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「いんらんパフォーマンス」シリーズの第1弾「GINZAカリカリ娘」は、咲田葵と三崎真理子(行徳ゆり子)が出演。
パッケージの一文を引用すると、「超淫乱カリ取り合戦のワナにハマッた」、「狂ったように上下の口で貪ぼる姿はまさに、銀座のいんらんエイリアン!」。
この頃からアダルトビデオの謳い文句は、企画同様「なんでもあり」のようである(笑)
パッケージの一文を引用すると、「超淫乱カリ取り合戦のワナにハマッた」、「狂ったように上下の口で貪ぼる姿はまさに、銀座のいんらんエイリアン!」。
この頃からアダルトビデオの謳い文句は、企画同様「なんでもあり」のようである(笑)
1988年頃からの淫乱ブームでは豊丸が人気を集めた!
鹿児島県出身。豊丸名義で、1988年にAVデビュー。
1980年代後半を代表するAV女優の1人で、多くのテレビ番組にも出演した。
それまで受け身が普通だったAV女優にはない、自ら感じまくり積極的に男を求める猥褻演技で最強の淫乱女優として人気を博する。
1988年から89年にかけてAV界を席巻した淫乱ブームの中心的存在で、その時代は沙也加、咲田葵、亜里沙、沖田ゆかり、栗原早記、有希蘭、千代君といった女優が淫乱派として覇を競ったが、その中で一番の知名度を誇った。
豊丸を特徴づけたのは、絶頂の時に白目をむいて「イグーッ!イグーッ!」と絶叫する性癖で、彼女の作品のほとんどにはこのパフォーマンスが見られる。
女性器に大根挿入したプレイやフィストファックをするなどの過激な行為でも有名であった。
ビデ倫に牙を剥き、過度な演出を行った豊田薫監督
1985年7月の『マクロ・ボディ 奥まで覗いて』の下着越しのフェラチオ、『ザ・KAGEKI2 黒くぬれ!』や『侵犯! 恥骨の森』などの膣内のクローズアップ映像に見られるハードな描写を手掛けた豊田薫監督。
処女作『少女うさぎ 腰ひねり絶頂 高野みどり』や第2作『奥まであと1センチ』で鬱屈した男性の女性への欲望を見事に描いた。
処女作『少女うさぎ 腰ひねり絶頂 高野みどり』や第2作『奥まであと1センチ』で鬱屈した男性の女性への欲望を見事に描いた。
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そんな中、ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)の審査によって、モザイク修正されてしまう当時の現状に苛立ちを覚えていた豊田。
映像の中にサブリミナル的に1フレーム(30分の1秒)ほどの無修整性器や結合部を確信犯的にインサートしたり、モザイクをわざとずらして瞬間的に性器を見せて審査を通過させたり、ビデ倫への敵対心を作品の中でさりげなく露骨に示した。
そうした反抗的な作品はビデ倫側から目を付けられ、一時期、豊田薫の監督名では審査拒否されたこともあったという。
映像の中にサブリミナル的に1フレーム(30分の1秒)ほどの無修整性器や結合部を確信犯的にインサートしたり、モザイクをわざとずらして瞬間的に性器を見せて審査を通過させたり、ビデ倫への敵対心を作品の中でさりげなく露骨に示した。
そうした反抗的な作品はビデ倫側から目を付けられ、一時期、豊田薫の監督名では審査拒否されたこともあったという。
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1989年には「素人モノ」が手法として定着!
1989年6月に発売された、近松はじめの『アクションビデオ ビデオギャルやりませんか』は、素人女性を街中でスカウトし、ホテルに連れ込み、性行為に至るという、従来謎に包まれていた部分が解き明かされたこともあり、「素人モノ」は画期的手法として捉えられ、一ジャンルとして受け入れられた。
また、製作者にとってもプロダクションを通さない分、出演料が抑えられるというのも、大きな利点であった。
また、製作者にとってもプロダクションを通さない分、出演料が抑えられるというのも、大きな利点であった。
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