吉永小百合 「男はつらいよ」第13作「寅次郎恋やつれ」(1974年8月3日公開)
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男はつらいよ 寅次郎恋やつれ HDリマスター版(第13作) - YouTube
絹代という女性と所帯を持ちたいと柴又へ帰ってきた寅さんは、さくらと梅太郎に付き添われ山陰・温泉津へ赴いた。しかし蒸発した主人が戻ったと嬉しそうに絹代に告げられた。二人に置き手紙を残して旅に出た寅さんは、津和野で歌子に二年ぶりに再会した。陶芸家の主人を病気で亡くし彼の実家で図書館勤めをする歌子の暮らしが寅さんには不幸に見えた。心残りながら柴又へ戻った寅さんだったが、東京で人生の再出発を決心した歌子が訪ねて来て大はしゃぎ。でも歌子は喧嘩別れした父との関係に心を悩ましていた。
(C)1974 松竹株式会社
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兄ちゃんは恋をしたんじゃねえ ただあの人が幸せになればいいな そう願っただけよ
吉永小百合 「男はつらいよ」第13作「寅次郎恋やつれ」(1974年8月3日公開)
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日 - )は、日本の女優、歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身。そのファンは、「サユリスト」と呼称される。
1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。
特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に光輝いた。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
(出典:Wikipedia「吉永小百合」)
1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。
特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に光輝いた。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
(出典:Wikipedia「吉永小百合」)
吉永小百合さんは下町を思わせる映画「キューポラのある街」に主演していたこともあり、寅さんシリーズにも適役だった(前田吟)
吉永小百合 「男はつらいよ」第13作「寅次郎恋やつれ」(1974年8月3日公開)
前田吟「吉永小百合さんも忘れられないマドンナだよ。僕たちと同世代でもあるし、綺麗だった。寅さんに通ずる下町を描いた映画をそれまでにこなしてきたし、今も現役でやっているから。」
出典:週刊現代 2016年新春特別版 国民の映画『男はつらいよ』 「寅さん」渥美清を語ろう
出典:週刊現代 2016年新春特別版 国民の映画『男はつらいよ』 「寅さん」渥美清を語ろう
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浅丘ルリ子 「男はつらいよ」第25作「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年8月2日)
「男はつらいよ」第25作「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年8月2日)のマドンナ・リリー役:浅丘ルリ子
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(おとこはつらいよ とらじろうハイビスカスのはな)は、1980年8月2日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの第25作目。リリー三部作の完結篇。
博が街でリリーを見かける。リリーは寅次郎に逢いたいと博に告げる。とらやで、寅次郎の噂をしていると、偶然寅次郎から電話があり、リリーが逢いたがっていると伝えると、寅次郎は興味を見せない素振り。
しばらくして、寅次郎は柴又に帰ってくる。しかし間の悪いことに、とらや一行は水元公園にピクニックへ出掛ける所であった。慌てて、荷物を隠し体裁を取ろうとするさくら達。その事で機嫌を損ねた寅次郎は、さくら達と大喧嘩をする。
出て行こうとする寅次郎の下へ、手紙が届く。手紙の内容は、リリーが沖縄で病気で倒れたとの事で、寅次郎はあわてて沖縄に向かおうとする。皆で相談しあった結果、飛行機で行く事に決まるが、寅次郎は断固拒否する。博に説得されしぶしぶ了解するが、翌日飛行場で柱にしがみつき駄々をこねる。そこへ通りかかったスチュワーデスに連れられ搭乗し、なんとか沖縄へと飛び立つ。
寅次郎と再会したリリーは涙を流し喜ぶ。次第に、彼女の病気はよくなり、漁師町で一緒に生活を始める。しかし、その一方で地元の娘と浮かれる寅次郎。ある日、ちょっとしたことで二人は大喧嘩。翌日リリーは沖縄を去ってしまう。寅次郎は慌てて身支度を整え、手近な船に乗り、東京へ戻ろうとする。
島伝いに、時に行き倒れになりながらも、なんとか柴又にたどり着いた寅次郎。そこで、偶然リリーに再会し、おおいに喜び合うのであった。さくらは、リリーに寅次郎と結婚して欲しいと漏らし、寅次郎も「俺と所帯を持つか」と発言するが、リリーは冗談として聞き流す。そうして、柴又駅で二人は悲しく別れるのであった。好き合いながらも、お互いのプライドや体裁で一緒になれないリリーと寅次郎であった。
(出典:Wikipedia「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」)
博が街でリリーを見かける。リリーは寅次郎に逢いたいと博に告げる。とらやで、寅次郎の噂をしていると、偶然寅次郎から電話があり、リリーが逢いたがっていると伝えると、寅次郎は興味を見せない素振り。
