長野五輪開催により消えた「峠のシェルパ」と「碓氷峠」。その後の特急【189系と489系】も残り1編成に
2021年5月28日 更新

長野五輪開催により消えた「峠のシェルパ」と「碓氷峠」。その後の特急【189系と489系】も残り1編成に

日本に鉄道の難所はいくつかありますが、その中でも一般に広く知られているのが、群馬県と長野県境の「碓氷峠」でしょう。「碓氷峠専用機関車」と「碓氷峠対応特急」が製造されていました。1997年10月の長野新幹線開業によりこの区間は廃止され、車両は散り散りになりましたが、現在でもごくわずかに残っている車両もあります。その中の2編成が4月(2018年)にラストランというニュースも入ってきました。189系と489系特急電車についてご紹介します。

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「碓氷峠」専用機関車EF62、EF63の概要。

1966年に碓氷峠を挟む信越本線横川ー軽井沢間が、それまでの「アプト式運転」から「粘着運転」となりました。
これはどういうことかと言うと、歯車による摩擦で急こう配を運転していたのを、普通のレールで結ぶということです。
しかし碓氷峠は、66.7パーミルという急こう配であり、通常の電車では下り電車(軽井沢方面行き)は坂を上り切れず、逆に上り電車(高崎方面行き)は下り坂がきつ過ぎてブレーキが効かないという事態になってしまいます。
そこで、EF62、EF63という、上り坂では後ろから電車を押す係を、下り坂では重しのように、電車の重量を受け止めて、ブレーキの補助をする係を担う、「碓氷峠専用電気機関車」を作り、対応しました。
碓氷峠を走行するEF63系と489系特急のペア。

碓氷峠を走行するEF63系と489系特急のペア。

このため、EF62、EF63は、ヒマラヤで登山者の荷物運びの手伝いをする人「シェルパ」にちなみ、「峠のシェルパ」と呼ばれるようになりました。
EF62、63は上り、下りともに常に高崎側に重連(2つの機関車をつなげて運行する。)で運行されました。

189系および489系の概要。

この「EF62」と「EF63」機関車と協調運転(片方の運転操作で両方の制御をする)するために、これも碓氷峠対応用に製造されたのが、189系および489系特急電車です。
(普通列車用の169系も同様。)
489系特急電車。

489系特急電車。

出典 裏辺研究所 さまより引用させていただいております。
189系は、それまで直流区間で使用されていた183系をベースに、EF62、EF63との協調運転が出来るように設計された「碓氷峠対応(専用ではありません。)」特急電車です。
489系は、交流・直流区間両方を走行できる485系電車をベースに、同様に協調運転出来るように設計された電車です。
碓氷峠を挟む信越本線の特急としては、長野・直江津と上野を結ぶ「あさま」が有名ですが、交流区間となる糸魚川を超えて北陸本線金沢・福井方面へと直通する「白山」「能登」などの電車もありました。
このため、直流区間だけで済む運行用に189系、交流区間も走れるようにした489系との2系列が製造されました。
ただし、電車の編成の運用は複雑ですので、直流区間だけの上野ー長野間の「あさま」に489系が使用されることもあったように記憶しています。

ボンネット形式の特急が主流だった理由。

本題からは外れますが、国鉄時代の古い特急電車は、「ボンネット型」と呼ばれる形が多かったのを覚えていらっしゃる方も多いと思います。
ボンネット型特急。

ボンネット型特急。

2017年デビュー JR東日本E353系特急電車。

2017年デビュー JR東日本E353系特急電車。

上のマイナビニュースに、ボンネット型が最近ない理由が掲載されています。

国鉄時代には、「特急電車」の他に、近年は見られなくなってしまった「急行電車」も多数走っていました。
「特急」というサービスは、1つ上のランクのサービスだったのです。
電車には、車両を直接動かすモーターの他に、コンプレッサーという空気圧縮機など、様々な機械が必要になります。
当時の技術では、モーターやコンプレッサーは騒音、振動が高く、大きさも現在より大きいため、車内の居住性のアップがサービスには欠かせませんでした。
そのため、モーターを客車から外した、機関車がけん引する客車形式の列車が好まれる傾向にありました。
しかし、日本では地盤が弱い地域が多く、また短い距離に都市が点在することから、湘南電車や東海道新幹線の開発を契機に、一度に重量がかかる機関車から、重量が分散され、こまめにスピードアップ・ダウンさせ速達性をアップできる電車方式へと大きく流れが進みました。
そのため、モーターは分散させながらも、コンプレッサーは一つにまとめて、居住空間から離すというアイデアが生まれ、コンプレッサーはまとめてボンネットの中に入れてしまおう、という理由で、特急電車にはボンネット型が好んで設計されました。
その後時代が進み、コンプレッサーなどの機器が静粛化、小型化され、車内の環境に支障が少なくなったため、「切妻型」などと呼ばれる、全面がスッキリした型の特急電車が生まれました。
さらに時代が進むと、ボンネット時代の制約からもはや解放され、特急電車の大衆化がより進み、前面にデザイン性の高い車両が次々と登場しました。
上記のE353系などは、非常にスタイリッシュな電車ですね。

碓氷峠を挟む「横軽」区間の廃止。

長野新幹線「あさま」。

長野新幹線「あさま」。

1998年の長野オリンピックの開催が決まると、長野新幹線(現:北陸新幹線)の工事が急ピッチで進められ、長大なトンネルで碓氷峠を越えることになりました。
長野オリンピック エンブレム。

長野オリンピック エンブレム。

それにより、都市ではない横川駅に特急が停車し、機関車をつなげて碓氷峠を超え、次の駅、軽井沢でまた切り離すという、膨大な時間のロスと、コストのかかる横川ー軽井沢間は、新幹線の開業前日の1997年9月30日で廃止ということになりました。

その後の189系、489系。

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