【国鉄時代に登場した新”快”速】117系電車の魅力
2017年6月21日 更新

【国鉄時代に登場した新”快”速】117系電車の魅力

経営難の崖っぷちに立たされた国鉄が、京阪神の都市間高速輸送のために投入した「新快速」用電車117系。浜松より先、中国地方にまでその勢力を広げていた”快い”電車の魅力をご紹介します。

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52系電車(静態保存:youtube Japan Ra...

52系電車(静態保存:youtube Japan Railway 日本の鉄道 さまより借用)

カラーリングが117系とそっくりなのが、おわかりいただけると思います。
52系電車(52けいでんしゃ)は、1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)にかけて、鉄道省が京阪神地区固有の急行電車(急電)に使用することを目的に製造した複数車種・形式の電車を便宜的に総称したものである。
基本設計は京阪神地区電化時に設計された42系電車に準じるが、車体形状に当時世界的に流行していた流線形を取り入れ、当初は「魚雷形電車」と形容され、後には「流電」の愛称で親しまれた。第二次世界大戦後は最初の転用先となった阪和線で特急電車に使用された。1948年 (昭和23年) には高速試験の記録もある。

「転換式クロスシート」の採用

113系、153系ではボックスシート

113系、153系ではボックスシート

117系の一番の特徴は、「料金不要の国鉄の快速に、転換式クロスシートを採用」というものでした。競争相手がすでにデラックスな車両を走らせている中で、国鉄も負けてはいられない、と、破格の設備を導入しました。
これは、東京の人には考えられないことです。113系のボックスシートでさえデラックスに思える中、料金不要で転換式クロスシート、という117系の登場で、東京圏と関西圏の通勤電車の豪華さの差は、決定的なものになりました。
転換式クロスシート

転換式クロスシート

転換式クロスシートの通勤電車は、東京圏では京急が有名ですが、たくさんある車両の中のごく一部です。東武東上線のTJライナー、西武鉄道のS-trainなど、通勤客の減少に危機感を持った首都圏私鉄が細々と採用を始めましたが、大多数は鉄道ファンからは「貨物扱い」などと呼ばれる「ロングシート」ですね。
ロングシート

ロングシート

最近は車両のコストダウンにより、「片持ち式」のロングシートになり、よりシートが固くなり、座り心地が・・・。

後進に道を譲った117系。

117系は、その後、名古屋地区の新快速にも進出するなど、国鉄時代末期のスター的役割を担いましたが、人気が集中し、「2ドア」という設計がネックとなり、後進の221系電車、311系電車に、新快速の道を譲ります。
117系を設計した当時は国鉄が不人気だったので、まさかこんなに多くの人が117系を利用するとは想像できなかったのかもしれません。

関西JRが誇る「三羽がらす」

221系

221系

223系

223系

225系

225系

現在の新快速のメイン。
この3つの車両の快適さは、とてもではありませんが首都圏JRでは味わえないものです。

名古屋の新快速

311系

311系

313系

313系

新快速は岐阜ー名古屋はわずか19分。
東京でいえば中央線快速東京ー中野間と同じ時間です。
名古屋ー豊橋間は快適な座席とものすごい速度で、新幹線よりもこちらに乗りたいと思わせるような車両です。

国鉄を立て直し、JRの発展の礎を築いた117系の現在。

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