このように、様々な要素が絡み合って解散したキャンディーズ。この記事内で言及している点以外にも様々な理由があると思われます。当時の事情をご存じの方がいらっしゃいましたら、コメント欄に投稿してだけると幸いです!
当時流行語にもなった「普通の女の子に戻りたい!」という名言を残したキャンディーズ。彼女たちがこの言葉を発した真相について紐解いてみたいと思います。
📺 tbs 土8 2021/10/11 18:20
全員集合で”Golden Half”の次のマスコットアイドルを務めました
伊藤蘭さんは水谷豊氏と日テレの昭和土曜9時ドラの共演を経てゴールインしたそうです
山海旅人 2020/7/21 08:14
三年契約という事実はありません。
そもそも、当時の渡辺プロは一年更新です。
NHKにマスコットガール出演にあたり、キャンディーズとの契約はしていません。スクールメイツとしてのマネージメント契約をしただけです。マスコットガール卒業後、田中好子は日本テレビのドラマに出演してます。これはスクールメイツのマネージメント契約には違反しません。焦った伊藤蘭が「私を事務員だけにはしないで下さい」と渡辺晋社長に手紙を書き、ようやくキャンディーズとしての契約が実現し歌手デビューしました。1976年の更新時には、1977年からは、シングル・アルバム・ライブのみ三人で活動し、その他はピンで活動すること。伊藤蘭の日芸卒業を保証することを条件に契約更新しました。大里マネージャーも準備にはいります。しかし、それを松下制作部長が反故にすることが発覚します(発覚日は1977.3.29)。
そこで、契約更新しない旨の内容証明を出すも、それも無視。そこで、ピンクレディーライブの千秋楽とキャンディーズのライブの初日が重なる1977.7.17に解散宣言しました。
コメントを書く
※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。
24時間以内の人気記事
おすすめ記事