日活映画全盛期を支えた大女優まとめ。日活三人娘(吉永小百合・和泉雅子・松原智恵子)・山本陽子・浅丘ルリ子
2015年11月10日 更新

日活映画全盛期を支えた大女優まとめ。日活三人娘(吉永小百合・和泉雅子・松原智恵子)・山本陽子・浅丘ルリ子

吉永小百合さんと橋幸夫さんの「いつでも夢を」と山内賢さんと和泉雅子さんの「二人の銀座」など同時流行った名曲も含めた日活の大女優のまとめです。14歳の浅丘ルリ子さんのデビュー当時のレア動画など貴重な映像も多数あります。

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浅丘ルリ子 日活の看板女優として数多くの映画に出演

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ)

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ)

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、1940年7月2日 - )は、日本の女優。本名、浅井 信子(あさい のぶこ)。愛称はルリルリ。
身長156cm、体重35kg。サイズ B79/W53/H75 血液型はA型。前夫は石坂浩二。

日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。
(出典:Wikipedia)

1955年 浅丘ルリ子さん14歳で映画「緑はるかに」で芸能界デビュー

浅丘ルリ子さんのヘアスタイルを模したルリコカットが流行...

浅丘ルリ子さんのヘアスタイルを模したルリコカットが流行。美少女として脚光を浴びる

『緑はるかに』を 水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを 千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に知り、両親賛成のもと応募、11月23日に面接が行われ約3,000人の中から中原淳一の強力な推薦の下選ばれ銀幕デビュー、ルリコカットが流行し、美少女として脚光を浴びる。
(出典:Wikipedia)
1955年 「緑はるかに」で映画デビュー。浅丘ルリ子さ...

1955年 「緑はるかに」で映画デビュー。浅丘ルリ子さんは当時中学生、14歳。

浅丘ルリ子 14歳 - YouTube

緑はるかに(1955年) - デビュー作にして、初のカラー映画出演。

14歳のデビューしたばかりの浅丘ルリ子さんを高画質で見ることができる超レア動画です。

浅丘ルリ子さんは日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロイン

小林旭さんとは共演40本の黄金コンビ

小林旭さんとは共演40本の黄金コンビ

小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクシ...

小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズのヒロインとして活躍した

小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや 石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。

1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした。日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。現在までの映画出演本数は150本以上。

1964年 夕陽の丘 これが最後の賭けだ!俺を待ってい...

1964年 夕陽の丘 これが最後の賭けだ!俺を待っているの死か?愛だろうか? 石原裕次郎と浅丘ルリ子がヒットデュエットで描く最高のムード・アクション作品

http://i.ytimg.com/vi/ox2-iBzanI4/maxresdefault.jpg (1274398)

夕陽の丘 ・ 石原裕次郎&浅丘ルリ子 - YouTube

映画「夕陽の丘」は1964年4月29日に公開された石原裕次郎主演のムードアクション映画。

同名の主題歌「夕陽の丘」(作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六)は石原裕次郎と浅丘ルリ子によるデュエット曲である(1963年9月、テイチク創業三十周年記念作品 )。
(出典:Wikipedia)

日活三人娘(吉永小百合・和泉雅子・松原智恵子)

和泉雅子・吉永小百合・松原智恵子の3人は「日活三人娘」...

和泉雅子・吉永小百合・松原智恵子の3人は「日活三人娘」と呼ばれ、1960年代は絶大な人気を誇った。

和泉雅子 1960年代の日活の看板女優・清純派女優

和泉 雅子(いずみ まさこ)

和泉 雅子(いずみ まさこ)

和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年7月31日 - )は、日本の女優、冒険家、真言宗の僧侶。東京都中央区銀座4丁目出身。愛称はマコ。

10才で劇団若草の子役になった(太田博之と同期)後、金語楼劇団に入り喜劇を志す。 その後、ジェスチャーに出演する柳家金語楼に鞄持ちとして随伴した際、同番組の共演者で日活のプロデューサー・水の江滝子にスカウトされ、1961年に日活へ入社。以降、青春映画に多数出演し、吉永小百合・松原智恵子と「日活三人娘」として絶大な人気を誇った。中でも1963年上映の映画『非行少女』(浦山桐郎監督)の主演での演技力が認められ、エランドール新人賞や、ソビエト連邦時代のモスクワ映画祭金賞などの表彰歴を誇る。モスクワ映画祭では審査員を務めたフランスの名優ジャン・ギャバンも「この子はすごい」と語った。彼女の出演した日活作品でよく共演したのが高橋英樹で、二人は「ポスト吉永小百合・浜田光夫」として売り出された。
(出典:Wikipedia)

1967年には同じ日活の山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒット。二人の銀座と東京ナイトは映画化もされた。

映画「二人の銀座」 ヒット曲「二人の銀座」の映画化

映画「二人の銀座」 ヒット曲「二人の銀座」の映画化

(二人の銀座のあらすじ)マコは電話ボックスで、姉玲子のかつての恋人戸田が作曲した楽譜を落とした。拾ったのは東南大学で友人とバンドを結成している健一であった。彼はかねがねプロになりたいと願っていたので、ジャズ喫茶の支配人小泉の所にその楽譜を持って出かけた。やがて楽譜は「二人の銀座」となって登場し熱狂的な受け方をした。マコは健一を訪ね、姉の恋人が作曲したものだから返してくれるように頼んだが、健一の曲への情熱に負け、引き下がらざるをえなかった。マコが毎日のように戸田を探し回る一方では、曲の方は益々大ヒットとなり、心苦しくなった健一は小泉に打ち明けたが、「戸田は盗作問題でレコード界から閉め出された人間だから」と逆に慰められる始末だった。しかし健一はマコと一緒に戸田を探すことにした。ついに二人は戸田が川崎のキャバレー「風車」でピアニストをしていることをつきとめた。健一が無断で使っていたことを詫びると「歌いたい人が歌い、弾きたい人が弾く、音楽は皆のものだから」と言うのだった。そしてマコの「姉は貴方を待っています」との言葉に戸田の顔は一瞬変った。数日後、いよいよ健一たちのプロへの登龍門となるジャズ・フェスティバルの日がやってきた。マコもお祝いに来た。興奮する聴衆を前に健一は今は一切を告白した。一瞬場内にざわめきが起ったが、正直な告白に場内は更にわきかえった。やがて「二人の銀座」の演奏が始った。その中で戸田は一人淋しく会場から消えていった。その後を玲子が追っていった。一方大成功をおさめたマコと健一は友人たちと、「二人の銀座」を合唱しながら、夕暮れの銀座を青春の行進を続けていった。
(引用:キネマ旬報社)
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