さすがの宮沢りえというべきか! 脇を固める役者がすごい!
笹野高史
そんなことはともかく、いま日本を代表する名脇役の一人だろう。山田洋次監督の映画の常連であり、渥美清と親交が深かったとか。寅さんにもいろんな役で出演していましたね。
コミカルな演技はもちろん、シリアスな作品でも、堅物のおっちゃんでも、どんな役でも味わい深く、個性的な演技で見る者を惹きつける稀有な役者だ。
原則として仕事を断らないので、とにかく出演作品がとてつもなく多い。自称「ワンシーン役者」。
「金鳥 蚊がいなくなるスプレー ボディビル篇」。
賀来千香子
身長165センチだが、股下83センチの長い足でもっと大きく見える。若いころは、スタイル抜群でちょっとお嬢様風の雰囲気が人気だった。
佐野史郎
『ぼくらの7日間戦争』出演は、あのテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さんブームのほんの数年前。賀来さんと夫婦役でした。
室田日出男
1957年、東映ニューフェイス第4期で入社。同期には佐久間良子・水木襄・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍などがおり、東映製作の映画・テレビドラマを中心に出演してきた。テレビドラマ『キイハンター』には26回ゲスト出演し、ヤクザ映画『仁義なき戦いシリーズ』では敵役に扮した。
この間、1961年の千葉真一・深作欣二が初主演・監督映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』では、クランクインの前夜に酔って暴れ、ホテルのガラスを叩き割った[1]。深作は室田を降板させ、3年間出入り禁止を通告する[1]。このほかにも組合活動参加で専属俳優から契約俳優への格下げや、撮影現場でのケンカに1977年には覚醒剤不法所持などで芸能活動を謹慎することとなった。
1975年には岩尾正隆・川谷拓三・志賀勝らと共にピラニア軍団を結成し、室田はリーダー的存在だった。同年のテレビドラマ『前略おふくろ様』では半妻役に抜擢。上記の謹慎の後、1978年に復帰出演した日活ロマンポルノ『人妻集団暴行致死事件』では高い評価を受け、1980年の映画『影武者』、『野獣死すべし』などにも出演した。
1981年の映画『魔界転生』では宝蔵院胤瞬に抜擢され、1992年のブルーリボン賞では『死んでもいい』、『修羅の伝説』で助演男優賞を受賞した。
2002年6月15日、肺癌のため逝去。なお、戒名はなし[2] 。64歳没。葬儀・通夜では深作欣二が万感の思いで弔辞を読み上げ[1]、山城新伍は「彼は僕らと違ってバラエティには出ないから、本当に役者だね」と追悼。酒好きで、共演した陣内孝則からも慕われていた。
普通に見たくなります、これ見ると。