【八木橋デパート】気温日本一で知られる埼玉県熊谷市、あの温度計が置かれている創業110年の老舗八木橋デパート。
2016年11月10日 更新

【八木橋デパート】気温日本一で知られる埼玉県熊谷市、あの温度計が置かれている創業110年の老舗八木橋デパート。

「気温日本一」埼玉県熊谷市と聞くと、それを思い出す人が多いことでしょう。毎年恒例の熊谷市温度計。あの温度計は、熊谷市の八木橋デパート前に置かれています。創業110年を誇る、地元に愛され続ける八木橋デパートについて。

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八木橋デパートが全国的に知られるのは「熊谷市温度計」

埼玉県熊谷市の八木橋デパート、知らず知らずのうちに見ていた人は全国にいることと思います。
正しくは八木橋デパート前に設置された、熊谷市の温度計ですね。

下記動画の30秒のところ、温度計が映る画面には「八木橋」と八木橋デパートのロゴが。

予想最高36度の熊谷市 住民「先が思いやられる」(13/07/06)

八木橋デパートのエントランス

八木橋デパートのエントランス

ここですね、温度計が設置されているのは。

埼玉県初、創業110年を誇る老舗「八木橋デパート」

埼玉県内初のデパートで創業110年を超える老舗「八木橋デパート」。

かつては外商の拠点を深谷市・羽生市・群馬県太田市に設けていました(現在は閉鎖)。
1974年~1980年までは熊谷市内の伊勢町、箱田に食品デパート「ヤギハシマート」も出店していました。
八木橋デパート(埼玉県熊谷市)

八木橋デパート(埼玉県熊谷市)

埼玉県下で初のデパート。
創業からすでに110年の老舗です。

「八木橋デパート」創業からの歩み

1897年 初代・八木橋本次郎が熊谷市仲町に八木橋呉服店を創業。
1927年 株式会社に改め商号を「株式会社八木橋」へ。
1945年 空襲で店舗全焼、焼け跡を整備し約231m²の店舗を建設。
戦後間もないころの店舗

戦後間もないころの店舗

1971年 地下1階、地上7階の新店舗が完成し総面積1万8,900m²に。
1979年 外商部出張所を深谷市、太田市、羽生市に開設。
1989年 大規模な設備改修、総面積3万7,825m²に増床。
1997年 創業100周年。
1962年ごろの店舗

1962年ごろの店舗

県内初のデパート 八木橋百貨店(熊谷市)

あの温度計設置の経緯は?

2007年に、夏季限定で店舗正面の入口前に温度計を設置、市内にある熊谷地方気象台の最新の気温発表を元に八木橋職員が温度を修正する。同年は40.0℃までしか目盛りを用意しておらず、同年8月に40.9℃の最高気温を記録した際には手書きで対応し、また在京キー局含むマスコミが取材に訪れ、全国に放送され「来年は45℃まで目盛りを用意したい」と回答するインタビュー映像も流れていた(翌年以降、実際に45℃まで目盛りが増えている。2008年のみ50度まで対応した)。
熊谷市のまちづくり政策「あついぞ!熊谷」に合わせ設置されているもので「あついぞ!熊谷」のマスコット「あつべえ」が温度計に貼り付けられているが、「あついぞ!熊谷」冠エントリー事業ではない。近隣の「なおざね商店街」と八木橋の共同設置。
あつべえ

あつべえ

「あついぞ!熊谷」のマスコットです。
熊谷市は1990年代以降、夏の気温の高さが全国的に知られるようになり、2007年8月16日には岐阜県多治見市とともに国内で当時の観測史上最高気温となる40.9℃を観測。
また、月別最高気温や猛暑日数などの多くの最高記録が観測されてきました。

「猛暑の本場」として、メディアに取り上げられる頻度も高く、熊谷市はこの知名度を逆手にとってまちづくりに利用すべく「あついぞ!熊谷 熊谷新時代まちづくり事業」を展開しています。

熊谷市PR映画「あついぞ!熊谷」

かつて小売業界の雄であったダイエーの熊谷進出時には「八木橋が大変」という噂話で持ちきりになり、八木橋を応援しようとする人達が殺到して店内は大混雑したという逸話もある。その後、当店から数百メートル先の至近に熊谷サティが、さらに同一商圏内である深谷市にはアリオ深谷、群馬県太田市にはイオンモール太田が開業したことで競争は激化しているものの、特に悪影響はなく堅調な業績を維持し続けている。
110年間、地元に愛され続けています、八木橋デパート。
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