「Dr.ピカソ」の元編集長・トダカユースケ氏にインタビュー!
同社で人気を集めていた雑誌「Dr.ピカソ」で二代目編集長を務められ、当時グラビアはじめ、数々のエロの現場でお仕事をされてきた同氏にお話を伺います!
トダカユースケ氏の《プロフィール》
出版社勤務を辞めた後、IT関連企業に入り、アイドルDVDのメーカーを立ち上げ50タイトル以上の作品を制作。独立後、携帯コンテンツ、電子書籍、ローカルテレビ、企業広告などの制作を行っている。
トダカユースケ氏へ《インタビュー》
出版業界に入られたきっかけは?業務としては何を担当されていたんですか?
1985年の大学卒業後、バブル時代の後期だったでしょうか。当時は出版社ブームというか、出版社に就職するのがステイタスって空気が学生たちにあったと思います。出版社に就職するって花形だったんですよね。でも大手出版社への就職に失敗した学生たちは、もうエロ本出版社でも構わないから入っちゃえって感じだったと思います。
私もその中の一人で、さまざまな出版社に応募しては落ち続け、最後に拾ってくれたのが英知出版というエロ本(男性誌)出版社でした(笑) 今でも名前が出てきたりする、あの「デラべっぴん」という雑誌があった出版社です。その他にも「ベッピン」「すっぴん」「ビデオボーイ」などが代表的な雑誌でした。また「宇宙企画」というアダルトビデオの会社は兄弟会社だったのかな。
でも思い出すとエロ本出版社と理解して応募したわけじゃないんですよ。面接した時はもうとにかく出版社に入りたいってだけで、新聞広告の求人募集を見て潜り込んだって感じでした。学生時代に「デラべっぴん」を読んでいたことも採用の決めてだったのかも(笑)
サブカルチャーって言葉が出始めたのもこの頃だったかと思います。というかブームだったと思います。日本のサブカルチャーってなぜかアダルトメディアも含まれていて、それってやっぱり白夜書房の「写真時代」って雑誌の存在が重要で、基本エロ本なんですが、サブカルチャー的な要素が数多くありました。
荒木経惟さんや森山大道さんの写真だったり、南伸坊さん、渡辺和博さん他、執筆陣も異様に豪華なエロ本だったんです。日本ではエロとサブカルって同列だったんですよ。雑誌はたぶんすごく売れていたと思います。英知出版の「デラべっぴん」も当時50万部近く売れていたんですよ。
「写真時代」の荒木さんのヌードグラビアは人気企画で、一般的なヌードグラビアって、紙面いっぱいにニコパチ女性の肢体を見せるじゃないですか。でも荒木さんのグラビアって、生生しくて、小さな写真を碁盤の目のようにたくさん入れ込むんです。
一見ドキュメント風に。それをよく見ていくと、修正の入ってないアソコが写った写真がこっそり紛れ込んでたりしてるんですよね(笑)トリミングをうまく使って一枚の写真としてはわからないけれど、組み合わせると見えるみたいなやつとか(笑)
このグラビア企画は絶対に編集者の確信犯だと思うんですよ。「写真時代」の読者の多くは、このおこぼれ写真目当てで買ってたとも思うんです。作っている側は捕まる恐れがあるからヒヤヒヤしながら作ってたんじゃないかなと思いますけど。まあ最後は警察に目をつけられて廃刊になったと思います。今とは大違いですよね、ネットでいくらでも見れるわけだし(笑)
英知出版の特徴は基本グラビアでした。「良いモデルを、良いカメラマンで撮影し、良い印刷で見せる」というシンプルながらも難しい課題に挑んでいました。社長の山崎さんは異様に肌の質感にこだわる人でした。コストのかかるグラビア印刷を使い、大手印刷会社の製版技術者たちとやりあいながら、女性グラビアの品質を業界最高のものにしたと思います。
印刷立ち会いにもよく行きましたね。製版指示ということを編集者はするのですが、英知出版独特の製版指示というのがあって、「湯上がりピンク」なる指示がありました(笑)これを色校正時に記入するんです。そうすると質感ある肌色の印刷が出来上がる。これは出版社と印刷会社の技術者しか知らない指示でしたよね。他の出版社でこんな製版指示は聞いたことありません(笑) それだけ肌の質感にこだわった会社だったんです。
ちょっと脱線しましたが、私は英知出版で働き始めて2年ほどで逃走してるんですよ。あまりの仕事の過酷さに(笑) 当時、「ビデオボーイ」というアダルトビデオを含めた月刊ビデオ情報誌の編集アシスタントをやっていました。当時は原稿を書くのはもちろん手書きで、月に千本単位でリリースされるタイトル情報を原稿用紙にマシンのように書き続けるってことをやっていて、気が狂いそうになっちゃったんですよ。家には帰れない、寝れない、パワハラもすごかった。もうずっと会社で寝泊まりするような毎日からの脱走(笑)
逃走後、次に入ったところは編集プロダクション。少年画報社やリイド社の下請けをやっていました。ここには2年弱ほどいて、その次に三和出版というこれまたアダルト主体の会社に入社。そこで3年ほど務めたあとに諸事情により退社しますが、なぜかまた英知出版に出戻っちゃうんですよね(笑)ここの数年間もかなり面白いので後日お話ししたいなと思います。
Dr.ピカソという雑誌は英知出版から分社したバウハウスという出版社から出版されました。いわゆる男性誌が飽和状態気味になったのと、広告収入をもっと増やすためにナショナルクライアントを取り込みたいと、週間プレイボーイを意識した雑誌を目指したのがこの雑誌です。各部署から選抜された編集部員は、会社初の隔週刊雑誌の創刊の準備を着々と進めました。私もこの編集部に配属されました。当初はグラビア班としてでした。
創刊準備号の表紙はなんと宮沢りえ。大物タレントたちの起用に胸膨らませ、編集部員たちは打倒週プレを目標に雑誌を作っていくのです。しかしこの頃には英知出版、バウハウスの業績は下り坂へと向かっていたのでした。インターネットという怪物が登場し始めた頃と重なります。それは1995年の頃でした。
「エロ本」も出版不況の影響を受けていると思いますが、 かつてと現在で異なる点は何でしょうか?
