DER ZIBET(デルジベット)
via ameblo.jp
退廃的な詩の世界観や、ジャンルに捕らわれない多彩な音楽性に彩られた、独自の美学を持ったバンドであり、後のヴィジュアル系と呼ばれるバンドにも大きな影響を与えている。
メンバー紹介
ISSAY ボーカル・作詞
本名(藤崎一成)
1962年7月6日 生まれ。静岡県出身
メンバー内で唯一、体形を維持している驚異的な人間。酒以外、余り口にするのを見た事がない。今でもビジュアル系と呼ばれている。
バンド内では、主に作詞担当。攻撃的なルックスとは裏腹に、やさしく人当たりが良いので初めて会った人は恐る恐る近づいてくるが、その反動で一気にファンになる。
1962年7月6日 生まれ。静岡県出身
メンバー内で唯一、体形を維持している驚異的な人間。酒以外、余り口にするのを見た事がない。今でもビジュアル系と呼ばれている。
バンド内では、主に作詞担当。攻撃的なルックスとは裏腹に、やさしく人当たりが良いので初めて会った人は恐る恐る近づいてくるが、その反動で一気にファンになる。
via derzibet.com
初めてのバンドISSAY and SUICIDESを経てISSAYソロプロジェクト(HAL参加)の後、1984「星くず兄弟の伝説」で映画デビュー。この時、プロデューサーであった近田春夫氏に見初められ、DerZibetデビューへとつながる。
HIKARU ギター・作詞・作曲
本名(吉田 光)
1960年2月22日 生まれ。
京都府出身
DER ZIBETの長兄であり、音楽面でのリーダー的存在である。
ノイズからアコースティックまでそのギタープレーは幅広く、多くの後輩ミュージシャンに影響を与えた。
1960年2月22日 生まれ。
京都府出身
DER ZIBETの長兄であり、音楽面でのリーダー的存在である。
ノイズからアコースティックまでそのギタープレーは幅広く、多くの後輩ミュージシャンに影響を与えた。
1984年に友人を介してISSAYと知り合いDER ZIBETを結成する
それ以前は1980年にプロとしての活動をスタートさせ、1982年にBe-Bopsでコロンビアよりデビューと、メンバーの中では最もプロのミュージシャンとしてのキャリアが長い。
HAL ベース
本名(川島晴信)
1962年11月5日生まれ。東京都出身
かつてはDer Zibetの母と呼ばれ、難しいメンバー間の潤滑油的な役割を担っていた。
HALを慕って、友人や後輩達も集まり、パーティー、イベントの首謀者である(HALの「サンマ飯」は有名であった)。
1962年11月5日生まれ。東京都出身
かつてはDer Zibetの母と呼ばれ、難しいメンバー間の潤滑油的な役割を担っていた。
HALを慕って、友人や後輩達も集まり、パーティー、イベントの首謀者である(HALの「サンマ飯」は有名であった)。
via www.derzibet.com
1992年よりDer Zibetと並行して「PILER STUPAピラー・ストゥーパ」の活動も始める
MAYUMI ドラムス
本名(三瓶真弓)
1962年12月15日 生まれ
東京都出身
Der Zibetの宴会部長としても有名で、デビュー当時の渋谷の居酒屋で、Queenのフレディになりきり、他のお客を交えて総勢100名以上でのWe will ROCK YOUでDer Zibetのみならず、ロックバンド打ち上げお断りという伝説を作った男である。
1962年12月15日 生まれ
東京都出身
Der Zibetの宴会部長としても有名で、デビュー当時の渋谷の居酒屋で、Queenのフレディになりきり、他のお客を交えて総勢100名以上でのWe will ROCK YOUでDer Zibetのみならず、ロックバンド打ち上げお断りという伝説を作った男である。
via www.derzibet.com
Der Zibet結成時に、MAHITOが、たまたまその時に会ってたMAYUMIに声をかけ、そのまま連れてきてメンバーになったと言う変わり種。
via www.derzibet.com
1984年バンド結成当時のメンバー。1985年デビュー前に脱退するも、レコーディング、ライブ、打ち上げには参加。特に、打ち上げで顔を見ない日は少なかった。Φ(ファイ)でも、サポートメンバーとして参加し、今回の再始動でDer Zibetの正式メンバーとなる。
バンド経歴
1984年バンド結成後、1985年にSixty Recordsからメジャーデビューを果たします。
待つ歌(PV) Der Zibet - YouTube
待つ歌(PV) Der Zibet 1985年 画像の乱れがありますm(_ _)m
via youtu.be
80年代の青白いニウウエイヴの薫りがぷんぷんするファーストアルバム。デビュー時のキャッチコピーは「年齢不詳、国籍不明、性別不明」。端々に挿入される独語のモノローグ*2や、『Lunatic Dancin'』のイントロの軍靴の響き、そしてデカダン*3なボーカルと歌詞により、アルバムを通じて広がるイメージは”ナチス政権下のベルリンの将校クラブで夜ごとステージに立つ男娼美青年の憂鬱”…といったところでしょうか。楽器隊の音はその後のアルバムと比較すると驚くほど細くスカスカ。もともとDer Zibet自体が"ISSAY & SUICIDES”の解散後にISSAYのライブ活動のためにオーディション(に近い形)で選ばれたバンド、ということもあってかこのアルバムはISSAYのソロアルバムとして捉えるべきかも。
5人組ロックバンド。