西武鉄道の歴史の始まり
画像は昭和49年当時と現在の東村山駅東口です。 市では、東村山駅付近の連続立体交差事業とともに駅周辺まちづくりを進めています。市ホームページのまちづくりに関する情報もぜひご覧ください。 https://t.co/L3GHCVO6Gy pic.twitter.com/b1JwWckcTr
— 東村山駅周辺まちづくり (@hm_city_machi) July 15, 2016
実は新宿線の開業1年前に東村山~国分寺間が先行開業しているため西武線の発祥は厳密には国分寺線だったりするんですよね。当時は本川越~国分寺間が一体で運行していたようです。その名残りか現在も直通する電車が数本ありますね。
ちなみに開業当時は東村山駅は「久米川駅」と名乗っていました。
靖国通りの対岸にある西武新宿駅
新宿駅と直結していればと思う人は多いと思うが、過去にはもちろん乗り入れ計画があった。現在のルミネエストの位置に駅ができる予定で、現在の西武新宿駅は延伸するまでの仮の駅舎の予定であった。その後利用者が急速に増えたのだが、延伸先の用地がホーム2線6両分しかなく延伸しても乗客を裁けない状態となってしまい、現在は西武新宿駅を正式な駅としたうえで、延伸計画は凍結されてしまった。
新宿駅東口。歩行者天国の新宿通り路上から西口方面を見る。手前が東口駅前広場、奥左からルミネエスト、西口の小田急百貨店、一際目立つモード学園コクーンタワー、茶色の新宿センタービル、ほとんど見えない新宿エルタワー、新宿センタービル別館、後ろにちらりと新宿野村ビル。ダイキンの温度計。 pic.twitter.com/thcnZ4T8Es
— KEYRG (@KEYRG) October 4, 2017
新宿駅だけでなく西武新大久保駅もできる予定だった
みきデザイン工房のすぐそばにある山手線 新大久保駅 駅舎工事の経過を時々お伝えしています。
— sg_mideko (@sg_miki_design) November 15, 2017
現在はこんなカンジ。https://t.co/8R9LMnbUyU#新大久保駅 #駅舎工事 pic.twitter.com/WA3IEwUlcB
今の線路の真下にもう一本線路を建設する計画があった
#火花を歩く 【上石神井・上石神井駅駅舎】
— Netflix『火花』公式 (@hibanajp) March 18, 2016
真樹が暮らし、神谷が転がり込んだ町。
まっすぐ続く線路の先に、二人はそれぞれに何を眺めていたのだろう。#ネトフリ #火花 pic.twitter.com/PWIsSKAtfC
地下化計画は最近完成した小田急線の複々線化と同じような計画ですね。これとは別ですが、中井~野方間が地下化工事を行っていて、将来的には武蔵関駅付近まで立体交差化されるようです。あと最近になって地下鉄東西線との相互乗り入れ計画も構想としてあるみたいですね。
高田馬場駅に埼京線のホームがない
埼京線が新宿駅まで延伸されたのは1986年で、延伸以前も線路自体は通っていた。以前は「山手貨物線」という貨物主体の路線で、それまで旅客列車はほとんど通っていなかった。当時の国鉄も西武もここに旅客列車が頻繁に通ることは全く想定していなかったようである。しかしJRは41万人とJR全体でも12番目に多く、西武線は約30万人の利用客があるため何とか改善されればと思う。
なんと今日からJR高田馬場駅のホームで五等分の花嫁6連看板が!
— 春場ねぎ 5/17④巻発売 (@negi_haruba) May 13, 2018
ということで早速スタッフさんに撮ってきてもらいました! pic.twitter.com/KNlkcGsuK7
以前ニュースで池袋~新宿間が乗車時間が長く最も痴漢の被害に遭いやすいと伝えていました。もしホームができれば被害も減り利便性も向上するため双方にとって良いかと思うのですが…。1988年には当時の小渕恵三内閣官房長官に陳情書も出されているようですが、30年経った今でもほぼ変化がないようです。