「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在
2017年12月2日 更新

「走れコウタロー」山本コータローの懐かしい深夜放送の思い出~エコロジストの現在

「走れコウタロー」を歌っていた。山本コータローの学生時代や音楽活動、懐かしい深夜放送について。 ドラマ出演や司会・キャスターと多方面で活躍していたこと、エコロジストとしての現在を紹介。

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60年代の山本コータローは、東京大学を目指していた!

山本コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)は、1948年9月7日、東京都千代田区出に生まれた。千代田区立番町小学校、麹町中学校で学んだ。
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山本コウタローは東京都立日比谷高等学校卒業後、上智大学法学部に入学するが、東京大学受験を目指していた。

しかし東大紛争による入試中止※により、受験は叶わず、一橋大学社会学部に転学。一橋大学社会学部を卒業。

※1968年学生運動全盛期に全共闘が安田講堂を占拠する「東大紛争」が起きるの勃発した。
機動隊が突入して武装解除されたが、その影響で、翌1969年の入試が中止された。

ソルティー・シュガー「走れコウタロー」

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大学在学中の山本コウタローは、フォーク・グループ「ソルティー・シュガー」のメンバーとして音楽活動をはじめる。

1969年12月(昭和44年)「ソルティー・シュガー」は、メンバー(山本コウタロー、池田謙吉、手塚通夫、高橋隆)の4人グループとしてデビューした。
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1970年7月5日発売された、ソルティー・シュガーの2作目のシングル「走れコウタロー」は、100万枚近いセールスを記録するヒットとなる。

ソルティー・シュガーは1970年の第12回日本レコード大賞新人賞を受賞した。

あれから半世紀近く経った現在でも運動会の徒競走のBGMとして流れることがある。

「走れコウタロー」YouTube動画

実在した競走馬「コウタロー」

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「コウタロー」は、実在する競走馬で、1962年(昭和37年)~1966年(昭和41年)に中央競馬に在籍していた。主戦騎手は加賀武見。

日本ダービーには出走していないが、66戦15勝。

阪神3歳ステークス、阪神大賞典などの重賞を3勝。
皐月賞や菊花賞、天皇賞、八大競走などにも出走している。

山本コータローの思い出、深夜番組『パック・イン・ミュージック』

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山本コータローは、1971年4月~1978年3月まで、『パック・イン・ミュージック』土曜(金曜深夜)のパーソナリティを担当していた。

『パック・イン・ミュージック』では、吉田拓郎や小島一慶、 愛川欽也、南こうせつなど多数の著名人がパーソナリティを務めていた。

ラジオの深夜番組は、高校生や受験生から圧倒的な支持を得ていた。
学校で友だちがいなかったり、悩みがあっても深夜放送を聴くと元気になれた。
山本コータローの『パック・イン・ミュージック』は孤独な若者に寄り添ってくれた。
一人ぼっちでも孤独を感じなかった、若き日の思い出。

山本コウタローの『パック・イン・ミュージック』

1975年当時の『パック・イン・ミュージック』恥の上塗りコーナー1

「恥の上塗りコーナー」は、リスナーから郵便はがきで投稿される恥ずかしい体験を番組で紹介した。

特に下ネタ系の恥が人気だった。

山本コウタローとウィークエンド 「岬めぐり」

1974年にフォークグループ「山本コウタローとウィークエンド(1976年以降はウィークエンドに改称)」を結成
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「山本コウタローとウィークエンド」のメンバーは、3人。

山本コウタローと元・黒崎とかずみの森 一美、元ピピ&コットの板垣秀雄。
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