入来兄弟!巨人で同時に在籍!どちらも投手!オールスター史上初の兄弟継投も!
2016年11月25日 更新

入来兄弟!巨人で同時に在籍!どちらも投手!オールスター史上初の兄弟継投も!

1999年、兄の智(さとし)が巨人(読売ジャイアンツ)へと移籍し、元から在籍していた弟の祐作(ゆうさく)とチームメイトになり、球団史上初の現役兄弟選手となった「入来兄弟」。オールスターゲームでの史上初の兄弟継投も話題となった。

5,537 view
1997年、主に中継ぎ要員として、一軍公式戦ではチーム最多の57試合に登板した。勝利数は1勝に留まったものの、セットアッパー、ストッパー、ロングリリーフ、敗戦処理、谷間の先発まで経験。投球回数を上回る94奪三振を記録するなど、潜在能力の高さを示した。

1998年、開幕から中継ぎ要員として一軍に帯同したものの、調子が上がらず6月下旬に二軍へ降格。しかし、投手陣の離脱もあり、一軍に昇格し、先発ローテーションに定着。シーズン通算では、中継ぎで1勝、先発で6勝を挙げた。

さらに、11月6日に東京ドームで開かれた日米野球の親善試合・全米選抜対巨人(読売ジャイアンツ)戦で、先発登板。同年のメジャーリーグ公式戦で66本塁打を記録したサミー・ソーサから、2打席連続で三振を奪う活躍をみせた。

1999年、兄・智が近鉄バファローズから移籍。巨人(読売ジャイアンツ)の球団史上初めて、現役選手として兄弟で在籍することになったため、スコアボードの表記が入来弟に改められた。

2000年以降の兄・入来智

2000年のオフに巨人(読売ジャイアンツ)から戦力外通告を受ける。
2001年、若松監督の東京ヤクルトスワローズへ移籍。自己最多の10勝をあげリーグ優勝・日本一に貢献した。
特に前半は8勝をマークするなど同年のオールスターゲームに監督推薦で初出場し、祐作と史上初のオールスター戦での「兄弟継投」を行った。
7月20日の第1戦(福岡ドーム)に弟・祐作が先発。2回裏途中で兄の智に交代したことで、オールスター史上初の「兄弟継投」を実現した。

しかし翌2002年は故障の影響で1勝に終わり、オフに戦力外通告を受けた。なお、この2年間で兄弟での対決は実現しなかった。
東京ヤクルトスワローズ時代

東京ヤクルトスワローズ時代

2003年は韓国プロ野球・斗山ベアーズに入団し、韓国プロ野球初の外国人枠登録による日本人投手となった。
2004年に台湾・La Newベアーズに移籍。4勝をマークしたが同年限りで現役を引退した。

2000年以降の弟・入来祐作

2000年以降の入来祐作は数多くのチームを渡り歩く事となる。
2000年、前年に右足首の靱帯が2本断裂していたことが判明し、手術を受けた影響で二軍生活が長く、一軍公式戦では7試合の登板にとどまった。

2001年、4月12日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)に先発。8回1/3を1失点に抑えた結果、一軍では722日振りの勝ち星を挙げた。
シーズン通算では、チーム最多となる13勝を挙げるとともに、リーグトップの勝率を記録した。終盤には藤井秀悟(ヤクルト)との間で勝利数を争ったが、1勝差で最多勝利のタイトルを逃した。
また、当時はセントラル・リーグが最高勝率投手を表彰しなかったため、キャリアハイの成績を残しながらタイトルと無縁に終わった。
2002年以降は、足の故障に苦しみ、満足のいく成績を残せずにいた。
巨人(読売ジャイアンツ)時代

巨人(読売ジャイアンツ)時代

そして、2003年12月に、井出竜也との交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。この際、ポスティングシステムによる2年後のメジャーリーグ球団への移籍を容認することを求めている。

