今回、記憶をくすぐる大人のメディア「ミドルエッジ」でご紹介するのは、シンガーソングライターとして活躍中の小坂明子さんです。
1973年にとて不純な(?)動機で応募したコンテストから始まった歌手人生とシンガーソングライターとして活躍、多彩な楽曲提供を懐かしく振り返ってみたいと思います。
シンガーソングライター、小坂明子誕生
そんな小坂明子がデビューするきっかけとなったのが多くのシンガーソングライターが憧れを抱きながら挑んでいた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に応募し数々の賞を受賞したことでした。
3歳から始めたピアノで大阪音楽大学付属高等学校ピアノ科に進学しています。2年生の時にノートに書き留めた曲が「あなた」でした。
交際相手との距離を感じるようになった小坂明子がその男性を想って初めて書いた曲でした。彼のために作った「あなた」は聞いてもらうことなく恋は終わってしまいましたが、作曲家志望だった小坂明子のもとに飛び込んできたのがポプコンと呼ばれていた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に応募してみないかという何気ない会話でした。
あなた/小坂明子
このグランプリ受賞から「シンガーソングライター小坂明子」が誕生となったのですが、この歌手デビューということが当時16歳の少女に悲劇を起こしてしまいます。
先にも紹介した通り小坂明子はシンガーソングライターです。シンガーソングライターが自分の思うように曲を作り発表できないということがどういうことか・・・16歳の女子高生がその中で生きていけるほど精神力は強くありません。
このような輝かしく誰もが憧れるような道を進んでいくことが小坂明子にとっては苦しい歌手生活の始まりとなってしまったようです。
ポプコン出身者は実力者ぞろい
ヤマハポピュラーソングコンテストとは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。略称「ポプコン」(POPCONとも)。後に年2回開かれるようになった。グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることが出来た。もともと第5回まではプロを対象にしたコンテストで、アマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになったのは第6回からである。
この後に続けというばかりにプロとして活動している歌手が多く出場します。
有名なところでは「和製R&B」と評された弘田三枝子、今は料理家として有名な平野レミ、素敵な夫婦の代表格だったヒデとロザンナ、「ザ・スパイダース」の一員として活躍しムッシュかまやつとして誰もが知っているかまやつひろし、今はアニソン歌手として地位を確立している串田アキラ、独特な雰囲気を曲調で独自の路線を作っている井上陽水、歌手として女優として「初代コメットさん」としてお茶の間の人気者になった九重佑三子などなど。
ほんとに大活躍している人ばかりなのでプロが出たいコンテストという意味がわかるような気もします。
デビュー:1973年