2022年8月10日 更新
【訃報】三宅一生氏が死去。DCブランドブームの中心的存在。隆盛を極めた各ブランドの現在は?
ファッションデザイナーとして長年活躍した三宅一生(みやけ いっせい)さんが5日、肝細胞癌のため亡くなっていたことが明らかとなりました。84歳でした。
【訃報】ファッションデザイナー・三宅一生さん死去。
ファッションデザイナーとして長年活躍した三宅一生(みやけ いっせい)さんが5日、肝細胞癌のため亡くなっていたことが明らかとなりました。84歳でした。
第一報はこちらです!
三宅さんは1938年、広島県広島市東区出身。多摩美術大学在学中よりデザイナーとして頭角を現し、1970年に三宅デザイン事務所を設立。翌1971年にはアメリカ・ニューヨーク市内のデパートに「ISSEY MIYAKE(イッセイ・ミヤケ)」のコーナーをオープンさせ、1973年にはパリ・コレクションに初参加を果たすなど、彼の西洋・東洋といった枠組にとらわれない「世界服」に世界中から注目が集まりました。さらに80年代には、当時流行した「DCブランド」の火付け役のひとつとして、当時の若者を中心に絶大な支持を集めていました。90年代以降は後進のデザイナーにブランドを引き継がせつつ、2010年には文化勲章、2016年にはレジオン・ドヌール勲章コマンドールをそれぞれ受賞していました。
ミドルエッジ世代なら誰もが憧れた!80年代の「DCブランド」!!
80年代当時、ミドルエッジ世代であれば誰もが憧れたであろう「DCブランド」。三宅さんが展開した「ISSEY MIYAKE」に限らず、様々なDCブランドが街を席巻していました。ここでは、三宅さんのご冥福を祈るとともに、当時のDCブランドについていくつか軽く振り返っておきましょう。青春の思い出が蘇ってくる方も多いかと思います!
ISSEY MIYAKE
三宅さんが展開していたブランド「ISSEY MIYAKE」。“一枚の布”をコンセプトに、布と体の間の空間を活かしたデザインで人気を博しました。後述の「Y's」「COMME des GARÇONS」などとともに、DCブランドブームのきっかけとなりました。近年も新ブランド「IM MEN(2021年)」「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE(2021年)」を展開するなど、成長を続けています。
Y's (YOHJI YAMAMOTO)
山本耀司が1972年に設立した「Y's」。体のラインを抑え、体と服の間に空間を作り、服を体の動きに合わせ変化させるスタイルで人気を博しました。北野武が同ブランドのファンであり、近年では映画「BROTHER(2000年)」「アウトレイジ(2010年)」などの衣装を山本が手掛けています。
COMME des GARÇONS
川久保玲が1969年に設立したブランド「COMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)」。アーティスティックで革新的なデザインを特徴としており、パリコレクションでは従来タブーとされていた「黒」を使用したコレクションを披露、既存のファッション業界に衝撃(「黒の衝撃」と呼ばれる)を与えました。近年では、北京オリンピックにおいてSPEEDO(スピード)社と水着のコラボを行ったほか、2017年にはニューヨーク・メトロポリタン美術館で展示会が行われるなどしています。
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