が中心となる。また、事前にメディアへのメンバーの露出が多かったことや、事務所側の期待の大きさもあり、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で、当時の音楽番組の雄であったフジテレビ『夜のヒットスタジオ』への初出演を果たしている。(Wikipedia)
少年忍者

少年忍者

メンバー=柳沢超、正木慎也、高木延秀、遠藤直人、志賀泰伸、中村亘利

忍者の前身グループで、1985年7月の結成から1990年の春までこの名前で活動していた。中村繁之のバックダンサーとして結成された為、最初期のグループ名は「シゲダン」だった。 その後、少年隊や鞆田紀世彦のバックを務めたり、「少年御三家」に参加した。
少年御三家の三グループです。
ジャニーズ事務所から「御三家」入りする方々は多いですね!
懐かしのメンバーたちです。

トレンディ御三家(平成・御三家)

吉田栄作

吉田栄作

1988年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でのグランプリ獲得がきっかけとなり、映画『ガラスの中の少女』でスクリーン・デビュー。阿部寛、風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリだった。
当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年、当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わせる『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ。
吉田らが俳優としても成功を収めたことで、モデル上がりは顔だけで中身が無い、と言われる事なく、多くの後続が続いた。(Wikipedia)
織田裕二

織田裕二

1987年4月公開の東映映画『湘南爆走族』に、出演者オーディション数万人の参加者の中から、望んでいた石川役に抜擢されてデビュー。同時に主役デビューの江口洋介と共演。当時は二輪免許は持っておらず、映画撮影のために取得した。
1989年6月公開の東宝映画『彼女が水着にきがえたら』で主演の原田知世の相手役に起用され、知名度が高まった。
1991年、フジテレビ系ドラマ『東京ラブストーリー』の永尾完治(カンチ)役で大ブレイク。
「月9」という言葉もこの作品から生まれた。
ただし、人気とは裏腹に織田自身は、ストーリーが進むにつれ、原作と脚本と自分のイメージとのギャップに悩み、結果的には途中放棄といえるくらい演技的に失敗だったと語っている。また、1992年にTBS『あの日の僕をさがして』では民放連ドラで初めて主役の古賀森男役を演じたが、視聴率が芳しくなかっため、失敗作で終わり、「駄目だ。何をしたいかを一所懸命固めなきゃ駄目だ。人から役をもらうだけじゃなくて、こっちから「何をしたい」って言わなきゃ駄目だ。無いんだったら、何か無理矢理でもテーマを作るぞ。そう思った。」と語っている。そのため、以降の作品では企画・脚本作りの段階から作品に関わるという姿勢を強めることになる。(Wikipedia)
加勢大周

加勢大周

1990年、桑田佳祐初監督の映画『稲村ジェーン』で主役に抜擢され俳優デビュー。その関係からか、同年12月31日にTBSで中継された年越しライブ『歌うサザンに福来たる』にも出演していた。その後吉田栄作・織田裕二とともに「トレンディ御三家」(平成御三家とも)と呼ばれ、ドラマにも引っ張りだこだった。
1995年頃からは助演としての出演が目立ってくるようになった。この頃から、台湾のTVドラマへの出演を始め、現地で人気を博した。また、同年に“カルトの帝王”と呼ばれた石井輝男監督のアクション映画『無頼平野』に主演する。(Wikipedia)
平成になり「トレンディドラマ」が流行りました。
そして、このお三方のお顔もよくテレビで見るようになりましたね!
ドラマだけでなく、CMにもよく出演されていました。だから、自然とお顔も覚えたり。
女性の「トレンディ~」は、W浅野と言われた浅野温子さんと浅野ゆう子など、よくドラマで見かけた時代でした。

フォーク界御三毛(「家」ではなく「毛」です)

さだまさし

さだまさし

デビュー曲はまったくヒットせず、友人らがレコードを買い込んで知り合いに無理に買わせるといった状況であったという。1974年4月25日に第2作目のシングル「精霊流し」を発表するが、まだ無名のフォークデュオであったからか、当初の売り上げは芳しくないものだった。しかし、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の中で、アナウンサー・蟹江篤子が担当の曜日で毎週のように流し続けた。これが助力となって、放送エリアの名古屋地区のみならず全国的なヒットとなり、この年の第16回日本レコード大賞作詩賞受賞することとなった。
ソロシンガーになってからも「雨やどり」「関白宣言」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。
(Wikipedia)
谷村新司

谷村新司

※フォークグループ、アリスのリーダー。
アリスは、1975年の「今はもうだれも」のヒットを契機に、「冬の稲妻」、「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」、「チャンピオン」、「狂った果実」等のヒット曲を連発する。
1978年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築いた。
アリスの活動と並行して、ソロ活動も開始。
コンサート活動はなかった(シャンソン歌手アダモとのジョイント・コンサートを除く)ものの、1975年のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、他の歌手への楽曲提供(山口百恵の「いい日旅立ち」など)を精力的に行う。
アリスとは異なる音楽世界は、1979年の「陽はまた昇る」を経て、1980年の「昴 -すばる-」で一定の完成をみる。1981年にはシングル「群青」が東宝映画『連合艦隊』の主題歌となる。
(Wikipedia)
松山千春

松山千春

1976年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。
続いて翌1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、同年8月27日、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し、一時失意に陥る。
しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され(正式な法人設立は1978年1月17日)、 松山をバックアップすることになる。
1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。(これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した)。
1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、 以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った。
主な代表曲に「大空と大地の中で」「長い夜」「君を忘れない」などがある。(Wikipedia)
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思い出を語ろう

     
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  • T 2020/7/23 23:57

    あれ?新々御三家ならあいざき進也さんと城みちるさんは?

    健司 2019/5/16 11:45

    新御三家と呼ばれた当初のメンバーは西城秀樹の他に伊丹幸雄、田頭信幸の3人だった。このうち田頭だけは全くブレイクしないまま終わった。
    あとマスコミに新新御三家と呼ばれたのは、加納竜、草川祐馬に山本明の3人でこれも山本だけは全くブレイクしなかった。
    上記2つとも短い間の呼称でしかなかったが、この記事に載ってる3者には田原、近藤、野村の3人などメディアから御三家と呼ばれたことはない3人がいる。彼らの名称はたのきんトリオだった。
    中三トリオもそうだけど、一人だけ落ちる歌手がいる場合が多い。

    まを 2018/5/30 13:27

    雑な記事で笑えた。
    たのきんが御三家とか誰の記憶にあるんだろう?
    ならばテクノ御三家の方がよっぽど覚えてる人が多いのに。

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