「水谷八重子」二代に渡って引き継がれた芸名。
2022年8月9日 更新

「水谷八重子」二代に渡って引き継がれた芸名。

水谷八重子という女優を親子二代に渡って引き継がれていますが、母:初代水谷八重子と娘:二代目水谷八重子という人物を調べてみました。

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はじめに

近年、芸人友近が「水谷千恵子」という人物に扮して、コンサートなどを行っていますが、どこかで耳にした名前だと感じていました。

そうです、「千恵子」ではなく「八重子」です。新派劇の舞台女優である「水谷八重子」です。
新派とは、旧派の歌舞伎に対し、新派と称され、 明治時代に始まった「壮士芝居」「書生芝居」などをもとに歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発達したものです。その新派の柱女優となったのが、水谷八重子です。

初代 水谷八重子

水谷八重子 (初代)

水谷八重子 (初代)

初代 水谷 八重子(みずたに やえこ) 1905年8月1日東京生まれ。
本名は、松野八重子といいます。

幼い頃、時計商だった父が他界し、母とともに姉夫婦のもとで生活していました。姉の夫は 劇団芸術座の設立に中心的な役割を果たした水谷竹紫で、八重子は自然に女優へと導かれていきました。1920年に新協劇団公演「青い鳥」で兄のチルチル役を演じたのち、本格的に女優の道を歩むこととなります。

義兄が創設した第二次芸術座を義兄が死去後も、1945年の解散まで支えながら精力的に舞台に立ちつつ、その間、プライベートでは十四代目守田勘彌(歌舞伎役者)と結婚し、一人娘の好重(二代目水谷八重子)を授かります。

終戦後は、住む家も焼け女優引退を決意していましたが、歌舞伎役者である夫と共演したり、巡業の仕事をしたりしていた時、1949年花柳章太郎(新派を代表する女形役者)らの「劇団新派」の結成に参加することとなったのです。以後、劇団の看板を花柳と共に支え、次々と名女形が没していったのちは、彼らの残した新派演目の女主人公の芸を継承しました。晩年は、新派の俳優の育成に心血を注ぎ、1979年、舞台公演中に倒れ、惜しまれつつこの世を去りました。

八重子とかかわりのある舞台関係者

劇作家・演出家・編集者の水谷竹紫(みずたに ちくし)。
この人が傍にいたから八重子は女優へと導かれたのです。1913年に島村抱月の芸術座(第1次芸術座)に参加し、この時から八重子を劇に参加させた人物です。1924年には演劇界の発展と八重子の育成を目的に芸術座を再興(第2次芸術座)の中心人物として活動を続けました。
水谷竹紫(みずたに ちくし)

水谷竹紫(みずたに ちくし)


歌舞伎役者の十四代目 守田勘彌(じゅうよだいめ もりた かんや)。
八重子の夫ですね。彼は1914年に四代目坂東玉三郎を襲名して歌舞伎座で初舞台を踏みます。1926年に三代目坂東志うかを襲名し、1932年に母・みきの弟で叔父にあたる十三代目守田勘彌の養子となりました。1932年、叔父・十三代目勘彌が死去翌年に十四代目守田勘彌を襲名しました。
十四代目 守田勘彌(じゅうよだいめ もりた かんや)

十四代目 守田勘彌(じゅうよだいめ もりた かんや)


花柳 章太郎(はなやぎ しょうたろう)。
戦前から戦後にかけて活躍した新派を代表する女形役者で、人間国宝です。出世作となったのが1915年の泉鏡花作「日本橋」主役・お千世でした。美貌が話題となり一躍新派の人気女形となりました。劇団新派結成後は、八重子と数々の傑作を世に送り出しました。
花柳 章太郎(はなやぎ しょうたろう)

花柳 章太郎(はなやぎ しょうたろう)

二代目 水谷八重子

水谷八重子(二代目)

水谷八重子(二代目)

二代目 水谷 八重子(みずたに やえこ) 1939年4月16日 東京生まれ。
本名は、松野好重(まつの よしえ)。

1955年、水谷良重の名で歌舞伎座新派公演「相続人は誰だ」「八月十五夜の茶屋」で初舞台を踏みます。時を同じくして、ビクターレコードから「ハッシャ・バイ」を発売し、ジャズ歌手としてもデビューしました。本業は新派の女優かつ歌手として、テレビ、ラジオ、映画と各方面で活躍しました。

1957年に東宝の「青い山脈」で映画デビューしましたが、1960年公開の東映「花の吉原百人斬り」では、八つ橋大夫役の演技でNHK最優秀助演女優賞を受賞します。その後、実力も高く評価され大映の「悪名」シリーズでのヒロイン・糸路役は、当たり役となっています。

1979年、新派自主公演「恋女房」で演出に初挑戦し、その後泉鏡花作品を中心に新派公演で演出を手掛けています。母である初代水谷八重子逝去後は、菅原謙二・安井昌二・波乃久里子とともに、「新派四本柱」として、花柳章太郎や母の当たり役であった「滝の白糸」「深川不動」「佃の渡し」などを継承し、新たな息吹を吹き込みました。そして、1995年に二代目水谷八重子を襲名し、名実ともに新派の座頭となったのです。

現在は、新派の舞台を中心に活躍していますが、朗読劇においても定評があります。樋口一葉の「おおつごもり」の朗読を通して、古き良き日本語の美しさや失われゆく時代の情感を次の世代へ引き継ぐ活動をされています。

朗読新派 「大つごもり」


また、ジャズシンガーとしても活動を再開されていて、2015年には「二人でお茶を」などを収録したアルバムをリリースされています。
舞台もさることながら、歌手としての水谷八重子も高評価を得ています。

Yoshie -Sings '50s

Yoshie -Sings '50s

おしまいに

水谷八重子という女優は、母も娘も新派の継承に力を注ぎつつも、それだけにこだわらず、あらゆる方向に目を向けチャレンジする精神を持ち続けているのだろうと思いました。テレビや映画での活躍もありますが、生の声や姿に観客が触れることができる舞台を大切にされ、二代目水谷八重子は新たに朗読劇にチャレンジされています。動画をご紹介していますので、じっくり聴いてみてください。彼女の言う日本語の美しさなど心に響くものがありますよ。
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