【国鉄時代に登場した新”快”速】117系電車の魅力
2017年6月21日 更新

【国鉄時代に登場した新”快”速】117系電車の魅力

経営難の崖っぷちに立たされた国鉄が、京阪神の都市間高速輸送のために投入した「新快速」用電車117系。浜松より先、中国地方にまでその勢力を広げていた”快い”電車の魅力をご紹介します。

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117系とは。

117系電車(117けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1979年から製造した直流近郊形電車。1979年から1986年にかけて、主に老朽化した153系の代替用として216両が製造され、1987年の国鉄の分割・民営化時には東海旅客鉄道(JR東海)に72両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に144両がそれぞれ承継された。

117系はこの電車です。

117系。

117系。

首都圏にお住まいのミドルエッジ世代の方にとっては見たこともない車両だと思います。関西にお住いのミドルエッジ世代にとっては、今も現役の車両ですので、今も使っているよ!という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

国鉄の「切り札」新快速について

「普通」と「快速」

国鉄(JR)においては、「普通」は、基本的に「各駅停車」あるいは「鈍行」と称される列車です。基本的にという言葉があるように、普通列車が必ず全部の駅に止まるとは限りません。
「各駅停車」と「鈍行」は、完全に同じものではないんですね。
かつては、「長距離夜行鈍行」などというものがありました。長距離を走るため、途中人口の閑散地帯を真夜中に通るので、無人駅などは通過する列車が当たり前でした。
首都圏の方には、常磐線の「快速より普通のほうが速い」なんて現象も昔ありました。日暮里を出た後、朝方の「普通」に限っては三河島と南千住を通過したのに、快速は停まるという珍現象が起きていました。
現在は「ややこしい」という批判のため、全部の「普通」がこの駅にも停車します。

それに対し、「快速」は、速達サービスのために通過する駅がありますが、急行や特急と違って、乗車券だけで乗れて、急行券、特急券は不要ですよ、という列車を表します。

「新快速」登場の舞台裏

かつての国鉄にとっては、国鉄の役割は首都圏や関西圏と、地方都市とを結ぶ「長距離専門」であり、例えば京都ー大阪や大阪ー神戸、豊橋ー名古屋や名古屋ー岐阜などは、完全に私鉄にお任せ状態でした。この区間には阪急、京阪、阪神、名鉄といった私鉄が複数走り、こまめな駅の設置や高頻度運転、座り心地の良いシートや特急のノンストップ運転など、国鉄がもはや手を出せないほどにまでサービスが向上していました。

しかし、国鉄の財政状況が苦しくなると、実は私鉄よりも国鉄の方が、このような区間の「線形」が良いことに気が付きました。途中の都市のことを考えず直線的に線路を作ったので、車両さえ改善すれば、工夫の余地が生まれるのです。

そこで登場したのが「新快速」という、京都ー大阪ー神戸をほぼ途中ノンストップで結ぶ快速電車の設定でした。

昭和45年10月、新快速が登場。しかし、車両のほうは、既存の113系、のちに急行列車から格下げした153系といった、昔ながらの車両でした。
最初の新快速の時刻表。 

最初の新快速の時刻表。 

113系新快速(リバイバル運転の画像です。)

113系新快速(リバイバル運転の画像です。)

出典:裏辺研究所 さまより。
153系新快速電車

153系新快速電車

出典:裏辺研究所 さま
首都圏の人にとっては、113系の快速なんて当たり前というか、国鉄に快速があること自体稀有なものでしたが、関西の人にとっては、車両がこれでは、「まだまだ私鉄のほうがいいな」という意識が強かったと思います。
私の祖母は京都市の人ですが、国鉄京都駅が最寄りの駅なのに、「国鉄なんてそんな不便なものに乗らない」と言い、わざわざ市バスに乗って阪急の河原町駅なり四条大宮駅まで行って阪急に乗っていたくらいですから。

117系の登場。

117系新快速

117系新快速

出典:裏辺研究所 さま
新快速はその速さから、次第に人気を呼び始め、国鉄も「これはいける!」と判断し、いよいよ新型車両製造に着手します。
153系は、通称「デカ目」と呼ばれるように、古めかしいようなデザインですが、この117系は、ライトも四角で、前面形状も流線形、非常に外観の格好いい車両に仕上がりました。

117系は戦前に先輩がいた。

モハ52系

モハ52系

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