【小坂明子】女子高生が一躍有名歌手に!『あなた』の誕生秘話とその後の苦労
2024年8月10日 更新

【小坂明子】女子高生が一躍有名歌手に!『あなた』の誕生秘話とその後の苦労

半世紀以上前の楽曲ながら、今日まで多くのアーティストにカバーされ、幅広い世代で親しまれる歴史的名曲『あなた』。アマチュアの女子高生が自ら曲を作って歌い、ポプコン、世界歌謡祭でグランプリ受賞、レコードデビュー、ミリオンセラーと瞬く間にトップアーティストに上り詰めました。しかし、その裏には様々な苦労が・・・。

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『あなた』誕生のきっかけ

小坂明子は、1957年1月2日生まれ、兵庫県西宮市の出身。父親は、指揮や作曲・編曲で活躍していた音楽家の小坂務で、彼女の進学した高校も、大阪音楽大学付属音楽高等学校ピアノ科でした。

彼女が高校2年生だった1973年。退屈だった倫理社会の授業中に、ノートの片隅に20分ほどで書き上げた詞が『あなた』の原形でした。家に持ち帰り、曲をつけて楽曲が完成します。しかも、これが彼女の処女作!

詞を書いていたとき、頭の中に思い浮かべていたのは、当時付き合っていた彼のこと。高校の一つ上の先輩で、お茶をして美術館に行くような淡い恋でした。ところが、その彼に、高校卒業後は地元を離れるので「もっと好きにならないうちに別れよう」と別れを告げられます。詞に登場する「白いパンジー」は彼の好きな花で、「真赤なバラ」は彼女の好きな花でした。

実は、『あなた』は、このような失恋をテーマにした曲で、その歌詞について、後年、小坂明子は次のように語っています。
──「愛する人と小さな家を建てて、坊やとささやかな幸せを」と思われがちですが、決してそうではなく、悲しみの歌ですよね。

小坂 そうなんです、アタマの「もしも私が家を建てたなら」は過去進行形なのですが、一部で「過去進行形は日本にはない」と叩かれました。歌に対して、なんと夢のない大人が多いんだなと思いました(笑)。

──この時代の歌は、ほとんどがラブソングでした。

小坂 直接的に「愛している」とか「好きだ」という表現が氾濫していて、そうじゃない歌詞を書きたかったんです。

ポプコンと世界歌謡祭でグランプリ受賞

小坂明子は、当時ガロの大ファン。「どうしたら会えるんだろう」と思い、音楽家の父親に相談したところ、当時審査員を務めていたポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)への応募を勧められます。ガロに歌ってもらうため、『あなた』を三部合唱にして応募。ところが、ガロはギャラが高くて予選に呼べず、結局、自分を含めた3人で歌うことになります。

しかし、本戦を前に他の2人が出場できなくなり、急遽小坂がソロで歌うことに。コンテストでは、ピアノ弾き語りで歌唱し、見事グランプリを受賞しました。そして、ポプコングランプリ受賞者として参加した「第4回世界歌謡祭」でも、最優秀グランプリを受賞したのです。
ポプコン・マイ・リコメンド 小坂明子

ポプコン・マイ・リコメンド 小坂明子

歌手デビュー、いきなりミリオンセラー

この快挙を歌謡界が放っておくはずはありません。1973年12月21日、小坂明子は、シングルレコード『あなた』で、ついに歌手デビューを果たします。

発売から10日で10万枚を突破。1か月で100万枚、3か月で165万枚を売り上げます。1974年1月28日のオリコンシングルチャートでは第1位を獲得。1974年の年間チャートでも2位を記録し、歴史的大ヒットとなりました。

1973年10月にポプコングランプリ受賞、
1973年11月に世界歌謡祭最優秀グランプリ受賞、
1973年12月に歌手デビュー、
1974年1月にオリコン1位、
と、アマチュアの女子高生が、瞬く間にスターダムにのし上がりました。
当時16歳の高校生で、生まれて初めて作ったという「あなた」は、将来に対して夢のある世界観の歌詞と純粋無垢でストレートな歌声の印象も相まって、同年1973年12月21日にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)からシングルで発売されるとヒットチャートを駆けのぼり、翌月から7週連続で1位に輝き200万枚を超えるダブル・ミリオンを記録し、1974年の年間シングル・チャートでも2位を記録。

小坂明子 『あなた』 1973年

小坂明子 『あなた』 1973年

生活が激変し激太り

そんな順風満帆な活躍とは裏腹に、デビュー後の生活は激変。自宅のある関西と東京を行ったり来たりの日々が始まります。学校が終わると新幹線で東京に行ってテレビの仕事をこなし、帰りは夜行列車で関西に戻る。家には週に一度帰れればいい方で、超多忙な日々が続きました。また、せっかく好きな音楽の道に進めたのに、新曲の制作では『あなた』のような曲を作ることを指示され、自分のやりたい音楽は出来ずじまい。日々、苛立ちは募るばかりでした。

そんな彼女にとって一番のストレス解消は、食べること。移動ばかりで運動不足にもなり、わずか3ヶ月でなんと14kgも体重が増えてしまいました
──まだ関西在住の高校生でしたから、突然の大ヒットは大変だったのでは。

小坂 学校が終わると新幹線で東京に行ってテレビのお仕事。帰りは夜行に乗って、翌日、学校が終わるとマネージャーが校門の前に待っている生活でした。

──移動も含めて激務でしたね。

小坂 ところが、あっという間に14キロも太ったんです(笑)。移動ばかりで運動不足になり、ホテル食やレコード会社の接待が続いたせいでしょうね。

紅白歌合戦では父親と共演

『あなた』の大ヒットにより、小坂明子は、1974年の第25回NHK紅白歌合戦に初出場。自身のピアノ弾き語りに加え、音楽家である父・小坂務がバックバンドの指揮を務め、紅白史上初の親子共演が実現しました。この粋な共演は、紅組の司会だった佐良直美のアイデアだったと言われています。

紅白史上初の親子共演。タクトを振りながら娘の弾き語りを見つめる、父の優しい眼差しを覚えている方もいるのではないでしょうか。

あの頃 小坂明子の あなた マイ ムービー

あの頃 小坂明子の あなた マイ ムービー

『あなた』の記録

『あなた』は、1974年1月28日付のオリコンシングルチャートで第1位を獲得すると、以後3月まで7週連続1位を記録。1974年の年間チャートでも2位を記録しました。発売元のワーナーの発表によると、『あなた』は200万枚を超える売上を記録しているとのことです。

これまで数十組ものアーティストがカバーし、特に近年では、高橋洋子、May J.、宮本浩次らがカバーするなど、世代を超えて多くの人々に愛され続けている名曲です。2021年12月21日には、発売から48年の時を経て、全世界に初めて配信されました。
小坂明子コメント

世界配信によせて

どれだけ多くの方に「あなた」を口ずさんでいただいたでしょうか。
16歳の2月に作詞・作曲した時は、テレビから流れている歌謡曲を聞いて
「私なら、「好き」とか「愛してる」という言葉を使わないでラブソングを作るのに!」
という、ちょっと反抗期な気持ちも含めリスナー側の気持ちで作ったこと。これがヒットの根源だったのかな、と思っています。

その初心だけは忘れないよう、48年音楽を続けてきました。
この48年のデビューの日に世界配信されることを心から嬉しく思っています。
そしてこれからもますますの音楽を提供し続けたいと思います。
愛のメルヘン (+1) [2018 Remaster]

愛のメルヘン (+1) [2018 Remaster]

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