しばらくして、寅次郎は柴又に帰ってくる。しかし間の悪いことに、とらや一行は水元公園にピクニックへ出掛ける所であった。慌てて、荷物を隠し体裁を取ろうとするさくら達。その事で機嫌を損ねた寅次郎は、さくら達と大喧嘩をする。
出て行こうとする寅次郎の下へ、手紙が届く。手紙の内容は、リリーが沖縄で病気で倒れたとの事で、寅次郎はあわてて沖縄に向かおうとする。皆で相談しあった結果、飛行機で行く事に決まるが、寅次郎は断固拒否する。博に説得されしぶしぶ了解するが、翌日飛行場で柱にしがみつき駄々をこねる。そこへ通りかかったスチュワーデスに連れられ搭乗し、なんとか沖縄へと飛び立つ。
寅次郎と再会したリリーは涙を流し喜ぶ。次第に、彼女の病気はよくなり、漁師町で一緒に生活を始める。しかし、その一方で地元の娘と浮かれる寅次郎。ある日、ちょっとしたことで二人は大喧嘩。翌日リリーは沖縄を去ってしまう。寅次郎は慌てて身支度を整え、手近な船に乗り、東京へ戻ろうとする。
島伝いに、時に行き倒れになりながらも、なんとか柴又にたどり着いた寅次郎。そこで、偶然リリーに再会し、おおいに喜び合うのであった。さくらは、リリーに寅次郎と結婚して欲しいと漏らし、寅次郎も「俺と所帯を持つか」と発言するが、リリーは冗談として聞き流す。そうして、柴又駅で二人は悲しく別れるのであった。好き合いながらも、お互いのプライドや体裁で一緒になれないリリーと寅次郎であった。
(出典:Wikipedia「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」)
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2006年3月、シリーズ全作品を放映したNHK-BS2が募集した人気投票で、視聴者から「後半24作品中のベスト1」に選出された。
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 HDリマスター版(第25作) - YouTube
博が歌手のリリーと会った一ヵ月後、寅さんが柴又へ帰ってきた。そこへリリーからの手紙が届き、沖縄で入院中だという。早速、苦手の飛行機にまで乗って、リリーの看護に駆け付ける寅さんだった。退院後、療養のために漁師の部屋を借り、夫婦のような生活を送る二人。しかし寅さんが女の気持ちに鈍感なことでリリーと喧嘩になり、翌日リリーは姿を消した。その後柴又へ戻った寅さんは、沖縄の生活にリリーの愛の告白があったことを知った。数日後、リリーが柴又へ現れ、寅さんはリリーに「所帯を持つか」とつぶやく。
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ほら、あんまり海が青くて あんまり空が澄んでいたので
俺とリリーは つい 夢を見たのよ……
浅丘ルリ子 「男はつらいよ」第25作「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年8月2日)
浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、1940年7月2日 - )は、日本の女優。本名、浅井 信子(あさい のぶこ)。愛称はルリルリ。
身長156cm、体重35kg。サイズ B79/W53/H75 血液型はA型。前夫は石坂浩二。
日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。
(出典:Wikipedia「浅丘ルリ子」)
身長156cm、体重35kg。サイズ B79/W53/H75 血液型はA型。前夫は石坂浩二。
日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。
(出典:Wikipedia「浅丘ルリ子」)
浅丘ルリ子さんの妖艶さが漂う最終作のみならず、寅さんとの啖呵を切った掛け合いが非常に素晴らしい(佐藤蛾次郎)
浅丘ルリ子 「男はつらいよ」第25作「寅次郎ハイビスカスの花」(1980年8月2日)
佐藤蛾次郎「今までどんなマドンナとも結ばれなかった寅さんが、いよいよ結ばれたかもしれないと思わせる幸せな結末がいい。」
前田吟「寅さんとリリーさんは、両方の掛け合いが絶妙だった。」
出典:週刊現代 2016年新春特別版 国民の映画『男はつらいよ』 「寅さん」渥美清を語ろう
前田吟「寅さんとリリーさんは、両方の掛け合いが絶妙だった。」
出典:週刊現代 2016年新春特別版 国民の映画『男はつらいよ』 「寅さん」渥美清を語ろう
映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数え、最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。
この最終作の撮影現場で具合の悪そうな主演の渥美清の姿を見て、「もしかしたらこれが最後の作品になるかもしれない」と思ったという。
そのため、監督の山田洋次に「最後の作品になるかもしれないから、寅さんとリリーを結婚させてほしい」と頼んだと言うが、山田は50作まで製作したかったらしく、浅丘の願いは叶えられず、渥美は映画公開後9ヶ月後にこの世を去り、「紅の花」が最後の作品になってしまった。
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柴又慕情で、歌子の結婚に強く反対する父(宮口精二)を必死で説得して、恋する女性のために一肌脱いだ寅次郎だったが、その歌子と津和野で再会。懐かしい思い出話に花を咲かせた。
しかし、そこで歌子から思わぬ話を聞かされて寅次郎は愕然とする。苦労の末に結ばれた夫とは早々に死に別れ、未亡人として婚家で姑らとともにつつましく生活をしているというのだ。
歌子は図書館に勤めながらひっそりと暮らしを続けていたが、その姿に哀れみを感じた寅次郎は、歌子を元気付けるために、とらやに招待した。歌子は下宿し、久しぶりに楽しい時間を過ごすようになった。が、歌子は伊豆大島にある心身障害児の施設で働くことになった。
(出典:Wikipedia「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」)