2004年1月の入団会見で、メジャーリーグへの挑戦を白紙に戻すことを表明。
2005年、開幕を2軍で迎えたが、中継ぎ要員としてすぐに一軍へ昇格し、先発ローテーションに定着。2003年に取り組んだトレーニングの効果で球速が5km/h近く上がったことや、前年のウィンター・リーグでツーシームを習得したことが功を奏した。
7月17日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、勝利投手にならなかったものの、10回を1安打無失点に抑えたことからヒーローインタビューを受けている。8月13日の福岡ソフトバンクホークス戦では、杉内俊哉との投げ合いの末に、一軍では3年振りの完封勝利を達成。その結果、シーズン通算で勝ち運に恵まれず勝敗は6勝7敗の成績だったが、チームトップの防御率3・35を記録した。
北海道日本ハムファイターズ時代

北海道日本ハムファイターズ時代

2005年のシーズン終了後に、改めてメジャーリーグへの挑戦を表明した。
2006年 ポスティングシステムで入札したニューヨーク・メッツとの間で、1月中旬にメジャー契約で合意するも、その後、同球団とマイナー契約を締結したうえで、傘下球団のノーフォーク・タイズ(3A)に所属。

結局、3Aでの登板のみに終わり、2007年にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を締結した。
しかし、試合の投球中に起こした怪我(右腕の肉離れ)に苦しみ、メジャー昇格が叶わぬまま、8月に契約を解除された。

2007年10月に横浜ベイスターズに入団。しかし、またも右腕の肉離れが発生。
公式戦では3試合の登板で、0勝0敗、防御率8.53に終わった。10月1日に球団から戦力外通告を受けたことを機に、現役引退を表明した。
ニューヨーク メッツへの  メジャー契約での移籍

ニューヨーク メッツへの  メジャー契約での移籍

32 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

あなたが選ぶ巨人ベストゲーム第8弾!斎藤雅樹が11試合連続完投勝利を達成した1989年7月15日ヤクルト戦が放送決定!!

あなたが選ぶ巨人ベストゲーム第8弾!斎藤雅樹が11試合連続完投勝利を達成した1989年7月15日ヤクルト戦が放送決定!!

CS放送日テレジータスにて「あなたが選ぶ巨人ベストゲーム第8弾」と題し、90年代最強のエースとして知られる斎藤雅樹が“独り立ち”11試合連続完投勝利の新記録を達成した1989年7月15日ヤクルト戦が放送されます。
隣人速報 | 84 view
巨人の黄金バッテリー・斎藤雅樹と村田真一がレジェンド投手陣を書き尽くす共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』が発売!!

巨人の黄金バッテリー・斎藤雅樹と村田真一がレジェンド投手陣を書き尽くす共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』が発売!!

日本文芸社より、元読売ジャイアンツの斎藤雅樹・村田真一の共著『ジャイアンツ伝統のエースたち』の発売が決定しました。
隣人速報 | 295 view
巨人・原監督が1067勝を挙げた今だからこそ振り返りたい!1067勝を上回る勝利数を挙げたレジェンド監督の方々!!

巨人・原監督が1067勝を挙げた今だからこそ振り返りたい!1067勝を上回る勝利数を挙げたレジェンド監督の方々!!

9月11日に行われた巨人-ヤクルト戦にて2対1で巨人が勝利し、巨人・原監督が監督通算1067勝を挙げ、かつての川上哲治の記録を抜き球団単独トップとなる快挙を成し遂げました。では、1067勝を上回る勝利数を挙げた監督には誰がいるのでしょうか?ここで振り返っておきましょう。
隣人速報 | 1,173 view
ズームイン朝の「プロ野球いれコミ情報」で活躍したイレコミ君の巨人版が復刻!!

ズームイン朝の「プロ野球いれコミ情報」で活躍したイレコミ君の巨人版が復刻!!

読売巨人軍は、表情を自由自在に変化させることのできる人形「プロ野球人形 イレコミ君」の復刻版「プロ野球人形 イレコミ君 読売ジャイアンツ」の発売を決定しました。
隣人速報 | 1,490 view
【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう!

【90年代巨人】偉大なる先発三本柱、槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄を振り返ろう!

90年代巨人を支えた偉大なる先発三本柱といえば槙原寛己・斎藤雅樹・桑田真澄。とくに1989~1999年の11年間、3人はいずれも100勝以上の白星をあげる活躍を見せた。そんな3投手について振り返りたい。
青春の握り拳 | 33,958 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト