ソフトマシーン結成
ソフトマシーンは、ギター&ボーカルにしてヒッピーのデイヴィッド・アレンを抜きにして語ることが出来ない。前身のバンドとして、ワイルド・フラワーズや、ミスター・ヘッドなどのバンド活動をして「ソフトマシーン(柔らかな機械、すなわち女性型アンドロイドの意)」というバンド名改名。「ソフト・マシーン」とはビート文学の巨匠:ウィリアム・バロウズの著書で、アレンは著者バロウズと出会い、オックスフォードの俊才:マイク・ラトリッジを紹介。加えてロバート・ワイアット、ケヴィン・エアーズの二人を呼び寄せ、4人構成でソフトマシーンを結成した。
オリジナルメンバー
デイヴィッド・アレン- Guitar,Bass,Vocals
ケヴィン・エアーズ- Bass,Guitars,Vocals
マイク・ラトリッジ- Keyboards
ロバート・ワイアット- Drums,Vocals
ケヴィン・エアーズ- Bass,Guitars,Vocals
マイク・ラトリッジ- Keyboards
ロバート・ワイアット- Drums,Vocals
via rock.princess.cc
初期ソフトマシーン
1966年に、4人組で活動を始めたバンドは、ロンドンのクラブを根城にし、ヨーロッパ各地で精力的に演奏活動を行いつつ独自の音楽を模索していく。初期のサウンドは、ロンドンの「マーキークラブ」を根城にしたヤードバーズやアニマルズなど当時流行していたサイケデリック・ポップだった。やがて彼らはしばしば、「UFOクラブ」を中心に活動していたピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスらとも交流を持つようになる。そこで、たまにステージを一緒にする過程で音造りの上でも影響を受ける。
ところで、1967年、パリ公演からの帰途、アレンが麻薬所持などによりイギリスへの入国許可が下りずそのまま脱退。この後、ラトリッジを中心とする3人はギターを補充せずキーボード・トリオとして。この時点でバンドは、ラトリッジのジャズ志向のため、オルガンにファズをかけて歪ませる独特のジャズ・ロック・サウンドを展開するようになる。
ところで、1967年、パリ公演からの帰途、アレンが麻薬所持などによりイギリスへの入国許可が下りずそのまま脱退。この後、ラトリッジを中心とする3人はギターを補充せずキーボード・トリオとして。この時点でバンドは、ラトリッジのジャズ志向のため、オルガンにファズをかけて歪ませる独特のジャズ・ロック・サウンドを展開するようになる。
ソフトマシーン活動開始
デビューアルバム
1968年、ニューヨークでデビュー・アルバム「The Soft Machine」を制作する。この頃のステージで、後にポリスのメンバーとなるギタリスト、アンディ・サマーズを起用している。
ただ、当のバンドは事実上解散状態にあり、エアーズが脱退。
活動再開を期したメンバーは、ヒュー・ホッパーを新しいベーシストに加えトリオ編成となる。そこで1969年にセカンド・アルバムを制作。ホッパーの兄ブライアンホッパーをホーン奏者として参加した。この頃のサウドにはジャズ志向に拍車がかかり、アヴァンギャルド色の強いホッパーの加入によって、ホッパー=ラトリッジ主導の濃厚なジャズ・ロック路線へと発展強化していった。
ただ、当のバンドは事実上解散状態にあり、エアーズが脱退。
活動再開を期したメンバーは、ヒュー・ホッパーを新しいベーシストに加えトリオ編成となる。そこで1969年にセカンド・アルバムを制作。ホッパーの兄ブライアンホッパーをホーン奏者として参加した。この頃のサウドにはジャズ志向に拍車がかかり、アヴァンギャルド色の強いホッパーの加入によって、ホッパー=ラトリッジ主導の濃厚なジャズ・ロック路線へと発展強化していった。
ジャズロック 中興の祖
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ソフトマシーン本来のジャズ・ロックが濃厚な中で、リード楽器としてホーンを取り入れたことが先駆的。特に当時キース・ティペット・グループに在籍していたエルトン・ディーン(アルトサックス)が参加する。ディーンに加えてティペットグループのバンドメンバー5人がホーンセクション;ジミー・ヘイスティングズ、ラブ・スポール、ニック・エヴァンズ、リン・ドブソンとして参加。バンドは一気に8人編成のコンボとなり、1970年に3枚目のアルバム「Third」を制作。しかしギャラの問題もあり、バンドに残ったのはディーン一人。バンドはカルテット編成に落ち着く。そして1971年、4枚目のアルバム「Fourth」制作(このアルバムの1曲目に収録された「Teeth」においてダブルベースを弾いたロイ・バビントンも、後に正式なベーシストとしてバンドに加入する事になる)。ディーンの影響でバンドの音楽性は更にジャズ色を強めて行くことになる。
本格的ジャズ志向期
Soft Machine-Facelift (Paris Live 1970) Pt.1
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オリジナルメンバーのドラムス:ワイアットが、本格的なジャズに志向するバンドについて行かなくなり、脱退を決意。ワイアットの務めるヴォーカル曲も「Third」に収録された「Moon in June」が最後となり、バンドは完全にインストゥルメンタル・グループに変貌した。
後任のドラマーにはディーンのバンド・メイト、フィル・ハワードが参加し、5枚目のアルバム「5」の制作を開始する。先鋭的フリー・ジャズ化を志向するのもこの頃で、ディーン&ハワードのフリージャズ路線と、予め展開を決めた上でのジャズ・ロックを志向するホッパー&ラトリッジとの間に路線上の食い違いが生まれる。その結果、ハワードはアルバム制作期間中にバンドを脱退。次のドラマーとしてジョン・マーシャルが加入し、アルバムは完成する。
後任のドラマーにはディーンのバンド・メイト、フィル・ハワードが参加し、5枚目のアルバム「5」の制作を開始する。先鋭的フリー・ジャズ化を志向するのもこの頃で、ディーン&ハワードのフリージャズ路線と、予め展開を決めた上でのジャズ・ロックを志向するホッパー&ラトリッジとの間に路線上の食い違いが生まれる。その結果、ハワードはアルバム制作期間中にバンドを脱退。次のドラマーとしてジョン・マーシャルが加入し、アルバムは完成する。
ジェンキンス加入でアダルト・ジャズロックの路線に
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