【訃報】日本を代表するドラマー・村上“ポンタ”秀一さん死去。
日本を代表するドラマーとして著名な村上“ポンタ”秀一さんが、脳出血の一種・視床出血で入院中の3月9日に亡くなっていたことが明らかとなりました。70歳でした。
第一報はこちらです!
写真特集「さよなら、ポンタさん」https://t.co/B6lv1d6dMb
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) March 15, 2021
日本を代表するドラマー・村上“ポンタ”秀一さんが9日、死去しました。
坂本龍一や井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実ら、多くの著名ミュージシャンのレコーディングやライブでドラムをたたきました。
写真特集で振り返ります。 pic.twitter.com/DvZbiUjkc4
村上さんは1951年、兵庫県出身。中学時代から打楽器の演奏を始め、1972年にフォークグループ「赤い鳥」のメンバーとしてデビュー。1974年の同グループの解散後はスタジオミュージシャンとして、井上陽水、山下達郎、松任谷由実、矢沢永吉、泉谷しげるなど錚々たるアーティストのレコーディングに参加しました。また、1989年にはTBS系で放送された「三宅裕司のいかすバンド天国」の審査員などでテレビ出演するなど、タレント活動も並行して行っていました。そんな村上さんですが、今年の2月8日に上述の視床出血で入院、治療にあたっていたものの、このたびの訃報となりました。
村上“ポンタ”秀一が参加した名盤の数々!!
スタジオミュージシャンとして、実に1万枚を超えると言われるアルバムに参加した村上さん。その参加作品を全てご紹介することはとても出来ないのですが、ここではその中から著名かつ懐かしいものをいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
井上陽水
まずは井上陽水関連から。1973年発表のアルバム「氷の世界」に参加したほか、1972年のシングル「傘がない」、1976年のアルバム「招待状のないショー」などに参加しています。
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オフコース
オフコースの作品では、1974年発表のアルバム「この道をゆけば / オフ・コース・ラウンド2」や、ライブアルバム「秋ゆく街で ⁄ オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート」に参加。また、シングル「忘れ雪」のA面・B面ともに参加しています。
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角松敏生
近年、シティポップの観点からの再評価も著しい角松敏生。1981年発表のアルバム「SEA BREEZE」をはじめ、「T's BALLAD(1985年)」「SEA IS A LADY(1987年)」「REASONS FOR THOUSAND LOVERS(1989年)」「LEGACY OF YOU(1990年)」など、多数のアルバムに参加しています。
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沢田研二
ジュリーこと沢田研二関連では、1989年発表のアルバム「彼は眠れない」のほか、「単純な永遠(1990年)」「PANORAMA(1991年)」など90年代の作品に参加。また、沢田のバックバンド「JAZZ MASTER」のメンバーとして、ツアーにも同行していました。
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