「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在
2017年12月2日 更新

「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在

「走れコウタロー」を歌っていた。山本コータローの学生時代や音楽活動、懐かしい深夜放送について。 ドラマ出演や司会・キャスターと多方面で活躍していたこと、エコロジストとしての現在を紹介。

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山本コウタロー「岬めぐり」 / Kotaro Yamamoto Misakimeguri

1974年にリリースされた「岬めぐり」がヒット、テレビ出演が増える。

「岬めぐり」作曲: 山本厚太郎(山本コウタロー)作詞: 山上路夫、編曲: 瀬尾一三。
※個人的な思い出。深夜番組『パック・イン・ミュージック』を毎週楽しみにしていた。

深夜放送に登場していた山本コウタローが、テレビに出演するようになった。
なぜか山本コウタローが遠い存在になったと感じた…少しさみしかった。

そして、この時期に私は、深夜放送を卒業した。

渡米~帰国後のテレビ出演

1978年30歳になった山本コウタローは渡米する、1980年に帰国。

帰国後、日本テレビ系「おもいっきりテレビ」の司会や、テレビ朝日系「CNNデイウオッチ」の
キャスター、TBSの情報番組「モーニングEYE」のコメンテーターを務める。

現在の山本コータロー

現在の山本コータローは、エコロジストとしとして活動している。
2005年にデビュー35周年を迎えで音楽活動再開した。
25年程前に西伊豆に土地を購入した。友人と共同で農業を始めた。
2017 絶景空撮・西伊豆駿河湾の富士(4K) Fantastic Aerial Shot Of Mt. Fuji At West Izu(UHD) - YouTube (1946469)

西伊豆の駿河湾から富士山が望める。

山本コータローの畑は3000坪。
西浦の山奥に位置しているという、富士は見えるのだろうか。

エコロジストの不耕起自然農法と妻

Free photo: Corn, Cornfield, Field, Green - Free Image on Pixabay - 88251 (1946465)

山本コータローの妻(パートナー)は、映画評論家の吉田真由美。病気がちだった妻の体調を気遣い、自然食をはじめる。移住、農業をする。

1988年より、良質の自然食を作るために自分自身で自然栽培ををはじめる。

山本コータローは自然のままの状態で作物を育てる不耕起自然農法で作物を作っている。

大学教授 山本厚太郎

山本コウタロー 林檎の樹 走れコウタロー 岬めぐり - YouTube (1946442)

1986年から 山本コウタローは、栃木県の白鴎大学でマスコミ論の講師を始めた。

現在は、本名の山本厚太郎名義で白鴎大学特任教授として、講義を行っている。
2017年9月18日に放送された「渡る世間は鬼ばかり 3時間スペシャル」では、渡鬼おやじバンドのメンバーとして出演した。

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