1977年〜1980年 王貞治
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1970年代の大学初任給が4万円前後の時代ですから、さすがですね。
1981年・1982年 山本浩二
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リーグ4位の打率.316を残し、大島康徳と並ぶ36本塁打で自身4度目の本塁打王を獲得しています。さすがミスター赤ヘルですね。
1983年・1984年 江夏豊
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1979年から1983年まで5年連続、セパ両リーグに跨り最多セーブ投手のタイトルを獲得、12球団全てからセーブを挙げるという史上初の記録も作り上げました。
1985年 山本浩二
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1984年からは打撃コーチを兼任し、好成績を残して日本一に貢献、現役最終年の王貞治を抜いて球界最高額、年俸8500万円で契約しました。
1986年〜1996年 落合博満
落合博満
1987年 1億3000万円
1988年 1億3000万円
1989年 1億3000万円
1990年 1億6500万円
1991年 2億2000万円
1992年 3億円
1993年 2億5000万円
1994年 3億8000万円
1995年 3億8000万円
1996年 3億8000万円
1997年 3億6000万円
1988年 1億3000万円
1989年 1億3000万円
1990年 1億6500万円
1991年 2億2000万円
1992年 3億円
1993年 2億5000万円
1994年 3億8000万円
1995年 3億8000万円
1996年 3億8000万円
1997年 3億6000万円
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日本人初の年俸1億円選手として有名です。また、年俸を不服として日本人選手では初めて調停を申請したことでも有名ですね。
落合博満の契約更改について
・1982年 1600万円→5400万円
当初の提示は4500万円まででしたが、「もう一度よく考えてください」と発し、沈黙。900万円上積みされました。
・1986年 9700万円→1億3000万円
稲尾監督解任を機に「自分を一番高く買ってくれる球団に行く」ということで中日へ移籍。ここで初の1億円選手になります。
・1989年 1億3000万円→1億6500万円
1度保留した後、2度目の交渉で更改。記者会見の席に現れ、着席するなり笑顔で開口一番「いち・ろく・ご」1億6500万円を勝ち取ります。
・1990年 1億6500万円→2億2000万円
先に紹介した日本人初の年俸調停を経て、2億2000万円に収束します。
・1993年 2億5000万円→3億8000万円
FAで巨人へ移籍します。1998年に引退しますが、引退時の年齢は45歳、年俸は3億円でした。
当初の提示は4500万円まででしたが、「もう一度よく考えてください」と発し、沈黙。900万円上積みされました。
・1986年 9700万円→1億3000万円
稲尾監督解任を機に「自分を一番高く買ってくれる球団に行く」ということで中日へ移籍。ここで初の1億円選手になります。
・1989年 1億3000万円→1億6500万円
1度保留した後、2度目の交渉で更改。記者会見の席に現れ、着席するなり笑顔で開口一番「いち・ろく・ご」1億6500万円を勝ち取ります。
・1990年 1億6500万円→2億2000万円
先に紹介した日本人初の年俸調停を経て、2億2000万円に収束します。
・1993年 2億5000万円→3億8000万円
FAで巨人へ移籍します。1998年に引退しますが、引退時の年齢は45歳、年俸は3億円でした。
1997年 清原和博
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野球界のスター、プロ野球選手の番長はやはり年俸も伊達ではありませんでした。
1978年 7680万円
1979年 8160万円
1980年 8170万円