結論から言うと、インターネットの出現で紙メディアのエロ本は淘汰されたってことでしょう。ネット時代へ移り変わる時に対応が出来なかった。ネットが普及し始めた頃って、たしか1995年頃だと思うんですけど、あの当時の速度の遅さ、たぶん最大128kbps程度だったと思うんですが、画像なんて出てくるまでにどれだけ時間がかかるんだよ!って感じでしたよね(笑)
黎明期だけあって、ネットでエロワード検索しても、怪しいサイトに飛んだり、偽装サイトだったり、ダウンロードにすごく時間がかかったり、まだエロ本買ってたほうがマシって感じでもありました。当時は優良なエロサイトを紹介する雑誌を作ったりしてたものです。売れたんですよこれって。今考えると自虐的なことをやってたってことですよね(笑)
90年代後半からエロ本と言われる男性誌は如実に売れなくなっていきます。またコンビニエンスストアの規制も日々厳しくなりました。アダルト誌はコンビニエンスストアに配本されているかどうかで大きく販売数が変わります。なにしろコンビニは書店よりも店舗が多いですから。一店に2冊置いてもらうだけでも当時1万店近くあったセブンイレブンで2万部置けるってことです。他にもコンビニはあるので、コンビニは男性誌含む雑誌媒体の重要な販路だったんですよね。
当時、「GORO」「スコラ」など、総合男性誌なるジャンルの雑誌がたくさんありました。ヌードグラビアやアダルト情報もあるけれど、男性のライフスタイル情報も網羅した雑誌です。そういった幕の内弁当的な雑誌がまったく売れなくなったのです。ネットは雑誌より詳しいニッチな情報を読者(ユーザー)が選べるという、今では当たり前ですが、出版社が読者(ユーザー)に、一方的に選べない情報を提供する雑誌メディアというものが、時代に合わなくなってきたということなのでしょうね。
したがって雑誌はより細分化されることになり、マニアック化するのですが、それだと販売数が見込めなくなるというジレンマに陥りました。細分化されたマニアックな内容の本が数十万部も売れないですから。総合男性誌的なものは減り、コンテンツは細分化された作りに変わっていきます。エロ的なものはよりマニアックでハードになり、マニア本化していくのです。一般記事はすっかり無くなってしまいました。
出版物は専門誌的なものが増え、少部数の本を自転車操業的に売るという状況になったと言えるんじゃないでしょうか。偶発的に売れる本はありますが、ずっとジリ貧状態なのは間違いないでしょう。
Netflixで配信されているドラマ「全裸監督」が完成度、注目度共に高いですが、劇中のエピソードはリアルな内容なんですか?
この作品は注目しましたよ、やっぱり(笑) 私が男性誌業界で働いていた時期とドンピシャで被ってますし。アダルトメディア(雑誌、ビデオ)が一番元気のあった頃の前日談くらいの物語なのかな。大筋であんな世界だったと言えると思います。一時代を築いたAV監督、村西とおると、伝説のAV女優、黒木香の物語ですものね。懐かしいなあなんて思いながらも、ちょっと突っ込みたくなる部分もありますが笑いながら見てました。
村西監督はクリスタル映像というメーカーで監督をしていたと思います。当時、アダルトビデオは「宇宙企画」「九鬼」「VIP」「アリスJAPAN」「芳友舎」という5大メーカーと言われる会社が力を持っていました。ドラマ「全裸監督」で石橋凌さんが演じているポセイドン企画の社長は、たぶん英知出版の山崎社長をかなりイメージしていたはずです。それに各メーカーの社長たちを混ぜ込んだ感じに思えました。劇中でポセイドン企画の社長は自殺しますが、現実の山崎社長はそんなことはありませんよ(笑)※2018年に他界されています
あのドラマは村西監督がビニ本でのし上がっていく過程を中心に描かれています。アダルトビデオ業界黎明期の部分がちょっと端折り気味かなって感じはしました。黒木香さんのエピソードに関しては身内じゃないので実情はよく分からないのですが、社会的ブームだったのは間違いないですね。でもそれが性の開放! というものだったかどうかは分かりませんけど(笑) やはり色物として見られていたというのが現実ではないでしょうか。